笑いとは何か?【遊びのシグナル説】
ノブです。精神の話が好きです。
今回は笑いとは何か?を進化心理学と科学で考えた話です。
※進化心理学とは生きるか死ぬかで有利な精神を持つ個体が生き残って今の人間の心は作られたんだよ。という合理的な考え方の学問
下記の本「人が自分をだます理由」から参考です。
この本を超要約すると
「人間が自分で話すような、自分に関する説明はすべて嘘です。人間の本性は人間が説明できる意識には上ってきません。だから説明できるわけがないんです。意識では自分に嘘をつくようにプログラムされてあり、自己欺瞞ということです。人の本性の答えは無意識の中にあります。意識の嘘の本質を、進化の過程、他の動物や現代科学で解き明かします。」
といった内容です。
なかなか合理的ですが、科学で考える現在では観測できない部分なので、まだまだ信用度が低い内容です。
科学では解明できていないから、あくまで説止まりだと私は感じます。
さて、人間がなぜ笑うか?という内容ですが、「これは遊びですよ。」という合図(シグナル)という説です。
以前の記事にも書いた通り、遊びとは「成果を求めない行為を楽しむもの」のようです。
遊ぶ行為は人間だけではなく、猿や小鳥や犬などの他の動物でも観測されています。
猿は仲間と遊ぶとき、体を半分に折って股の下から顔をだします。
それは普通ではやらない行為です。そのため仲間もそれを理解して「これは遊びの合図だ」と認識するようです。
それで思い出したのですが、
実は私も犬を飼っていて、ゴールデンレトリバーの「クッキー」と遊びます。
この本に書かれてあったのは犬が遊ぶ前には合図があり、前足をだして、頭をさげ、お尻側をあげる行為をすることが観測されている。といった内容でした。
私がクッキーに合うと毎回その行為をしているので、「腰でも痛いんかな?」と考えていました。
どうやら犬としての遊びたい合図だったようです。
それとは逆に私からクッキーに対して遊びの合図は存在しています。
ボール遊びなど一般的なものとは違い、私とクッキーの遊びは戦争ごっこです。
開始の合図は私が熊の威嚇のように、両手を上げて、両足を拡げ、低い唸り声を出します。
(多くの動物は自分を大きく見せる威嚇をします。大きい=強いという共通の認識で有効です。低い声は大きな生物しか構造上だせません。)
※ちなみに、私はこれを無意識で行っていました。私の先祖達が作り上げた声と行動なのだと思います。
そうして、犬の顔の横を軽く突っつくと、3回目くらいから唸り声を出し始めます。
そうなれば、戦闘態勢に入ります。
その体制はいつも見る「犬の遊びのシグナル」の体制でもあります。
(前足をだして、頭をさげ、お尻側をあげる行為)
そして弱ガミされたり、吠えられたり、弱タックルしたり、弱タックルされたりしていると強ガミされはじめます。
犬側の本物の闘争本能を感じ始めたら戦争終了です。
(痛いと言ったら気遣ってやめてくれます。犬側のテンションが明らかにどんどん落ちます。)
もしくは、いつもの撫でるから来いのポーズ(しゃがんで手をこまねく)をとれば落ち着いて来てくれます。
こうして仲間の儀式をしたら完全に戦争ごっこは終わりです。
気がついたら手には赤い線が100本入るくらいには跡が残りビビります。
話は戻りますが、人間の本質的な笑いもこう言った「遊びのシグナル」という説です。
人間の場合は、常識からズレたという緊張が走ります。
しかし、それは遊びなんです。という合図があって笑います。
「うんこ味のカレーと、カレー味のうんこ、どっちが好き?」
↑いつもの笑いでみんな知ってる。常識的でかなりつまらない
「そんなん・・・。うんこ味のうんこが美味いに決まってるやろ。」
↑常識はずれ、遊びという合図
「(食い気味で)なんでやねん!それうんこやろ!」
↑常識で戻して、遊びという合図。
(※ボケとツッコミの笑いは海外では存在しません。本書は海外著者なので、日本風味に直しています。海外はボケがあったあと、観る側が心でツッコミ、笑うようです。)
このようにして、遊びの合図ですよーといったことで人間は笑うといいます。
緊張と緩和に関しても同じです。
「これってやばい内容じゃないか?」を話すかとおもったら、
ふざける。(遊びの合図)で人は笑うようです。
ちなみに以前の科学的見解では、グルーミングの一種という見解でした。
どちらが、間違っていて、正しい。
といったように、私たちは1つのことしか認めたくない知能ですが、おそらく、どちらも正しいという矛盾そのものが正解かと思います。
大体は心理学の本で科学的内容や、納得できる哲学や、面白い概念を紹介していますが、この本は説明するまでに多くの時間を使った知識が必要です。
このnoteで誰でもわかるように簡単に説明するために、かなり端折った説明をしています。
真実を知りたい方は私の記事ではなく、「人が自分をだます理由」を参考にしてください。
学ぶことを止めた時、それは死の始まり。
ーアルベルト・アインシュタインー