誰からも必要とされていなくても
例えば、
僕の家族が、
顧客が、
消費者が、
友人が、
ユーザーが、
プロデューサーが、
プロモーターが、
ディレクターが、
マネージャーが、
スポンサーが、
オーナーが、
僕の何かを見込んで、
オーダーしてきたとする。
それが有償であるとか無償であるとかは
今はどうでもいい。
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例えば、
僕の「音楽家」というアイデンティティを見込んで、
作詞や作曲、ステージに立つこと、
レコーディング、ウクレレ教室などを
望まれたりする。
それはとても有り難いことで、
自分を必要としてくれた嬉しさも去ることながら、
新しいインスピレーションの扉が開かれることが
何よりも有り難いと感じる。
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その仕事の依頼で、
あらためて勉強させてもらえる機会を得たり、
自分一人では
絶対創らない(創れない)であろう作品が
創れたりする。
演劇の芝居の役者なんて、
見込まれて頼まれない限り
やらなかっただろうし、
その後、その演劇集団で、
お芝居のBGMを担当させてもらった経験などは
本当に有り難かった。
依頼のおかげで、
台本読んで、インスピレーションと共に
ウクレレを奏で、
録音したり、楽譜に記憶を記録する。
いつもいる、公園のあずまやが、
その時だけは恥ずかしくなく、
「俺、仕事してます!」っていう
勝手に誇らしさがあった。
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先のnoteに書いた、
FMで何か話さなくてはいけない
プレッシャーから書いた
「鬼」の物語も、
結局、何の評価ももらえなかったけど、
好い刺激になった。
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もう2年は過ぎたかな・・・
とある機会で、
花を生ける先生と、
即興で音楽と合わせる
比較的大きな舞台の話があった。
そんな機会のおかげで、
自分の楽器の即興力を鍛え直そうと、
その期間は日々、楽器を触り、
自分のクセだけではなく、
その瞬間に鳴らしたい音について、
立ち止まっては確認して、
日々、鳴らすべき音に
感覚を研ぎ澄ました。
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他にも、
子ども向けだったらこうしよう。
大人向けだったらああしよう。
近所の喫茶店で始めたStand FMの
BGMを依頼された時も、
有り難いインスピレーションだった。
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でも、でもだよ!
いつも、そんな仕事の依頼があるわけじゃない。
本当に
有ることが難しい、
有り難いエッセンスなんだ。
と、僕は人生を通じて思い知ったのでした。
これらの機会が継続的に
依頼されていたら、
もしかしたら、
僕はその道の「プロ」に
なれていたかもしれない。
でも、この「たられば」が
叶った道は
僕には想像(創造)出来ないでいる。
その道で成功されている方々が
たくさんいることも、
雑誌や、ネットのインタビューなどを読めば
よく存じております。
でも、それは僕ではなかった。
という話。
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誰からも
求められていない時、
何をする?
それをやっても
お金にならない、
多くの人から求められて
いるわけではないことを
なんで
やり続けるの?
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「みなさんのおかげで
ここまで来ることが出来ました」
と、
感謝できる人生は素晴らしい。
Well being、誰かの喜ぶ姿が見たい、
社会貢献、快適な暮らし、
誰かが求めていることをする、
必要とされる仕事をして生きる!
なんて素晴らしい人生なのでしょう!
でも、「それ」が、
必要とされてなかったらどうする?
やめる?
別の「今、多くの人が求めていること」を
探す?
それとも、
ニッチなニーズのある市場を探し、
自分の仕事をデザインする?
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誰からも必要とされてなくても、
僕が、僕として必要なことをする。
「僕」の持っている素養で
貢献できることがあれば
協力します。
でも、
そんな仕事がいつもあるわけじゃない。
そして、生きて使える時間は限られている。
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誰からも必要とされてなくても、
創る詩があり、音楽がある。
それこそ、
ニッチなニーズに届いてくれたら嬉しいし、
ニッチなんかじゃない、
誰の心にも、周波数さえ合えば、
届く詩だと信じて唄っている。
少なくとも、
過去に生きていた、若かりし「僕」に
届けようと唄っている。
だから、
そこから考えると、
いろいろな仕事の依頼など、
人生に於いての「亜流」であり、
ニーズを満たす「社会貢献」など、
「価値が無い」とは言い難いが、
別のWell beingなんだと感じる。
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人生が
あまり売れなくて
よかったとも感じる。
周囲の期待に
応えられなくて
よかったとも感じる。
「たられば」言っても
仕方がないんだ。
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僕には
描きたいものがある。
あまり
仕事の依頼が来なかったおかげで、
長年かけて、
描きたかった詩が
描けるようになってきている。
まだまだ時間が足りていない。
youtubeの視聴者数が
全然伸びているわけでもないが、
コロナ禍、絵も描けて、
創りたかった絵や、音楽を録音できて
よかった。
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「誰かが喜ぶことをすることが
人生に於いて大切なことなんだよ。
そんな仕事を探すんだよ」
「自分は
みんなが笑顔になれる仕事を
していきたいんです」
などというキレイゴトが
最優先されて、
皆の人生が進められようとしている。
「やりたいことを探す」って何?
「みんな喜ぶwinwinなことがやりたい」
って何?
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僕に、
他の人の人生はわからない。
多くの人が言っている
「大学に行って、
やりたいことを探す」
っていう意味がわからない。
探さなくても、
幸か不幸か、10代の思春期を期に
「やりたいこと」が
見つかってしまった。
でも、それは
やらないと何も始まらず、
「将来〇〇になる」という
「〇〇」と、
一言で言い切れるものじゃなかったから、
本当に
そうやって生きるしかなかった。
「音楽家」「ミュージシャン」
「ウクレレプレイヤー」などという
名札を付けては、
自分で道を見誤りそうになった。
「詩人」が今、
恥じらいを捨てたら
一番近いかもしれないが、
「詩人」って何よ?
と言われたら、
本当に
これからも
生きて
道を示すしかなくなる。
やらなきゃな・・・
「説明」できるんなら
「詩」は要らない。
詩が要る。
だから
「モデルケース」には頼らずに
そう生きるしかないんだよね・・・
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あ、
すいません。
僕、牡羊座なもんで。
「I am」
こんな生き方と
こんな表現になってしまうみたいです。
人はそれぞれ。
僕は・・・見えないんだよなぁ
他人が(笑)。