20240308 よい舞台を見ると私の心は翔んでいく
学生時代に一応は演劇コースというところにいたものの、当時は私自身、演劇というものに対する造詣がそれほど深かったわけではなかった。その専攻へ進む前にざっくりとイメージしていた「いわゆる演劇」というものと、教授が「こういう舞台があって学生割引があるから観に行ってみるといいですよ」と勧めてくれる作品との距離があまりにもかけ離れていて、最初はちょっと混乱していた。
▼学生の頃に授業で勧められて初めて観に行ったのがベルギーの演出家の作品の現代劇で、ふんだんに国際社会に対する社会風刺も含まれていてアメリカやキリスト教に対する皮肉もあったりして、かなり挑発的な構えでたしかに先進的な作品だったのだが、いかんせん二十歳そこそこの、ほとんどずぶの初心者にはとにかくわかりにくかった。
▼たまたまアフタートークがついている回だったので客席に残って聞いていたところ、登壇した大学の教授の方の話が舞台の内容に輪をかけて高等でスノッブな感じで、「いまあの人たちの話している内容が半分くらいわからない自分は知的に劣っているのではないか」というコンプレックスみたいなものを心にもやもやと抱えながら、電車に揺られて自宅へと帰った。
▼学校で勧められる現代演劇の作品がたまたまそういう方向性というか、たとえば当時のF/T(フェスティバル・トーキョー)で上演されるようなものが多くて、ヨーロッパの尖った現代演劇の作品を観る機会が結構多かったので、わかりやすくて観やすい、いわゆる″演劇っぽい演劇″に出会うことの方が少なかった。(たまに観る平田オリザさんの青年団などはそう考えるとずいぶん観やすかったけれども、劇作・演出的にはかなりラディカルなので油断ならなかった。)
▼いまでもたぶん、一年に観に行く舞台のうちの半分くらいはどちらかというとわかりにくい作品を観ているのではないかと思う。それでもある程度本数を観るようになると、わかりにくい作品とのつきあい方が自分なりに掴めてくるようになる。身も蓋もない言い方ではあるけれど「深く考えずにじっと観る」というか、言葉や意味というよりもシンプルに自分の心が動く瞬間があるかどうか、というような尺度で目の前の時間と付き合えるようになる。個人的な感覚として、わかりやすい/わかりにくいに関わらず、よい(と感じられる)舞台ほど心が自由によく動く。いろんなことを考えて、いろんなことに思いを馳せ、いろんなところへと心が飛んでいく。
▼正直なところ、自分のつくっている作品はわかりにくいと思う。あるとき従姉妹が私の母に「一歩のつくる舞台はわからん…」と話していたというのを聞いて、すこし凹んでしまったことがある。本人に「とにかくわけわかんねえものをつくってやるぜ!!」というアナーキーな衝動があるわけではなくて、いろいろあれやこれやと考えて演劇に対して思い詰めているうちに、気がつくとわかりにくくなってしまうものらしい。自分なり(自分たちなり)に理路をたどってつくっているつもりなのだけれど、フグが自分の毒で死なないのと同じことなのだろうか(客席にもう一人自分がいたら、絶対に気に入ってくれると思ってつくっている…)。だから意味がわからなくても、なにか観ている人の心が動いたり、言葉にならない魅力を感じられたり、今そこではないどこかにすこし思いを寄せられるような時間をつくれたらと、一生懸命演劇をつくっています。
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