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千葉でのLIVEのふりかえり

先日、4/28~4/2にかけて
空き家になった千葉の実家へ、
定期的な片付けも兼ねて
帰省してきました。

今年で10歳になる息子が
春休みに入ったので
一緒に2人で帰りました。

「パパと一緒に行きたい」
なんて言ってくれるタイミングも
今のタイミングだけなんだろうな・・・
そんな想いも一緒に。

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ここ数年、
実家に帰る度に
ライブをさせてもらっているお店が
あります。

西千葉駅の近く、
ブックカフェの「平凡」さんです。

いつもは平日の夜に演らせてもらうことが
多いのですが、
今回、子ども連れということもあり、
土曜日の昼間に設定させてもらいました。

いつもお客さんは
1人から3人くらい。

それでも機会を空けてくれくれる
お店や、お客さんに感謝。

音楽を演り続けられる。

しかも、
純度高く、
リラックスして、
その時、表現したい楽曲を
ウクレレ1本、アンプラグドで
演奏させてもらっている。

こんなライブを全国各地で
拡げていけたらいいな・・・。
そんな理想の機会になっています。

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でも数字がね・・・
数字が伸びないと、
活動は先細るものだよね。

でもね、
減って、減って、
最後に残るもの。

無くして、無くして、
それでも残るもの。

それは信頼できるもので、
大切にすべきもので、
どうしょうもなく
仕方のないもの。

それで触れて生きるもの。

そこに触れて生きるもの。

もっと減らせるかもしれない。

そして、それは
手放したくないものだと
氣付く。

誰もにとって
なくてはならないもの
ではないのに、
僕自身が選んでいる
なくてはならないもの。

総じた地球、生命にとって
命とは
生まれ、死に。
巡らなくてはならず、
それが自然なことなのに・・・

僕自身が選んでいる
なくてはならないもの。

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今回の西千葉「平凡」ライブに、
この過去数年に
一度は来てくれた
友人知人、お客さんが、
5人も!来てくれた。

noteで繋がった方も
遥か西東京の方から来てくれた。

一度っきりの出会いではなかった。

忘れられていたわけでもなかったし、
むしろ、
いつかまた、平魚泳の音楽を聴きたい。

偶然の出会いではなく、
能動的に
平魚泳の音楽を
聴きたい。と思って
もう一度と、足を運んでくれた。

飾らない僕で、
表に現したい詩たちを
歌わせてもらっている場に
もう一度、
足を運んでくれたのだ。

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ゼロではない。
5人もいる。
でも
5人ではダメだ。

もっと要る。

そんな
人を数で勘定する世界で
生きるのか?

僕の音楽は
それで活きるのか?

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売り上げを上げるために
しっかり対策しないとダメだ。

売り上げの伸びるところを
しっかりリサーチして、
そこに投資すべきだ。

なんちゃってね・・・

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この平凡ライブの翌々日、
縁あって知り合った
学童で、子ども達相手に
ウクレレの特徴、
音楽、「表現」というものを
僕の出来る限りで説明し、
結局は
子どもでも楽しめるであろう
僕の中の面白い詩を歌った。

アンコールで「パプリカ」を
歌った。

学童のスタッフさんは
僕の上げたyoutubeで練習していたらしい。

嫌なわけではないです。

とても刺激になります。

僕も今、地元の学童で働いたりもしているから、
子どもへの慈しみ、
年齢ごとの特徴なんかも
感じながら楽しいです。

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「芸術鑑賞会」という称号で
領収書を切って
それなりのギャラがいただけました。

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どんな風に
自分をプロデュースすれば
人気が出るのだろうか?
売れるのだろうか?
ギャラをもらえるのだろうか?

そんな策略を練るのは
自分の領分ではないと考える。

それは仕方がない。

長年の経験の積み重ねです。

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ずっと、
センスのないスタイルでやってきた。

「これならいける!」
と想ったスタイルがいかなかった。

そもそも
そんな社会的な「成功」を
求めていなかった。

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生きている実感がほしい。

日本って、
本当はどれだけ広くて
どれだけ狭いのか
実感で確かめたい。

そんな経緯で
歩いて旅をし、
途中から自転車をリサイクルショップで
購入して、
あちこちを旅した人だ。

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そんな自分の経験を
主張するのも嫌で、
にわかに「旅の経験の講演会でもやったら?」
なんて言われたことに
ものすごい違和感を感じた僕だ。

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高校生の時から
駅前でギター弾いて歌い始め、
何かのサクセスストーリーに
導かれるんじゃないかと
期待していた序盤。

そもそも
音楽を聴く場ではない路上で
誰も聴いてくれないと
嘆くのは筋違いだな・・・と
悟った後も、
街へ通い続けた。

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誰も待っていないのに
自分で決めて、
自分が演る。

成りたい「自分」になって、
愛おしい世界と出逢う。

素通りされても、
絡まれても、
お金が入らなくても
関係なかった。

立ち止まってくれて、
聴いてくれて、
笑ってくれて、
お金を投げ入れてくれたりしたら
嬉しかった。

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お気に入りの「自分」になる。

そんな詩を紡いでは
歌い、
歌っては
好きな「自分」になっている。

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だから
歌える機会があることは
とても嬉しく
有り難い。

そんな、なかなか
有ることが難しい現状でも
僕はなんとかして
有らしめる。

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これを失って、
社会に都合のいい人に
なるわけにはいかない。

憲法の一番素晴らしいところは、13条の「全て国民は個人として尊重される」っていう一文。もう本当に全てを象徴してると思うんだよね。個人なんだよ。
自民党の改憲案では「人として尊重される」って「個」を消しちゃってるけど「人として尊重」って憲法に書く話じゃないよね。個人として尊重されることってすごく意味がある。社会のための個人じゃない、個人のための社会なの。
岡林信康の『私たちの望むものは』という歌の「私たちの望むものは社会のための私ではなく 私たちの望むものは私たちのための社会なのだ」という歌詞に繋がる話で。そこがもう憲法の理念そのもの。こんなロックなことないよ。

https://www.bengo4.com/c_18/n_17127/

日本国憲法が
今の社会で有効になっているかどうかは
怪しいけど、
「想い」は誰にも奪えない。

いや、譲らなければね。

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今後どうなるかはわからない。

出来ることを
出来る手段で
演り続けます。

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週2回、
ツイキャスでライブ配信も
続けています。

西千葉ライブも
5人のお客さんに
支えてもらうことを
期待なんかしても
お互いに重荷だよね?

ツイキャスライブも
5人くらいの観客を
コメントくれたりしているから
認識している。

で、
平均、いつも2人くらいの視聴人数の中
やっているよ。

ゼロの時も増えてきた。

それでも
みんな、それぞれの暮らしがあるだろうし、
その5人にいつも観ててもらうことを
期待してもお互いに重荷だね。

ならば、もっとファンを獲得する方向を
研究すればいいんだろうけど、
僕は
ツイキャスライブ配信で、
いつも気持ちのいい野外を探して、
「独り」の空間を
誰かに届けることが出来る!

こんないつかの2000年代に
夢見たことを叶えられているんだから、
この手法で満足なんだ。

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成功するための対策としては
「やり続けること」。

また今回の「平凡」ライブで
変なこと学んじゃったな(笑)。

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さて、
今日も15時のライブ配信に向けて、
1日、出来ることをやろう!

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。