有機的な世の中
夜11時。
LIVE配信を終えて、
大きな人気のない公園を歩く。
外灯が明るく、
光と影と静けさが幻想的。
でも、
「誰かに襲われでもしたら怖いな」
ふと、そんなことを想ってみた。
いや、こんなおじさん、誰も襲わないか…。
なら、僕が若い女性だったら?
さすがに身の危険を感じて、
こんな場所を一人で歩かないに違いない。
いや、
僕が「怖い人」の立ち場かもしれない。
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こんな物騒な場所、
夜、立入禁止にすればいいのに…。
そう想ってみた。
そして気付いた。
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社会は
ルールに拠って機能するわけではなく、
人々の意識に拠って機能するもんだ。
と。
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今の社会は、
リスク回避のために
あっちもこっちも
柵をして、
「立入禁止」の看板を貼る。
気がつけば、
指定された道しか
歩けなくなっている。
ブルーオーシャンであったであろう
インターネット社会でさえ、
20年も経てば、
どなたかの監理と監視で
統制されている。
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「夜は危険だ」
このプロパガンダを流布すれば、
誰も夜、外に出られない体制も
確立出来るだろう。
ただ、
強姦、痴漢、暴漢の危険はあるけど、
デートや逢引きの空間にも使われるはずだ。
昔はよく、
公園でギターを練習している若者もいて、
仲良くなったり、
一緒にタイコ叩いて
踊り明かしたりした。
もちろん、警察が止めにやって来たけどね。
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コロナ禍前まででも、
絶滅寸前だった、
路上を居場所にする人達も、
コロナスプレーで
一斉駆除された感じだな…。
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公園で楽器を弾いていたことを告げると、
「聴いてくれる人いた?」と、
知人との会話になり、
「誰も聴いちゃくれないでしょ」と、
僕の母親は言った。
誰かに聴かすつもりではない。
でも、
変な人によく絡まれたりした。
今は、
街の路上で歌っても、
あまりそんなことは無さそうだ。
現実は
スマホでLIVE配信や、
リア充投稿した方が、
少なくとも、路上での通りすがりに
何かを期待するよりも、
何かに期待出来る。
僕も
そっちの思考になってしまった。
路上で
「知ってる曲歌ってよ」と絡まれるより、
LIVE配信で、しっかり詩を聴いてくれる人が
一人でもいるのなら、
そっちのほうが
なんか、実りがあるように感じる。
でも、
居場所の無い人の居場所。
個人の工夫で居れる場所。
用途の決まっていない場所。
自由になれる場所。
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自由な人は、
誰かの自由を奪うような真似はしない
と想う。
有機的に、綾なして、
有り様を変化、進化、
適応させていくためには
ある程度の遊びが必要だと想う。
変化させず、
固定させたい人達も
一定数居るだろうけど、
摂理には
反するだろうね。
無理。
だから不安になるんだ。
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安らかに在ることを
心がけよう。
変化することだけが
不変の真理。
じゃ、ま、
「今」を嘆いても仕方ないか(笑)