20240622 真秀なる月を見上げるみたいに
客観性、ということについてしばしば考えることがある。高校生の頃、毎年その年の卒業生が受験の合格体験記を書いてくれて、地元の国立大学である名古屋大学の医学部に現役で合格した人が「常に自分が勉強するのを隣で見ているもう一人の自分をイメージするとよい」とイラスト付きで書いていて、「そんなものか」と思っていた。
▼普段生きているのはどうしても主観の毎日なので、自分自身を醒めた目で客観視するというのは難しい。仮に客観視できたとして、その冷静な分析に基づいて行動を積み重ねていくというのはまたかなり尋常ではなく難しいことだとも思う。人は怠けるしだらけるし、自分自身が快適なコンフォーテブルゾーンで日々の行動をなんとなく決めてしまっている。
▼筋力トレーニングもまたそうで、自分一人でトレーニングしていると、ほとんどすべての人が自分の限界まで自分を追い込むということができない。これはパーソナルトレーニングといってトレーナーの人にくっついてもらって60分なり90分なりトレーニングしてみるとよくわかるのだけれど、自分が思っている限界というのは実はかなり本当の限界よりも手前にあって、人から声を掛けてもらうと、思っているよりも重量も回数も挙げられたりする。たまに放っておいても自分一人で限界を突破しまくっていく選手もいるけれど、それはやはり少数派だったりする。
▼ここで話を演劇、それも舞台に立つ俳優ということに絞ると、もっといろいろややこしくなって、難しい。舞台の上に立っている自分を客席から見ているようにイメージしてよく自分を制御せよ、というのは世阿弥の花伝書の「離見の見」だけれども、これは本当に奥義なのだな、と思う。演劇というのが舞台上の俳優一人ではおよそ成立せず、常にそれを見ている観客がいて、かつその観客の内面で生成されていくのが演技なのだとすれば、それはどうしたって常に俳優のコントロールできるものではないからだ。
▼主体であり同時に客体でもある、ということがどうやったら可能になるのだろう、と考えはじめると、頭の中にマシュマロがどんどんできていくような気持ちになる。舞台の上にいながら、客席にいる観客の目から自分自身を見て、最適化する。まあ(多少乱暴ではあるけど)シンプルにそういうことができればいい。そうしてその観客というのは、自分とはまったく異なる人間であるということを、想像し続ける。
▼どこかでもう一人の自分自身に向けて作品をつくっているという意識が、これまで少なからずあった。でもたぶん(やはり)それだけでは足りないのだ。何かもっと普遍的なもの、あるいは何かもっと普遍的な基準、何かもっと圧倒的な質、みたいなことを考えて追求していかないことにはここからもう一段上へといけなさそうである。「月ほど願って豆だけ叶う」のだとすれば、私にとっての演劇の満月を、満ち満ちたまん丸の月の姿を、目を凝らして想像していなければ、と思う。
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平泳ぎ本店/Hiraoyogi Co. 第8回公演
戸山公園野外演劇祭参加作品
『若き日の詩人たちの肖像』
2024年 5月17日(金)ー19日(日)
各日18時30分開演(17時45分受付開始・開場)
※雨天決行
於:戸山公園(箱根山地区)陸軍戸山学校軍楽隊 野外演奏場跡
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【公演詳細】
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