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そもそも“カワイイ”って何?

前回の記事の文字数がちょうど5555文字だったことを誰かもっと褒めてください。


さて、相も変わらず順調?にサンリオファンとしての日々を歩んでいるファラオさんだが、実は時々ふと疑問に思うことがある。

そもそも何かを“カワイイ”と思う感情は一体どこから来るものなのだろう?


サンリオ好きになって初めて本格的に“カワイイ”という文化に触れ、クロミ様やキティちゃん、他多くのサンリオキャラクター達の可愛さに当たり前のように日々癒されているわけだが、なぜサンリオキャラクターに対して“カワイイ”という感情を我らは抱くのだろう?“カワイイ”とは何なのか?今回はその“カワイイ”について深く掘り下げてみたいと思う。
(とはいってもここまで書き進んだ今現在、自分の中でまだ答えは出ていない状態なので、行き当たりばったりで書きながらなんとか最後にはちゃんと結論が出るようにしたいと思っている。果たしてどうなることやら…)


そもそも自分自身を振り返って考えてみると、僕がサンリオキャラクターに対して“カワイイ”と思う感情にはどうやら段階があるようである。

その段階とは以下の通り。

【第一段階】
和む

【第二段階】
笑けてくる

【第三段階】
泣けてくる


第一段階の「和む」に関しては多くの人が共感してくれるところだと思う。可愛らしい動物などを見たときにほっこり癒される感覚と全く同じである。

第二段階の「笑けてくる」に関してはどうだろう。僕は割とよくあるのだが、キャラクターのあまりの可愛さに、その可愛さがどこか非現実的なものに見えてつい笑けてきてしまうのだ。シュールな絵画を見ているときの感覚にも近いものがあるかも知れない。

そして第三段階の「泣けてくる」。これに関してはある程度年齢のいっている人ならわかる感覚だと思うが、大人になると社会のいろいろな黒い部分を見る機会が多くなる。その度に少しずつ心にストレスを溜め込んでいってしまうわけだが、そんなときにサンリオキャラクターのあまりにも純粋無垢な可愛らしさを目の当たりにすると、疲れた心がすーっと浄化され、「世界がこんな子ばかりならどれだけいいことか」という感情とともに自然と涙がこぼれてきてしまうのである。
またショーを見ているときなど、可愛らしいキャラクター達が一生懸命頑張っている姿を見ているだけで泣けてきてしまうときもある。これはおそらく大人になればなるほど「はじめてのおつかい」や子供の学芸会などで泣いてしまう現象と同じで、中高年の一種の病気である。

ちなみに上には書かなかったが、時たま第二段階「笑けてくる」からそのまま第三段階「泣けてくる」に行かずに、枝分かれして別段階の「混乱」に達する場合もある。あまりの可愛さに頭の中がぐちゃぐちゃになり、「なぜこんなにもカワイイのだろう?」という無駄な疑問が頭の中に湧いてきてしまうのである。「笑けてくる」の発展形である場合が多いのでシュールな絵画を見ているときの感覚に近いものがある。

ちなみに現状第三段階までのハードルはそこまで高くなく、おそらく今後年齢を重ねるにつれよりハードルは低くなっていくと思われるので、もしかしたらまだ見ぬ第四段階の「気絶」に達する日もそう遠くない未来に来るかも知れない。


とまあこのように僕個人の“カワイイ”と思う感情の段階について説明させていただいたが、ここまでの内容はあくまで“カワイイ”と思った「結果」どうなるかの話でしかない。そもそものテーマは「人はなぜ“カワイイ”と思うのか?」という「原因」の話である。つまり段階云々の話は別に読む必要はない。無駄な話である。行き当たりばったりで書くとこういうことになるのです。どうもすみませんでした。



というわけで今回の本筋である“カワイイ”と思う感情がそもそもどこから来るのかについてだが、思うにそれは対象が自分に危害を加えない、または加えたとしても余裕で対処できることがわかっているというところから来る絶対的な安心感を“カワイイ”と形容しているのではないだろうか。だからこそ邪念を感じさせないものや小さいものに対して人は“カワイイ”という感情を抱きやすいのだと思う。

そういう意味でサンリオキャラクターは皆邪念がなく体も小さいキャラクターが多い。クロミ様なんかはサンリオキャラクターの中では邪念がある方ではあるが、別に何もこちらをぶち殺そうとしてくるわけではない。人間的な素直さがあるだけのただのいたずらっ子である。笑えないレベルの危害を加えてくるわけでもない以上安心して“カワイイ”と言える範囲を逸脱することはない。

とはいっても邪念がなければ何でもカワイイのかというと、そういうことでもない。人には“カワイイ”と感じるストライクゾーンのようなものが確実に存在する。
例えば何の変哲もないただの発泡スチロールに対して“カワイイ”と思う人はほとんどいない。それが無害だとわかっていてもだ。しかしその発泡スチロールがもしウサギを型取っていたらそれを“カワイイ”と見る人は格段に増えると思う。同じ無害でも動物を型取ることで急に可愛く見えるというのは、そこに明確なストライクゾーンの境界線があるということなのだろう。無機質に見えるか、または生命力や温度のようなものを感じられるかという差もあるかも知れない。

また別のパターンだと、動物が時たまふと見せる人間っぽい仕草に対して人は“カワイイ”と感じることも多い気がする(猿回しなどの芸をする動物がわかりやすい例だろうか)。そしてその逆に人間が時たま見せる動物的な仕草に対しても“カワイイ”と感じる人が多いように思う。それは天然ボケなどである種の純粋さが垣間見えたり、アイドルなどが動物の要素を取り入れた衣装を着たりすると可愛く見えるのがいい例だと思う。
つまり動物的要素と人間的要素をバランスよくミックスさせたところに一定数以上の人が“カワイイ”と感じるストライクゾーンが存在するのだろう。あまりに動物らしく本能むき出しだったり、あまりに人間らしく理性的すぎるとそのストライクゾーンを外れてしまうということだ。
そしてそのストライクゾーンの根底にあるのはやはり無害でありながら温度を感じさせる「安心感」だろう。お笑いでいうところの『緊張の緩和』(桂枝雀師匠が提唱したお笑い理論。その名の通り緊張の空気をふっと緩ませることで笑いは生まれるという考え)にも共通する部分があるかも知れない。

少し話はずれるがお笑いにもストライクゾーンというものはあって、まず場の流れの中で誰もがわかりきっていることをいちいち指摘(ツッコミ)することは見ている側からするとくどく感じられて笑いにはなりにくい(スピードにもよるが)。逆にシュールな笑いを求めてただ誰も共感しない意味不明なことを言ってもそれはそれで笑いにはならない。浅すぎず、それでいて人の記憶を刺激して感覚的に共感、共鳴できる範囲を狙うことが重要なのである。もちろん共感にはある程度の個人差があることが前提ではあるが。


このように“カワイイ”にも“面白い”にも一定数以上の人に届くストライクゾーンというものがあって、そしてそれは他のあらゆるジャンルにも当然存在するものである。

そこへきて日本が生んだ“カワイイ”文化の最高峰であるサンリオキャラクター達は、見事なまでに動物的要素と人間的要素を絶妙なバランスで兼ね備え、その上子供ならではの可愛さやアイドルならではの可愛さまでも持ち合わせているという、まさに“カワイイ”の究極形態ともいえるカワイイ存在なのである。


だからこそ僕は何度でも言いたい。


社会の黒さに疲れ果てた大人達よ。心からの癒しを求めるのであればサンリオキャラクターのいるいちご王国に来ればいい。いちご王国はパスポートも入国許可証もいらずローソンのように誰でも気軽に入れる素敵な国である。そこで愛を知り、笑ったり泣いたり混乱したり気絶したりすればいい。

自分に友達はいない、少ないと思っているあなた。あなたが例えどう思おうとサンリオキャラクターはあなたを友達だと思っているぞ。



行き当たりばったりで書いた割には何とかちゃんと結論出せた。そしてちょうど3333文字。

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