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将来「何」になる?という「何」って何?

息子が10歳になり、
同級生との差がつきはじめてるな。

なんて意識を
意識してしまった。

なんか、どっかで、
「習い事を始めて
何かを身に着け始めるのは
10歳頃から」
なんて標語を思い出した。

日々、成長する子ども達。

出来なかった「挨拶」が
出来るようになって、
気持ちの切り替えも出来るようになって、
自分なりにモノゴトを
考えるようになってきている。

*******

学校、というか教育方針で、
読書が勧められている。

本をたくさん読む子は
偉い子だ、と。

*******

先日、
学校で行う持久走大会を
応援しに行った。

サッカークラブに入っている子は
日常的に走っているだけあって、
みんな足が速い。

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僕は
放課後児童クラブで
支援員として働いているのだが、
誰とも遊ばず
読書ばかりしている子は
やはり
持久走は遅かった。

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学びを讃え、
運動を讃え、
何の問題もない。

批判するわけではない。

こういう、
どっちも勧めて讃えるって
いいよね。

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ただ、
ちょっと気づいたことを
書きたくなったのです。

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僕の息子は
1年前、運動神経も良く、
友達からサッカークラブに誘われていた。

保育園から仲良しの友達も
始めていた。

でも、
息子はサッカーには
そんなに関心がなかった。

だから始めなかった。

ユーチューブと
ポケモンカードに
夢中だ。

運動神経が鈍くなった
ってわけでもない。

機嫌が良ければ、相変わらず
家では、歌ったり、踊ったり。

「鈍い」とか「素速い」とか、
こんなことを書いておきながら
僕も息子も、
大して気にしているわけではない。

*******

もちろん親なので、そんな世代なので、
ユーチューブやスマホゲームの
やり過ぎに懸念を示したりも
してます。

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自分が子どもだった時を思い出す。

「マンガばっかり読んでないで
勉強しなさい」

*******

そして、それなりに
子どもの世界に理解を示す。

そして、
今、夢中になっていることが
将来の役に立てば好い
などと考える。

*******

そこで僕はさらに考える。

「役に立つこと?」

大人になった僕は
僕が夢中になれることをやって、
誰かの何かの役に立てているのか?

僕は誰かの役に立つために
音楽をやっているのか?

*****

音楽をしている人は
称えられがちだ。

スポーツをしている人は
称えられがちだ。

「好きなことやれるって素敵ね」
と、称えられがちだ。

優れた結果を出せても
出せていなくても
称えられがちだ。

それはもしかしたら
ポケモンであったとしても、
その界隈に入り込めば、
称え合える仲間が
いたりするのだろう?

「意外とポケモンが
国際交流に役立ったりもする」

役に立てばいいの?
役に立たなかったらどうなの?

*******

「いつか、紅白に出られるように
がんばってね!」

当時、若者だった僕は
当時のおじさん、おばちゃんに
よく言われたものだ。

適当な愛想笑いで流してた。
そんな人は
絶対、僕の音楽を聴いたりはしない。

*******

サッカーが好きで、憧れて始めた子は
自分から体力づくりの必要性を感じ、
走り込んだりしている。

息子には
どうでもいい世界みたいだ。

もともとあった素質も、
磨かなければ輝かない。
でも、
輝いたとしても、
それが自分にとって
どうでもいいことだったら、
派手な装飾が
煩わしいだけだ。

*******

もし、
「悔しい」などと
感じたのならば、
これからがんばればいいし、
あと、
何に対して「悔しい」と感じたのかも、
たどれる術を
後々見つけていってほしい。

その「悔しさ」は
承認欲求かもしれないし、
自己実現欲求かもしれないし。

運動神経は必要なのか?
優秀な成績、評価は必要なのか?

何が、欲しいのかな?

そんな萌芽を感じながらも、
まだまだ無自覚な
少年少女達は、
まだまだ分け隔てなく
競技が終わった後は
じゃれ合っている。

僕は
今と過去と未来を
愛しく眺めている。

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ウクレレ平魚泳
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