HIRARIの自己紹介
自己紹介を書こうとして
書きたい物語が先行してしまい後回しになっていました。
まだ書きたいのはあるけれど、そうしているうちに忘れそうなので…
ここで自己紹介をしていきますね。
とはいえ、自己紹介はあまり得意ではないので、大きく3つに分けてお話します。
まずは経歴から。経歴が淡白なので合間にちょっとずつ小話を。
経歴(小話を添えて)
◆1995年1月生まれ/沖縄県中部出身
◇5つ下に仲の良い妹がいる。両親も含め、デザイン・アート系が好きな家族。
お絵描き用家具やレゴブロックテーブルがあって、モノ作りを自由にさせる家だった。
レゴで遊ぶ時は、設計士の父の真似で、黄色の子ども用ヘルメットをしてた。
◇曽祖父母の影響で、日本・沖縄・アメリカ(独英も少し)が混じった文化で育つ。
生まれた時からHalloweenやThanksgivingDay・クリスマスは大きな行事。
家族みんな集まる風物詩だったから10月〜12月は今も大好きな季節。
◇幼少期から絵を描く事、モノを作る事、本を読む事が好きだった。
歩き始めとクレヨンを持つ時期が同じくらい。
本棚の下段に入り込んで本を読んでたし、時に食してたらしい。本を。
◇先天性股関節脱臼だった。
ギブス・入院・手術・リハビリを6歳くらいまでに何回か経験した記憶。
幼稚園3年間で最後の運動会は、練習から本番まで丸々登園出来ない時期だった。
年長さん花形種目「パラバルーン」は、いまだに一度は触れてみたいほど憧れ。
寝たっきりだったり、歩行をはじめから練習したりだったけど嫌な記憶は無い。
両親や支える家族がいたからだと思う。消毒の赤い薬と点滴の入れ替えくらいかな?
◇お金に困っている時期が長らくあって、親の苦悩をより感じ始めたのは小学5年ごろ。
そこから将来の夢が分からなくなり、いつも将来の夢の記入欄に困っていた。
それでも手放せないものが「モノ作り」だった。
◇高校生の時に大きく体調を崩し、学校に通うことだけで必死だった。
1回休んでしまうともう戻って来れないと感じていたから意地で3年間皆出席。
3年生の時はピークより少し安定していたから、どうにか得意科目は伸ばせた。
おかげで一本受験したところに進学できた。
◆2013年4月 琉球大学 教育学部 学校教育教員養成課程 美術教育専修 入学
◇通称「美術科」の先生方・同級生・先輩・後輩に本当に恵まれていた。
少人数の学科で、飲み会は先生も参加だったから、幅広い話が出来て楽しかった。
ゼミもわがままを言って、自分1人なのに2人の教授についてもらっていた。
同級生3人が彼女たちだったから、4年間が充実していたのは間違いない。
◆2017年 同大学 卒業
◆2017年 同大学院 教育学研究科 教科教育専攻 芸術表現教育専修 美術教育領域 入学
◇少しずつアートの場に顔を出したり、話を貰って参加したり・・・。
2人展、グループ展で様々な人と出会う機会を得た。
卒業・修了展では、個展も。
◇2週間弱ベルリンへ。先生宅に居候しつつ、授業の一環で展示に参加。
また、日独センターでアーティストのお手伝いをする機会も。
沢山の美術館があるけれど、一ヶ所一ヶ所の規模が大きく、全然回りきれなかった。
日本語しか喋れない自分が、海外で色々な場面をみることが出来た貴重な経験。
◆2019年 同大学院 修了
◇大学院修了後は、非常勤職員の側、アーティストとしてグループ展・企画展に参加。
◇半年ほどで体調が再度悪化。後に検査入院にて持病が発覚したり・・・。
体調優先のため、アーティスト活動を休止。
…経歴に対して小話が多くなりました。
他にも、小・中のいじめの話だったり大学でミュージカルに関わった話だったり…。
1つ思い出すと芋づる状に記憶との邂逅が。
特に大学・大学院時代は紹介したい人たちも多いです。
経歴は淡白の約30年の人生でも色々ありますね。
これ以上はあまりにも長くなりそうなのでそれはまた別の機会に。
ここから先は大学・大学院で何を研究していたかのお話、今とその先の話を。
大学・大学院での研究の話(アーティストの卵を名乗っていた頃)
美大などでは一つの専門分野を4年間学び、研究していく事が多いようですが、
通っていた大学の学科では、1つの専門分野だけでなく、美術に関する様々な事に触れることが出来ました。
絵画・歴史・デザイン・陶芸・織染・教育美術・彫刻など…。
3年生までにこれらを学び、4年生で1つの課題を研究する形なので、美大のような特化した技術に関しては少し弱い所があるかもしれませんが、多くの手段を選び取ることができます。
私がそこで研究していたのは
【「記憶、あるいは白昼夢」における総合表現】。
難しいので詳しい話はまた別の記事で書こうと思いますが、修了にむけて行なった個展の簡単な説明だけ。
私の研究は、“私”の欠片である「記憶、あるいは白昼夢」をどのように表現するか、というのが課題だったので、研究テーマに総合表現という言葉が入っていました。
最終的に個展で使用したのは、独特な形の展示会場・散文詩のような物語・オチバモドキに書かれる言葉たち・数ヶ月かけて一枚一枚集めたホルトノキの落ち葉・来所者の落ち葉を踏む音・心もとない薄地の布とそれに縫われたよりむらの糸と・・・。
一つのモノで表現ではなく、いくつもの複合でやっと出来上がる表現。
ある“個人”を形成する欠片「記憶、あるいは白昼夢」らしい、あの時の自分にできる精一杯の、作り手にも読み手にも一筋縄ではないモノの表現が出来たなと思っています。
とはいえ本当に難しく、私と教授たちの中では、来ていただいた方の一割に理解してもらえるかどうか・・・と思っていました(表現者としては、最低三割の方には理解してもらえる方がいいかと・・・)。
以上が、大学・大学院で何を研究していたかの大まかな話でした。
今・・・その先の話
さて。これまでを経て、今のHIRARIはというと・・・無職です。
体調に振り回されているうちに職場の契約期間と病院との兼ね合いで退職し、色々としているうちに時間が経ってしまい、家計も火の車。
それでも両手のひらには、粉になったものの、しつこく張り付くモノツクリへの思い・・・もしくは執着が。
誰かのものと比べると貧弱で、自分の弱さ・才能に泣きたくなるが、本当は酸素と同じくらい自分の生と繋がっている、どれだけ強く握っても光が漏れるこの手のひらを切り落とせなかった。
だから、改めて【HIRARI】というアートの裾にしがみ付いていた人物を生きようと思います。
HIRARI の第二の人生、開幕です。
再出発やお金・体調への不安と、これから先への期待、小さな意地を添えて。
これまではアーティストという言葉を使っていましたが、少し自分には合っていない気がしていました。
しかし、このnoteで、全てのモノを生み出す“クリエイター”の文字を見て、「あっ。これだ」とピントが合った感覚がありました。
だから、【HIRARI】は「“アート”と“言葉”のクリエイター」。
うん、今はこれがしっくりきます。
この人生でやってみたい事がいくつかあります。
意地はあるけど弱いところがあるので、皆さんはお手数ですが、HIRARIを鼓舞するために、お付き合いください。
(私と同じような方がいらっしゃいましたら、よければコメントに目標を書いて、一緒に皆さんに尻叩きされましょう・・・)
生まれては消える空想たちを物語として書き留める
エッセイを書いてみたい
絵を描く
シリーズものを作りたい
絵本のような絵と言葉のハッピーセットを作る
個展をしたい
モノツクリで生活していきたい
誰かの好きを生み出したい
誰かの宝物を作りたい
今思いつくのはこんな感じ。また増えたりすると思います。
本当は公開するのが怖いです。
理解して受け入れたはずの自分の無能さを更に突きつけられる気がして。
だから今まで誰かに自分の目標を話すことはあまりしませんでした。
でもやると決めたから。
泣きそうなのを堪えて、これは武者震いだと言い聞かせて。
これがいつか誰か1人の手を握る事になるといいな。
ここまで見てくださった方、こんなHIRARIですが
宜しければ、これからよろしくお願いします。