クオリティより、好い空気感を・・・
最近、
ストリーミングで音楽を聴いていても、
好きになれる、
新しいアーティストと出会わないな・・・
なんて思いました。
年齢的に
新しい音楽を受け入れられない
とかって話もあるけど、
じゃあ、僕がその
自分が聴きたい音楽を作ればいいじゃん。
ということだよね。
「誰か」で済むんなら
いつまでも音楽やってないよ。
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最近の
若いミュージシャンはすごいな。とは思う。
みんな上手だ。
表現力も豊かだ。
詩も
奥が深くて、
感動なんかも、ちょいちょいさせてもらってる。
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そこで、
アーティストの皆さんが
恐れおののく、
そんな技術の向上の努力を
一蹴するような
生成AIの登場だ。
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プロ級なサウンドも
容易に作れるようになった。
結局、
Spotifyなどのストリーミングサイトで
自分好みの音楽を
AIが学習して提示してくれるプレイリストには
「似ている」と分析される音楽で
埋め尽くされる。
似たような音質の
似たようなジャンルの音楽が
整えられて並んでいる。
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ひとつ、好きなアーティストがいて、
似たサウンドのアーティストが続くと、
その、知らなかった似たアーティストを
好きになる可能性もあるけど、
大概は的外れに感じてしまう。
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メジャーで有名な音楽の音質は
やっぱりハイクオリティだ。
メジャーなインディーズもそう。
(なんだそれ!(笑))
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米津玄師も、藤井風も、
好いんだけど、
車で聴いていると、
どうも落ち着かない。
なんか、繁華街を歩いているような
落ち着かなさがある。
「僕」の音楽ではない。
「時代」の音楽である。
「僕」のプライベート空間に
「みんなのうた」は要らない。
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時代は、
かなりパーソナライズされていて、
内向的な真理を探究するような
最近のヒット曲は好きだ。
だけど、
音が、きれいすぎる。
まるで、耳元で鳴っているような
クリアなサウンド。
意図的なノイズもクリアだ。
もう少し、
空気感がほしいな。
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ここまで洗練された音が、
ちょっとしたAIを駆使すれば作れる時代。
だとしたら、
もう、メジャーに聴き劣りしないような
ハイクオリティなサウンドを
求める必要ないんじゃないか?
とも思ってしまう。
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レコーディングして、
理想のサウンドメイクで
自分の楽曲をアウトプットしたい。
という欲求は、
未だにあります。
でも、
今は、もしかしたら
ライブ配信で使う外部マイク
くらいのサウンドクオリティで
十分なんじゃないかと、思ってきた。
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youtubeでも、
随分と見やすい、
テレビ番組みたいなクオリティのチャンネルに
ちょっと飽きを感じるようになった。
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滅多に見なくなったテレビを
病院の待合室とかで見ると、
「高いクオリティ」と信じ込んでいた
テレビの見やすさが
「あ〜テレビっぽくなるテンプレートを
うまく使ってるね。効果的だね。
プロパガンダだね。むしろ不快だね」
と思うようになってしまった。
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週に2回、自分で決めて、
野外の気持ちの好い場所を見つけ、
そこでウクレレを弾いて歌う。
ツイキャスを利用してのライブ配信が
1年以上、欠かすことなく続いている。
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他のライブ活動は
だいぶ欠けてきてしまった。
ライブ活動にあたっての
一般的か独自に編み出したかはわからないが
お仕事とするためのテンプレートが
上手に使いこなせなかった。
これが要因じゃないかと思う。
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来週、8/29.30.31.9/1に
「風の音楽家」というバンドで
九州ツアーをする。
門司港、博多早良区、長崎東彼杵、大分耶馬溪
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博多の会場の予約が今のところゼロらしく、
「集客しよう」とのメンバーからの呼びかけがあった。
僕には
どうすればいいのか
わからない。
「誰か聴きにきてください。予約が入っていないんです」と、
正直に訴えるか、
「まだ若干空席あります。ご予約はお早めに!」と
去勢を張って呼びかけるか・・・。
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そんなこんなで、
演奏機会がないので
バンド活動は中止。
みたいな方が
わりかし自然にイメージできる。
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僕自身は
好い音楽が出来る人だと思っているし、
バンドも
ぜひ聴いてほしい。
プレイリストに入るどころか、
未だ、レコーディングもしていない
18年活動しているバンドだ。
マイクもアンプも使わない。
楽器本来の音で、
会場と響き合いたい。
そんな「音」へのこだわりと、
頻繁に活動するには、
こんな感じで、
集客もままならず、
演奏機会も・・・
僕が悪いんだろうな・・・
僕のソロアーティストとしての活動は
1回演っては、
なかなか次に繋がらず、
やっぱりSNSで繋がってるくらいの関係で
いいかな・・・。
なんて思う癖がついてしまった。
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僕は多分、
これからも、
ライブ配信で、
数人でも視聴者がいてくれる限り、
いや、もしいなくなっても、
襟を正して
演奏し続けようと思っています。
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諦める。とか、諦めない。
とかの次元じゃなくて、
どうやって、僕自身を
「成功体験」へ導き出せばいいのか
わからないんです。
ここまで読んでくれたみなさんも
そりゃ、「どうしたほうがいいよ。」とか、
わからないでしょう。
請うても、媚びても、
人は離れてゆくでしょう。
それならば、
今、出来ることをする。
1件1件、メールするとか、
暑中見舞いをメッセージするとかを
「やるべきこと」と位置付ける人も
多いと思うし、
僕も、そう思う部分がある。
でも、
それ「音楽」じゃないから・・・
あ〜!
人との繋がりを何だと思ってるんだ?俺。
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「出来ることをする」の
「出来ること」が
視聴者の増えない、増える手段も考えない、
分析もしないライブ配信を
ただ続けること・・・。
noteだって、
賛同してもらうような意識や、
トリビアな「なるほど」を
もっと、短く簡潔な文章にして、
意見をはっきりさせた方がいい。
でも、
最初に書いたように、
多くの人に届くように努めて
音や表現を大衆化させて・・・
収まった街のBGMには
僕自身が興味を示せなくなってるんだから・・
仕方がないよね。
僕の出来ることを
していきます。