仕事と趣味
なんか、以前もこんなタイトルの
noteを書いたような氣もするのですが、
今日も朝から考えていたのでした。
「ワタクシは?」
と言えば、
かつては、いや、去年くらいまでは、
「音楽」を仕事にしたくて、
「仕事は『音楽』です」
と言っていました。
今日は、
仲良しで、
普段から手伝いに行っている
友達の田んぼの
イベント的に、
たくさんの人に来てもらっての
「みんなで田植え」する日でした。
そして、明日は、
僕の、自給のための田んぼの
こちらもたくさんの人に手伝ってもらっての
「お田植え交流会」。
「忙しいなぁ・・・」
と言いながら、
朝から家を出て、
友人の田んぼへ行ってみると、
「トンボ」みたいな板で
地ならしをしていて、
まだあんまり必要とされる
作業がなかったので、
こっそり抜けて
峠の道端で、
ウクレレ弾いたり、
歌ったりしていました。
その時、
「仕事と趣味」の概念を、
もう一度、考え直していたのです。
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「言葉」を考えていたのです。
「趣味」とは
「趣(おもむき)」を「味わう」ことでしょ?
「仕事」とは
何らかの「事(こと)」に仕えることか・・・。
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「これは単なる趣味じゃない。
仕事として成り立たせたいんだ!」
と、主張してやってきました。
年間数多くのステージ(仕事)をこなし、
生計を立てている、
友人知人、有名人を
羨ましく思いました。
(思っています)
でも、
そんな「趣」を味わっているだけじゃ、
何らかの「事」に
仕えることはできないよな。
何らかの仕える「事」の
要求がなければ
「仕事」は現れないんだ。
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例えば今、
僕は山の中で、
気持ちよく、「ヨガ」をして、
身体と心を整えている。
自分の都合で、
感性を整え、
趣を味わっているのだから、
これは「趣味」だ。
心地好く、音楽を奏でられる人に
なっていたいから。
この感性を完成させて
誰かに届けられるように
響かせたい。
「I want」の欲求は
全部「趣味」です。
「仕事」とは
誰かの求める「事」に
応えること。
最近じゃ「ニーズ」と
呼ぶんだっけ?
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最近、レコーディングや、
「CD作り」の「仕事」を頼まれることがある。
何か必要な事があって、
僕が応えられる範囲で
応えている。
「お金払うよ」と言われるけど、
いや、そんなに僕、専門家じゃないよ。
僕が、
何とか
自分の「表現活動」を
表に現すために、
必要と感じたスキルだっかから、
勉強したんだよ。
・・・「仕事」は
僕が必要とされた事で、
僕が必要としたことじゃない。
何なんだ?
このパラドックスは?
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いろいろ「仕事」を
こなせる人がいる。
その人は
「必要とされている」けど、
その人は
何を「必要」と
しているんだろう?
その人が必要とするものを
提供できれば、
それは「仕事」にできるかもしれないけど、
例えば、
その人の求める音楽は
僕の描きたい音楽じゃないかもしれない。
でも、
その人が満足するなら、
提供して、「対価」をもらってもいいよ。
いや、別にお金からまなくてもいいよ。
その人が喜んでくれるなら。
でもそれは僕の「求め」ではない。
だから、僕は
僕が「必要」とする
事をすることを
必要とする。
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友達の田んぼを手伝い、
自分の田んぼを整え、
19時近くに帰宅し、
水風呂浴びて、
街へ出かける。
路上ライブする時間はなかったが、
21時から
ツイキャスライブを宣言していたので、
橋の下で、
街頭の灯りが大きい河原を見つけ、
そこから配信した。
最大6人の方が
覗いてくれ、
常時、1名の方が
見てくれていた。
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「仕事」ではないんだよな。
「趣味」なんだよ。
もっと多くの人に「必要」とされて、
「仕事」にしたいな。
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「趣味」があるのはいいけど
ちゃんと「仕事」してる?
「趣味」だけじゃ生きていけないでしょ?
何か「仕事」しなくちゃ。
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僕自身が人生に於いて
とても「必要」としていることが
世間では
そんなに「必要」のないことなのかもしれない。
でも、
僕は、僕の人生で
「必要なこと」をして
生きていかなければ!
と想う。
「必要」とされ、
「仕事」が発生するのは、
自分が「必要なこと」を
する必要があるのと同じように
「必要な何か」を
満たすお手伝いができるなら
仕事したいとは想う。
でも、
そんなに
必要とされていないんだったら
僕自身が「必要」なことを
空いている時間、全て注いで
すればいいと想う。
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心地よい場所でウクレレ弾いて、
詩を、音を聴いてもらう。
ニーズがあれば幸せなこと。
趣味は仕事にならないのかな?
「必要なこと」は
「必要とされること」には
ならないのかな?
僕が「必要なこと」をしていたら、
じつは多くの人も
「必要としていること」
なんじゃないかと、
じつはけっこう強固に想っていて、
「必要なこと」が
なかなかできない
今の世の中こそを
僕が「必要なこと」を
やり続けることで
変えていくしかないんじゃないかと
想ったりしているのです。
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めげずにまた
ライブ配信は
日々やろうと思っているし、
自分「平魚泳」として
必要な音楽を
多くの人に届けたいと
想っている。
生音でお届けできる
小さな場所で、
少人数の方に
お届けできる「仕事」も
増えていけば
「幸せだなぁ」と想っています。
今は、
僕が僕自身で音を奏で、唄い、
趣を味わっているだけかもしれないけど、
いつか、
僕の詩と音で、
趣を味わってくれる人が
たくさん現れたらいいな。
と夢見て、
最低限、
僕自身が理想の音で
趣を味わえているように、
日々、創っていこうと
想います!
・・・と、
明日の田植えも
がんばんなくちゃな。
「仕事」だからね♪
うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。