あまのじゃく
あまのじゃくか・・・
確かに。
そこに僕自身が納得している
わけじゃないところが、
やっぱりあまのじゃくだ・・・。
今、ツイキャスLIVEを終えて、
有難くも、楽しみにしてくれている方の
有り難いコメントに
「あまのじゃくですね」
といただいて、
コメントを返す以上に
いろんな想いが広がったので
note書いちゃってます。
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僕はどうも、
「うまくいかない」
「どうせ誰も見てくれないし、
見ちゃいない」っていうフィルターを
デフォルトで装着している感じです。
わかった。ありがとう。感謝。手放す。
という一連の流れで
人生を軽く生きていくには
まだどうも味わい足りていないみたいで(笑)
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最初はそんなことなかったんですよ。
僕が「いい曲できた!」って思った曲を
歌って、みんなも感動して、
聴きたがる人が増えて、
CDも作ったら売れて、
「武道館」とかのイメージはなかったけど、
全国各地で、僕は歌い、
聴いてくれる人がいる。
そんなイメージだった。
それが「ひとりよがり」だった。
と、受け入れるにも時間がかかった。
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人気のある友人バンドに声かけてもらって
そのバンドのファンにも
聴き入ってもらえてると信じてたけど、
客席に置いておいたレコーダーを聴き直すと、
「あの人、長くない?
いつまでやってるんだろうね・・・」
僕、聴いて硬直。
ずっとトラウマ(笑)。
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確かにね。
あの頃の僕を思い返すと、
自信に反比例して
聴けたもんじゃなかったよ。
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あの頃の自分を反面教師にして、
僕は「大人しいキャラ」推しで
いくようになった。
(最近、星読みで、
僕は牡羊座なんだけど、
魚座の要素も多く持っていて、
「生」と「死」の
相反する局面を持っているらしく、
魚座推しで行った方が
生き易く予測していた。
叫んで踊るエネルギー!で生きると
空回りしちゃうんだなぁって)
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好い言葉を使って、
誰もに好い気持ちが届く
幸せな詩を創ろう。
そう思い始め、
こんな唄だけじゃない
こんな唄も創れるようになった。
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さてさて・・・
じつは今なら
たくさんの人がファンになってくれるような
音楽、詩が歌えるように
なっているような氣がしている。
でも、だからこそ、
市場を探し、
市場に合わせ、
ウロウロするような真似は
得策ではないと思うし、
あまのじゃくなことを言って、
せっかくご自分の「好いもの」に触れて
受け入れてくれているものを
保身のために遠ざけるのも
得策ではない。
保身って・・・
何を今さら、
傷つくことにビビるようなことがある?
失って現れる。とか、
すでに歌っているくせに(笑)
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また、もうひとつ
思わず考えてしまったことがある。
それは「世代」のこと。
僕、1976年生まれ。
ブルーハーツを原体験として
音楽を始め、
「夢をつかもう」とか
「未来は僕らの手の中」
とか、
そんな詩を聴いてきた世代。
で、現実は?
そして、
まぁ、上の世代、バンドブーム世代としては
変わらないんだけど、
ピーズで
「日本酒を飲んでいる
煮詰まる前に潰れるさ」と
正直な「鬱」と出会い、性格が明るくなり、
フィッシュマンズで
「死ぬほど楽しい毎日なんて
まっぴらごめんだよ」と、
日常の恍惚を手にする。
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人気(興奮)が欲しいのか、
安らぎ(安寧)が欲しいのか、
自分でもわからない。
そんな世代。
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これが10くらい若くなった
ゼロ年代と言われる時代が
やたら「感謝」「ありがとう」
だったな・・・。
そんな言葉を、言霊を使う君たちは
みんなから好かれて、
売れるだろうな。
あまのじゃくになっていた。
「歌わさせてもらってます」
若い奴らの感謝の態度が
気に食わなかった。
歌わせてもらえないことは
歌わないのかよ!
歌うんだ。
自分で決めて歌うんだ。
毎日、路上で聴いてもらえない詩を歌い、
聴いていただく望みを捨て、
僕が「イイトコロ」に行って、
そこから挨拶をして、歌いかけて、
僕が見える人だけと
仲良くすることにした。
お気に入りの「僕」で
出会える人、世界と
仲良くすることにした。
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そんな現状認識。
あまのじゃくの鎧、
だいぶ自慢したから、
そろそろ次の興味に
移れるかな・・・(笑)