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サトウ式

「素敵なヨガの先生がいるの。一緒に行かない?」


わたしは職場のSに誘われて、その先生のところへ行くことにした。


なんとなく分かるものだ。Sの話を聞いてすぐ、怪しいと直感した。昔バイト先の事務のおばちゃんの「おごったげるからさ」の誘い文句につられて行ったら、すでに予約してあったシートに知らないおばさんが座っていて、そこで3時間近く引き止められたことがあった。興味はないと断っても話は終わらない。おばさんは同じことを何度も言った。「地球はあと一年で滅びる」と。


「滅びてもいいです」


の一点張りで断り続けたら、「強情な子だね」と言われて帰らされた。こういうのを断るのは得意だ。あれから10年経ったが、地球はまだ滅亡していない。


その場所は、見た目普通の、洋風とも和風ともつかない四角い住宅で、スタジオというより誰かの実家という感じだった。中に入るとすぐ、畳の匂いがした。


「こんばんは」


そう言ってすすすと出てきたのは、年は60ぐらいの痩せた女性。黒いピタピタの全身黒タイツを着たその人は、艶のないウェーブヘアをざっくりまとめていた。


「 “サトウ式”のサトウです。どうぞどうぞ、さぁどうぞ 」


笑顔で畳の部屋に通されると、すでに二、三十人ほどの女性たちが座っていた。彼女たちはおしゃべりしながらこちらを見て軽く頭を下げた。赤、黄色、紫…先生と色違いの全身タイツに身を包んでいたが、ヨガを始めて間もないのか、皆一様にお腹が出ていた。足を投げ出して座る姿はまるでお相撲さんみたいだ。


蛍光灯が白く照らす畳の大部屋には、「呼吸」と書かれた大きな額が飾られていて、先生はその真下に胡座を組み目を閉じると


「吸って〜吐いて〜」


と始まった。周りのカラフルレオタードたちは呼吸を始めた。わたしも、隣にいたSの見様見真似で呼吸を始める。

すーすー

鼻から息を吸ったり吐いたりする音だけが部屋に響く。

すーすー

すーすー

「力を抜いて〜呼吸と共に、頭の中も、心の中も、全て解放して〜」

その後も呼吸をしたり、幾らかポーズを取ったりした。
締めくくりに先生はこう言った。


「 “サトウ式”、はまず呼吸です。今、ヨガはメイジャーな習い事ですし、おしゃれなお教室もたくさんありますが、“サトウ式”は流行りのヨガともまた違います。ポーズをとることにとらわれないでください。ただの呼吸、些細な運動に思えるでしょうが、“サトウ式”に集中する時、ここに宇宙が誕生しています。わたしにはみなさん一人一人の宇宙が見えているのです。この“サトウ式”であなたの人生は変わります。」


やっぱりな、と思った。
隣のSはというと、さっきまでヨガのポーズをとっていたのにいつの間にか消えていて、わたしはひとりになっていた。


最後にお茶がふるまわれた。先生の一番弟子と思われる、グレーのレオタードを着た女性が

「この“サトウ式”であなたの人生は変わります」


と、お盆に載せた一杯をわたしに手渡した。わたしは小さな紙コップの中の金色のお茶をグッと飲み干した。普通の緑茶の味がした。


わたしはひと足先に失礼することにした。もう来ることはないだろう。

おしゃべりに夢中なカラフルレオタードたちを横目にひとり玄関まで歩いていると、先生と、一番弟子が玄関まで見送りに来てくれた。


「今日は、ありがとうございました。最後に、このポーズでお別れしましょう」


サトウ先生が玄関先のフローリングに座るので、わたしもそれに習う。仕方がない、最後に付き合おう。先生は両手を上に上げ、胸の前で合わせた後、そのまま上半身を深々と前に倒した。


「ふかぁく、ふかぁく前に倒して〜」


同じようにわたしも身体を前に倒す。
ここは怪しげな集まりに思えたが、唯一素晴らしいのは先生のこの声だ。澄んだ水のような声。この声だけはいつまでも聞いていたい…


「呼吸して…」


そう言われた時気がついた。

吸えない。

呼吸ができない。


苦しい。



すぐに思い浮かんだのはあのお茶だったが
呼吸ができなくて倒れ込んだ。
砂嵐が現れて
目の前が暗くなっていく。

こちらを見下ろしている先生の白い顔がぼんやり見えた。



※この話は実際の団体や組織、またヨガとは何の関係もありません。今朝の夢を文章にしました。夢の中で、わたしは本当に息ができずに目が覚めました。起きて気づいたのですが、わたしは自分の腕で自分の首を圧迫していたようです…それで、こんな夢を見たというわけです。


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