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ようこそ、1970年代とそっくりな2020年代へ
この前、名編集者で東工大教授の柳瀬さんにお声がけしてサシZoomして貰っていたときのこと。
人間は自然も好きだけど、人工的に集まるのも好きで、どちらも本能なのだと言っていた(高層マンションは蟻塚である)。
つまり人間は、自然と人工物のどちらも大好き。
ということで考えると、必ずしも善と悪、快適と不快の二者択一や対立ではないことが分かる。でも僕の今の興味で言うと断然自然と田舎だなぁ。
なぜか。
東京は企業の宣伝広告費用で遊んでいるように見える。それが悪いとはまったく思わないけど、都市そのものが巨大なゲームプラットフォームであり、そのゲーム画面が人生の全てだと錯覚してるのではないだろうか。
柳瀬さんは言う。
僕らは必死にゲームを続けていたんです。でもコロナで強制終了した、と。それで「あれ?これゲームだったんだ…」と我にかえり、リハビリとして家庭菜園をしてたりするのが今の僕らだと。いやまさにそれ俺。わかりみ。
一番いいのは、田舎と都会、自然と人工物を行ったり来たりすることだろう。
でも問題がある。田舎に家を借りたり買っても、そこに人間関係がなければ「セルフサービスの旅館」と同じだ。そんなのつまんない。
じゃあ都会にはたくさんの人間関係があるから寂しくないのか?田舎には人間関係が希薄なのか?
それは違うと思う。東京にあるのは「膨大な案件」であって人間関係ではない。そこを錯覚している可能性がある。
最近僕は、仕事の案件や何かの要件で繋がっている「縛り」を人間関係だと勘違いしていたのではないか?と思うようになった。
自分と相手との関係ってなんだろう?って毎日考える。さっき #江丹別配信部 の部員から何も書かれずに何枚かの写真が送られてきた(顔写ってないしまた容赦なく転載するけど)。
お前ら、日曜に部員たちでダム行ってるのかよ。
本当に高校生みたいだな、大人のくせに。
なんかいいな、無目的で。なんの話してるんだよ。
たった200人の限界集落だもん。冬は日本一雪が積もるらしいって、札幌の人が怖がってたぞ。どんだけだよ。全てが余白だもの、なんでもできるよね。
先週は、村全体を森の美術館にしたいって話しながら地図を広げたよな。やりたい放題できそうだった。あとはセンスと情熱だけ。できそうな気がした。
あそこにはラブしかないな。
そしてそれは土地から始まってるんじゃなくて、人から始まってるんだよな。伊勢くんてば、よく一人で「世界一のチーズを作るんだ!」って無茶なこと言い出したもんだ。それから2年か3年たって、ずいぶん変な人たちが集まってきたもんだ。あ、僕もか。
余白だらけで案件なんかまったくない村や町に、とにかく最初のスパークを起こす奴がいて、その火花に着火されてどんどん連鎖を起こしていく…。その着火寸前の人や場所って、きっと日本に無数になるに違いない。そう考えると、すごいことだな。可能性と夢しかないな。
これも何かの縁だし、まずは江丹別モデルをつくるところから始めるわ。そしてそれを日本中に広げて、世界に広げて、そのスパークの連鎖に関わる人たちが世界中のどこにでも住める環境を僕はつくっていくのかもな。
平たく言うと21世紀の村づくりだね。
これすらも僕は説得する相手もいないし、お金のやり取りすらまったくないから、なんとなく自分の勘とお互いのセンスを信じて、あるがままにやっていこう。やりたいことがあるから繋がってる。嫌なら解散しちまえ。これ、昨日ロッキングオンの橘川さんが言ってた「バンド型」「参加型社会」そのまんまだな。時代は繰り返すって本当だ。
ようこそ、1970年代と同じ匂いのする2020年代へ。
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