福岡という街でLIVEするということ
LIVEというものは
聴衆がいてくれて
初めて成り立つものである。
「有り難い」
という言葉を
あらためて、
初めて気付いたように
噛み締める。
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それは高校生の時、
周りのあちこちで
「彼氏」「彼女」という
存在を認知し始めた時、
「自分が好きな人が
自分を好いてくれてたりするなんて
奇跡だな・・・」
と、独り思っていた感覚。
あの感覚こそ「有り難いこと」
なんだと今、回想する。
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そんな「有り難いこと」が
「有る」奇跡。
デフォルトとしては
「有り難いこと」って
「無い」んだろうな。
だって、
なかなか無いって
「有り難い」ってことでしょ?
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そんなことを考えながら、
年に何回か、
この12年、
この大分の田舎に移住した最初の頃は、
月1回とかを目指していたけど、
だんだん回数が減りながらも、
博多天神の街中へ
路上演奏をしに
行っている。
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「有り難いこと」が
無くても、
やり続けることって
「有り難いこと」なのかな・・・
って思う。
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「ありがとうございました」と、
誰も聴いていない聴衆に向かって
頭を下げる。
それを「下積み」などと呼んでいたら
下積みのまま人生が終わってしまうよ(笑)。
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「いつか必ず夢は叶うよ」
などと、歌えない人になっている。
歌わなかったから
叶わなかったのかもしれないね。
叶わなかった夢を背に、
今日も1日を暮らす。
「有り難いことって
なかなか無いよね」
そんなことを感じながら
「有り難いなぁ・・」と
しみじみ言ってごらん。
そんな現実を生きています。
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こんな、
街へ行っても、
独りで過ごす
路上の空気感しか
馴染みのない僕が、
福岡市内の室見という
町の喫茶店で
「LIVEをする」
なんて決めちゃったもんだから
今更ながら「どうしよう・・・」
って焦ってます。
僕が出来る集客のアプローチは
天神の路上へ行って
路上ライブやって宣伝するくらいしか・・。
いや、それは散々
「有り難いことだ」
と、自覚しているはずなのに
それ以外、出来ることが
思いつかない。
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週2回、
ツイキャスでライブ配信してるけど、
これもコンスタントに見にきてくれるのは
2人。
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現在、その福岡の喫茶店に入っている予約も
昼2名、夜2名らしい。
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武道館までの道のりは遠い(笑)。
こんな「自分」をやって、
聴いてくれる人がゼロではない
ということが
本当に奇跡。
「有り難いこと」である。
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そもそも、
大衆(大きな衆)に支持されるためには
今の僕みたいなキャラは
絶対NGだろうし、
売れるためのアプローチも
わかんないけど、
きっと勘違いも甚だしいんだろう。
こんな現実を
こうして吐露することも
間違っているんだと思う。
もっと実績を書いて、
支持してくれている皆様に向けて
感謝の気持ちを
述べ続けるべきである。
と。
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有り難いことが在る。
有り難い現実にいる。
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「僕の好きな人が、
僕を好きだったりしたらいいな。
ははは・・そんな有り難いこと
なんて無いよな」
そんなつぶやきと共に過ごした高校時代。
有り難いことは
なかなか無く、
押したり、引いたり、
逃げたり、ぶつかったり・・・。
経験値の少ない人生が
劣等感だったけど、
これも唯一の人生だ。
と、思えるようになった。
有り難いこともあって、
今はパートナーと子ども2人。
幸せに暮らしている。
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いろいろ容易く手に入れたように見える
友人、知人、有名人も、
いろいろ失って、
そしてまた同じく、
かけがえのない「今」を手にしている。
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有り難い。有り難い。
と、
歯を食いしばり、
求め、抵抗していた日々が
嘘のように晴れて、
当たり前の現実として
現れている実りに
ふと、驚くこともある。
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どこへ行っても
僕の詩を聴いてくれる人が
こんなにもたくさんいたんだ!
って現実は
まだまだ先の話かもしれない。
でも、
そんなふうに成れた暁には、
卑屈になった「僕」のような人の心を
優しく溶かして、
「本当の処」へ導けるような、
そんな人になっていたいな♪
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3ヶ月ほど、
地元の大分中津から
ほとんど出ない日々が続いたけど、
来週の福岡の後、
12月は
千葉、奈良、京都。
僕の実家や奥さんの実家への
帰省と共に、
いくつかLIVEする機会もいただきました。
またもし、
関東、関西、九州、
僕の行く近隣で、
LIVE演奏の機会がいただけましたら、
よかったら声かけてください。
「武道館」とか言ったけど、
本当は全然目指していません(笑)。
マイクとか、高い舞台は要りません。
要らないくらいの規模の方が好きです。