足音
曽祖母が死んだ時、同居していた祖母は葬儀に出なかったそうだ。そういえばそうだったかもしれない、とその程度の記憶しかない。祖母は嫁に当たるわけで、本来なら出て当然の立場だけれど、わたしは子供だったし大人の事情なんてもちろん知るはずもなかった。
生まれて初めて出た葬儀が曽祖母のだった。
この時の記憶は実は楽しい思い出として残っている、と言ったら不謹慎だろうか。初めて会う親戚のおばさんは優しくて、お供えの準備なんかを手伝わせてくれて楽しかったし、晩には少し酒の入ったおじさんが冗談を言って父を笑わせていた記憶もある。対面するように部屋を囲んでみんなで食事をする中、母はビール瓶を持って回りそれなりに大変そうだったが、わたしと妹はお弁当を食べて瓶のオレンジジュースを飲んだのがそれはそれは嬉しかった。父が少年時代に使っていたという二階の部屋に一泊して、傾斜の急すぎる階段から足を滑らせて落ちたのは恥ずかしかった。初めて読むお経はどこを読んだらいいか隣に座っていた若いお姉さんが教えてくれ、妹はお経を読んでる間に母の膝を枕にして眠っていた。全てが終わった後振り向いて立ち上がると、部屋の一番後ろの方で、父が真っ赤な顔して涙をボロボロ流していたのが目に焼き付いている。
ただその思い出の中に祖母はいない。それは確かなことだった。怒られたことなど一度もない、優しくて自慢の祖母だった。
忘れもしない。それは葬儀から2週間が経つ頃だった。母に連れられわたしと妹は祖母の家に行った。
夜になっていた。葬儀の名残りで仏壇にはまだ果物のお供えがたくさん盛られていたが、居間以外は奥の台所も含め真っ暗で異様なまでに静まり返っていた。天井からぶら下がった蛍光灯に照らされたわたしたちは、暗闇の中にぼんやり浮かんでいた。
祖母と母はいつものように話をしていた。明るい話でないことは子供心にわかっていて、訳がわからないなりにわたしはその話を静かに聞いていた。その時だった。
ズン、ズン…
と音がし始めた。
音というより振動だった。
間仕切りの引き戸のガラスがかすかに揺れ、古い木造の柱や薄い壁が軋む音が、ゆっくりとリズムを刻んでいた。
「おばあさんじゃ。」
祖母は一言そう言った。
確かに人が歩いてくる時に床や壁が響く、あの感じだった。
腰を折り曲げゆっくりと、強い足どりで踏み鳴らしながら近づいてくる。
ズン、ズン、ズン…
みんな黙っていた。
音は真っ暗な部屋の奥にあるトイレの方角から聞こえて、しばらくして止まった。
そんなことが曽祖母の死んだ後、祖母の家で二度ほどあった。
祖母はどんな思いであの足音を聞いていたのか。とふと思うことがある。