自分の人生に積極的になれない社会
先日、
我が地域で実践した地域通貨の経験を
noteに記しましたが、
ちょうど、誰に見られてるのかわからないけど、
偶然、流し見していたyoutubeで
「あ〜ここから来たんだ」
っていう説明をされているチャンネルを見たので
そこにこんなコメントをさせてもらいました。
もうちょっと
自由に書かせてもらいたくて、
自分のnoteに書くことにしました。
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この「通帳記入型地域通貨」を
実践してうまく廻っているオーストラリアのマレニー
っていう町には興味が湧くし、
この出店不明の寓話も面白い。
でも実際、
このような地域通貨ゲームを実践して、
主体的にこのゲームを楽しむ覚悟
がなければ、
やっぱり楽しめなかった。
ってことなのです。
だからもちろん
つまらないと思ったゲームは
勝手にやめればいいだけだから
僕みたいな輩は抜け、
このプロジェクトも瓦解してしまっているんだけど、
この経験を通して、
問題は
「自分の人生に積極的になれない社会」が
現出している人生の人が
多くなってしまっている現実なんじゃないかと
思うようになりました。
あ、もちろん、
こんな感想が「僕」だけで、
世の中のみんなは
楽しくこの「マネー社会」のゲームをやってますよ。
っていうんだったら、
勝手に僕が僕自身の問題と向き合って、
より楽しい世界にいる仲間を
探すだけなんですが、
どうも日本自体が、暗澹たる時代を生きている風な話を
よく聞くんで・・・。
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僕自身は、
この地域通貨の経験を通して、
「価値を主張すること」に
抵抗感を感じている自分を感じた。
売って来る圧にも疲れるし、
自身を売らなければ!
というプレッシャーにも疲れる。
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日本人って
どちらかというと
そういう民俗なんじゃないかと
思ったりするんです。
大人しい体質は
戦後のGHQに創られたとしても、
江戸時代の話を聞いても、
「軽いな〜」
と思うんです。
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いろんな人がいても好いと想う。
口八丁手八丁で
世の中を渡ってしまえる人がいてもいい。
でも、
そんな主張が苦手な僕には
「価値を付ける」という主義自体に
どうやら多くの挫折を引きずって
重たくなってしまっているみたいだ。
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そんな傷を少しずつ癒やし、
みんなが晴れやかでいられる社会に
「通貨」という手法は
どれだけ貢献できるのか。
どのような活用の仕方が適切なのか。
あるいは別の手段が適切なのか。
超えていきたいな、と想うのです。
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まずは
自分が在るべき姿、
在りたい姿になって、立って、
壁を感じ、
そこに触れて、
壁伝いに歩く。踊る。
世界は当然変わっていくし、
自分も当然変わらざるを得ない。
創造と破壊。
繰り返していきましょう!