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現れた実りの中を一歩一歩

昨日?一昨日?
奈良への帰省から
家族4人で車を運転して
無事、大分の山村へ帰ってきました。

11/27に包丁で指を切って3針。
ひとつ、直前にあったライブをキャンセルしたけど、
5日後の馬頭琴の友人とのライブでは
タイコを叩き、
その1週間後の週末の千葉での2つのライブは
抜糸しても変な汁が出る中、瞬間接着剤で固定して
突破。

翌日、千葉で連れてきた息子が風邪で寝込み、
帰りの飛行機の日に
僕に風邪が移り、
大分に帰宅後、1週間寝込む。

病みも上がり、
傷も癒え、
クリスマス前の
子ども向けや、BGM的なウクレレの
演奏依頼には
何とか間に合う。

そして、
いつの間にか
冬の寒さが到来された中、
12/23.24.25の多様なライブ演奏を
健康体で過ごす。

奈良の家に帰宅後、
まさかの喉が腫れて、
また風邪っぽい。

しかし、
旅先での緊張感のおかげか、
寝込むまでには至らず。
(すいません。世の中も
インフルやら風邪やら蔓延してますね。
こういう体調不良者が
世をフラフラしてるから拡大するのでしょう。
しかし、一人ひとりの免疫力や、
人類の免疫獲得のためにも、
必要な経巡りと思っています)

*******

帰路、岡山で久しぶりに会う友人。
泊めてもらった、
ほぼ空き家状態になっている
友達の友達の住む古民家は、
家主がインフルエンザで出逢えず。

しかし、
京都で会った
津軽三味線の「寂空」や、
その岡山で会った友人。

夜を明かして
たくさんおしゃべりをした。

僕らは
それぞれの地で
それぞれの個性を用いて
それぞれの経験を
この同じ時代、
同じ国というコミュニティに所属しながら
経験し、
感じ取ってきた。

同じ日本語ではあるものの、
チョイスする言葉が違ったり、
視点が違ったり、
発想や、やりがちなことが違ったりする。

それを分かち合う。
それを分かり合う。

******

2025年は
どんな年になるだろう?

集合意識、
この「時代」という
集合体の
ほんの一端を担う僕。

響きを感じ取る。
自らみずから響かせてみる。

******

この寒気は
気温の低さから来るのか、
体調の悪さから来るのか。

この寒気に
自ら燃焼させる元気があるのなら
燃やした方が好いのか。

それとも
暖かい部屋で
動かず、身体を癒した方が好いのか。

身体の声を聴く。
季節の声を聴く。
世の中の声を聴く。

わかったのか、わかっていないのか。
正解なのか、勘違いなのか。

とにかく
どちらかを選んで
現れる実り「現実」。

季節も、世も、肉体も、
選ばずとも、
経巡りへめぐり、のったまま、
眺めるしかない
現れた実り「現実」。

*********

「命」が「僕」をせて
運んでいる。

僕が出来ることのせめては
詩をり、
詩にせて唄い、
ノって、ノリノリで
来年も歩んでいけたらいいな。
と想っています。

みんなと共にね♪

来年もよろしくお願いします。

*******

2024年の元旦に、
小学生の息子と一緒に
アルバムのタイトル、ジャケットにしようと
気合を込めて書いた書き初めは、
まだタンスに飾ったまま、
音源が完成せず
1年が過ぎてしまいました。

6曲。
ミックスダウンも大体終わり、
あとは全体整える
マスタリング作業のみです。

年末年始、
がんばって作業進めようと思います。

そして、
体調やらで
ランダムになりがちだった
ツイキャスでのライブ配信も、
自分で決めた週に2回、
必ずやっていこうと。

今日、2024/12/31も
11時から
演ろうと決めています。

好きなこと、大切だと思うこと
を、する。

逆に
「好きじゃないこと、
大切ではないと思っていること」に
人生の時間を費やしている自分を想像すれば
わかるよね。

どんな「自分」で
世の中と響き合っていこうか?

大きな響きが創れるからって
それが望まない現実だったら
苦痛を創ることになる。

そもそも
「大きい」とか「小さい」とかって、
それが誰目線なのか、
「定かではなかった」という事実が、
マスコミ」の崩壊や、
歴史で「事実」と言われてたことの
新しい解釈などがあることを知ると、
どーでもいいことと
解釈できるようになる。

*****

変わらずに
一歩一歩。

現実を味わいながら、
創り、現し、実らせていこうと
想います。

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ウクレレ平魚泳
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