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ずっとあなたがいてくれた第十一話

おにいちゃん――。思わず口をついた言葉に動揺してしまう。さっき見つけ
た写真は間違いなくあの家で撮ったもので、その家を描いた絵は、彼が手にしている。きっと母が渡したのだ。でもその絵を、彼は私に差し出した。
 かすみちゃん、これ、と言いながら絵を渡そうとする彼の顔には、やわらかな笑みが浮かんでいる。すべての記憶を取り戻したのだ。私が覚えていないこともすべて。その瞬間、私は背を向け、一目散に走り出した。背後でかすみちゃん、と叫ぶ声がする。でも足を止められなかった。
 彼が事故に遭ってからずっと、記憶が戻って私のことを思い出してくれるように、また一緒に笑って過ごせるように、それだけを願っていた。でも無理なんだ。だって彼と私は――。
 息が苦しい。我慢できなくなって立ち止まり、呼吸をととのえる。そのとき肩に手が置かれ、ひゃっ、と声を上げそうになったけど、振り向いてさらに驚いた。「お母さん?」母も息苦しそうに、肩を上下させながら、私に絵を差し出してきた。さっき彼から差し出されたあの絵。なんで……母から返してほしいってこと? 立ち尽くす私に、母は「ファミレスでも行く?」と声をかけ、先に立って歩き出した。
 母が行ってしまってもまだ絵のことを考えていた私は、急に名前を呼ばれた気がして、はじかれたように走り出す。追いつくと母が背中をさすってくれた。次第に呼吸が楽になり、昔のことを思い出す。小さいころ、ちょっと走るとすぐに息があがり、いつも母に背中をさすってもらっていた。さすってもらううち、安心して眠ってしまったのを覚えている。でも小学校に上がってしばらくしたら、さすってもらうこともなくなった。何がきっかけだったのか。小さいころの記憶は断片的で、あまりよく覚えていない。「もう大丈夫、ありがとう」私が言うと、母はようやくホッとしたように笑った。
 いちばん近いファミレスに入り、ドリンクバー二つ、と言ったあと、母はこれとこれ、それからこれ、とケーキを三つ注文した。驚いて「私食べないよ」と言うと、「あらそう、でも大丈夫、全部一人で食べるから」と笑う。「もう、太って後悔しても知らないからね」と突き放すけど、こんな会話をするのも久しぶりだった。
「さて、何から話せばいいかな。何から聞きたい?」と母に問われ、改めて聞かれると、何から尋ねたらいいか分からないことに気づいた。
 私と彼の関係? もちろん気になる。血がつながっているのかどうか。でもなんて聞いたらいいんだろう。彼がなぜ絵を取りにきたかも知りたいけど、母に聞くことではない気がする。考えた末に口を開く。
「絵の場所が知りたい。自分でも分からないの。あれはどこ?」
「なに、どこだか知らないで描いてたの?」と母は笑って、「わかったわ」と話を始めた。

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