風の音楽家ツアーを終えて
風の音楽家ツアーを終えて
3日も経ってしまった・・・。
他のメンバー2人は次々と
お礼の投稿や、感想を述べられて
次へと進もうとされていますが、
僕もようやく、
風の音楽家ツアーの振り返りを。
3年ぶりの3人でのライブツアー、
本当に幸せでした。
一緒に音を重ねるようになって14年ほど経つのかな?
お互いに尊敬しあえる3人ではあったけど、
ピアノ、馬頭琴、ジャンベ、歌を
一緒に響かせ合いながら
生き生きとする方法は思考錯誤でした。
この曲ができた2017年、
この曲を機に辞めようと想ってたもんね。
お互いに生かし合う役割を見出せないでいた。
で、この日の演奏で
辞めるのを辞めたわけだ。
最初の頃の、
お互いのソロ曲をアレンジしあったり、
即興のインプロヴィゼーションで
自分を出していくという時期を経て、
今、ライブ1回では全て演奏しきれないくらいの
3人だからこそ活きる
オリジナル曲も増えてきました。
だからこそ、
2年の
感染症騒ぎによるブランクを経て、
一緒に音を鳴らせる喜びと
安心感。
独り、ウクレレを弾いて、タイコを叩いて歌うだけでは
触れられないものがある。
二人の音が嬉しかったから、
二人の音をよく聴くことが出来た。
「俺が俺が」が
全くなくなって、
本当に楽だった。
曲も詩も、
すでに創ってそこにあるから、
「俺の本気の想いを届ける!」みたいな
力みも必要なかった。
詩はすでにあるから、
その言葉とメロディを
丁寧に浮かべる想いに徹した。
心に湧く感情は、
観客のそれと
等しいものになっていたと想う。
ときどき、
自分が歌うことを忘れて
想いに囚われて失敗、
なんて瞬間もあった(笑)。
*************
僕は、話すのが下手。というか、
まとめるのが下手。というか、
まとめたくないし、
おさめたくない。
それにちょっと
ネガティヴに捉えられかねない言い回しを
してしまうことがある。
「ただ歌うだけでいいと想ってやってます」
「それはちょっと投げやりに聞こえるよ。
『歌えるだけで嬉しい』とか、
そういうことでしょ(笑)」
とか、
「当たり前にできると想っていたことが
じつは出来なくなるなんてことがあるんだ。
と知らしめてくれた・・・この
(感染症騒ぎの)2年・・・いや10年でしたね。
(原発事故のことも暗喩させた。氣づく人は
当然のように氣づくと想う)
だから、こうして今、音楽できることって・・・」
「とても大切に感じる。」
と言いそうになって、
言いたくなかった。
「大切」とか「有り難い」とかって、
説明するものじゃなくて、
ありとあらゆる想いの中に
混在して在るもんだ。
ツアー途中に立ち寄ったブックカフェで
海でじっと見つめる少女の絵画の目を
思い出していた。
言葉では言い尽くせないことがある。
それを何とか表に現そうと、
僕らは絵を描いたり、
音を奏でたり、
「説明」なんかじゃ尽くせない
「詩」を歌ったりするんだ。
僕は「大切なこと」を
説明ではなく、
歌って現すんだ!
と、言うことがうまく言えず、
「話したんなら閉めてくれ〜
『今、歌えることが幸せです』ってことだよね(笑)」
いや、違う!・・・そんな一言では・・・
はい。そうです。
つまりそういうことです。
と、
僕の拙い喋りを
ニヤニヤと見守りながら、
フォローしてくれる
岡林さん、sosoくん。
本当に素敵な唯一無二のバンドが出来るなんて、
「バンドがしたい」が夢じゃなくて
副次的な欲求だったのに・・・。
「バンドをすること」より、
「詩を歌っていたい」ということが、
音楽を始めたきっかけで、
だから、
相手の音を聴いたり、
声を聞いたり、
協調することが
悩んでも、
本音じゃないんで、
出来ない。
努力も出来ない僕だったのですが、
人生で、
長い付き合いの出来る友人、
バンドが出来るなんて。
有り難いことです。
また3人が集う予定は
立っていませんが、
なんとか
ライブでは「マイクを立てない
楽器本来の響き合い」を
閉じ込められるレコーディング手段を
見つけたいし、
多くの土地へ行って
この音楽を届けたい。
「やっぱり生演奏で聴く音楽はいいね」
多くの
足を運んでくれたお客さんから
いただいた感想。
嬉しかった。
だからするんだよ。
ようやく、
やるからには届けたい
最低限のことが
伝えられるようになってきた。
また3人で音を奏でたい。
響かそうと想う。
生きていればいつでも出来る。
でも状況は刻々と変化する。
演ればいい。
だけなんだけど、
じつは
演れる機会は
本当に有り難いことなんだ。
またその時がくることを
祈りつつ、
またバンドから離れた日々を送ろうと想う。
ツアー前、危惧していた腰痛も、
ライブのおかげで治ったよ。
今日からまた農作業。
6月までに
田んぼの畦を泥で塗らなきゃ!