たき火の思い出①
レコーディングを終え、MVまで
ようやくたどり着きました。
前回の「レコーディングが完成した!」
と呟いてから2週間も経ってますね。
ライブ演奏や国際交流といった
充実したプライベートを過ごしてはいたんだけど、
今、一番何をやり遂げたいかというと
自身のオリジナル曲を
納得のカタチで表に表すこと。
それがようやく1つ、現すことが出来ました。
20代の後半、もう20年くらい前に出来た曲です。
この曲までの僕は
けっこう基本「ネガティヴな真実」を
どうやって表現してやろうか
ということに注視していました。
一見ハッピーであろう物語に
どうやってニヒルな影を忍ばせる・・
というか前面に出すか。
そんな自分に行き詰まりを感じて
「幸せな詩を描こう!」と
決意して創った詩です。
20代と言えば、
「キミとボクとの恋の唄」を描きたいところですが
ボクの恋愛観だと
どうしてもネガティヴになってしまう!当時はね。
そこで曇りなく幸せに想える
僕の人生の特性を想い描いてみたら、
家族と、生まれ育った環境を
想えてきました。
10代の頃は、
あまりにも不平不満のない家庭に
不平不満を感じた頃もありました。
特別な人生に憧れて、
苦境をバネに才能を開花させられる人になりたくて。
でも、多くの人と響き会うのなら
一般的な感覚でいられる環境に育つことが出来たのって
プラスかもな。
なんて想った時期もあり。
結局、この風景、情景が、
僕の中にリアルに在って、
それは僕にとっての「幸せ」の象徴で。
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たき火の匂い お父さんの匂い
夕日が沈めば 晩ご飯の匂い
火の粉を追って顔を上げたら
風は冷たく 空は真っ暗だった
晩ご飯の匂い お家の匂い
「ただいま」と言えば
お母さんがいて
後ろからお父さん 泥だらけになって
たくさん泥だらけの
野菜 持って
当たり前にわらって
当たり前に甘えて
その日が来たら
当たり前に家を出た
あの日の匂い この日の匂い
あの頃と同じ季節がまた今年も来たよ
大人になった子どもだった僕が
たくさん胸いっぱいの
思い出 もって
当たり前にわらって
当たり前に甘えて
その日が来たら
当たり前に家を出た
当たり前にわらって
当たり前に甘えて
その日が来れば
当たり前に
帰る
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僕が経験したであろうと
本当に想い出される
確かな情景です。
歌うとつい、
両親に恵まれずに生きてきたみなさん
のことを想わずにはいられません。
こんなに個人的な「幸せ」を描いても
いいのだろうか?・・・って。
それを踏まえても
歌いたい。届けたい。
この景色を
身に覚えのない経験の人たちにも
どこかで響いてくれることを願いながら。
届くだろう。
たき火のある風景を知らない人へも。
こういった類の
お父さんお母さんの在り方を知らない人へも。
僕自身も20年前に
素直になって、この詩を描き留めておいて
本当によかった。
「宝」ですね。
20年後、今年、
両親は施設へ入り、
お金の心配ばかりして、
余計な警戒や呪いの類を聞くたび
あの頃の風景は
僕の思い違いだったのかな?
なんて
今の両親とぶつかったりもします。
でも、
この詩を描き、留めておけて好かった。
本当のことです。
歌うと現れてくれるんです。
本当に。
それは40年後、
立場も入れ替わり、
現れてくれています。
・・・。
当時20代の、若かった僕は、
詩の後半、導かれるように
描いていったことを覚えています。
当時まだはっきりと
「大人になった」というモチベーションは
持ち得ていませんでした。
そして、
家は出たものの
「帰る」と歌うのは
あまり当時ではリアルに感じられる詩では
ありませんでした。
いつ、どこへ帰るのだろうか?
そんなことを
いつも考えながら歌っていました。
「帰る」・・・
どこへ帰るんだろう?
故郷? あの世?
ここらへんについては、
また次回、書こうかな?
様々な想いが満載のこの曲、
多くの人と響き会えたらいいな。
またこの「たき火の思い出」について
綴ろうと思います。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
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