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昭和96年のある日の地方都市の悲しい出来事について

僕は昨日、ちょっと情が高まってしまい、しばらくひとりで泣いてしまった。泣くほどではないことなのかも知れないけど、自分の中でいろいろなことが合点がいってしまい、今回のことだけでなくさまざまな悲しいことの連鎖がこれまでも、そしてこれからも生まれるのだと想像できてしまい、涙が止まらなかった。

それ自体は大して珍しい話ではなく、おそらく全国で無数に起こっているだろう。友人たちが住むとある地方都市、そこは全国でも特に問題が多く、悲しい事件も多い。統計でもそれは明らかで、客観的に見て負の連鎖がじわりじわりと大きくなっていることが分かる。

例えば今年はある少女がいじめられて凍死して発見された。学校ぐるみで隠蔽工作がされ、むしろ被害者の親族が非難されるようなことになっていた。学校や保護者たちの発言を拾い上げていくとあまりの酷さに誰もが驚くだろう。過去も中学生による集団暴行や、シングルマザーや貧困家庭の子どもの多さの問題や、挙げていくとキリがない。どれもよくある地方都市の問題だけど、それがぎゅっと詰まった幕の内弁当のような町だった。

その町の信用金庫が開催する創業アワードに僕の友人が、信用金庫の勧めで自分が経営するカフェの活動を応募した(というか応募してくださいとお願いされた)。そしたら審査員による彼女をジャッジする辛辣?なコメントが書かれた封書が届き、友人は大きなショックを受けていた。起業する前のピッチコンテストならジャッジされるのは分かるんだけど、彼女の活動がジャッジされたのだ。

彼女がやっていたのは、コロナ禍の中で小さなカフェを創業し(かなりの期間休みを強いられたが)、町に自宅療養者が増えたときには感染者の代わりにお買い物をするサービスをやり、子ども食堂を展開し、ささやかでも地元商店街を毎日紹介するSNSをやったり、自分が最低限の生活に困らないのであれば「やれることをやろう」と店を守り、なるべく困った人を助けようと活動して来た。僕はそれをほぼ最初から見て応援していた。
彼女は30年前からの夢をその町でようやく叶えたのに、コロナと店のオープンは同時だった。なんというバットタイミング。ワイワイしていたはずの店内に誰もいない日々が続いた。でもその境遇に彼女が愚痴を言っているのを一度も聞いたことがない。

その信金の創業アワードの審査員からは辛辣な言葉が並んでいた。店の場所とターゲットが合ってない、支援はいいが本業の収益が見込めない、新規性がない、など。

「お前何様だ」と思ったし、なぜ彼女がジャッジされるのかがまったく分からなかった。そして悲しいのは、審査員も言われたからやってるだけで、多分、辛口なのが良いとされているのだろう(しかも無記名)。だから審査員を悪者にして吊し上げるのも違うと思った。

彼女は「なんでこんなこと言われないといけないの?」と悲しんでいた。おそらく、これがどれだけ酷いか分からない人もかなりいるのではないかと思う。その人はこれを機にかなり世の中の捉え方に気をつけたほうがいい。あなたは、昭和のおじさんの世界の人だ。ここには晒さないけど、おそらく彼女が手にした審査結果と信金の対応などをTwitterにあげたら、あとは運次第で全国規模で炎上してもおかしくないと僕は思った。

まず、ここではっきりさせたいのは、このアワードが信金のものであると言うことだ。明らかに信金自体が信金が何のためにあるかを忘れている。銀行なら僕は「そんなもんだよね」と思ってこんな文章は書かなかったはずだ。

ググればすぐ信金の定義と存在意義が出てくる。

「銀行は、株式会社であり、株主の利益が優先されます。 また、大企業を含む全国の企業等との取引が可能です。 信用金庫は、地域の方々が利用者・会員となって互いに地域の繁栄を図る相互扶助を目的とした協同組織の金融機関で、主な取引先は中小企業や個人です。 利益第一主義ではなく、会員すなわち地域社会の利益が優先されます。」

「信用金庫法には、「地域で集めた資金を地域の中小企業と個人に還元することにより、地域社会の発展に寄与する」ということが設立の目的として書かれています。つまり信用金庫は、銀行とは比較にならないほど“非”効率的で、“大きな利益が望めない”仕組みになっています。」

つまり信金とは地域のためにあり、収益性を優先していない。むしろ効率優先で地域が悪くなることを防ぐために銀行との違いを明確に新金法によって定められている。

その信金が、地域の商店街と住民のために活動してきた彼女に寄り添わず、上から目線でジャッジしてきたわけだ。これはとても根深い。なぜなら信用金庫としての存在意義とミッションが完全に分からなくなっているからだ。

であるなら、この町の役所も学校も何もかもが本来の目的を忘れているだろう。この町の負の連鎖は根深くて、学校の教員にも友人が何人かいるけど、やっぱり「気が狂いそうだ」と言ったことを何度も言っていて、民間であっても出る杭は打たれてありもしない誹謗中傷を受けたりしている。

だからあの子も死んじゃったんだ、あの事件も起きたんだ、見えないところで事件にならない悲惨なことが子供にも大人にも毎日今この瞬間にも起こってるんだ、と思いながら、その辛辣なコメントの数々を読んでいたら、「全てがつながっている」と思って涙が止まらなくなった。

なんのために、誰が、どうして、それをやっているのか。なぜそれが完全に忘れ去られてしまったのだろう。

自分を含めて、その当たり前のことが分からなくなって暴力を振い、人を不幸にさせる。これが #おじさんの世界 であり、昭和96年を生きる私たちが巻き起こしている悲劇だ。

どうかこれを機に、信用金庫のみなさんが、信用金庫とは何なのかを知ってくれるといいなと思う。自分たちがなぜそこにいて、何のために活動するためにある組織なのかを、よーーーーーーく考え直す、、、というか、知らないからこういう暴力を振るうわけだから、分かってなかったことを認めて、あたりまえのことを分かってほしい。分かれば少しは変わるから。

そんな当たり前のことすらも分からない社会に僕らは生きていて、傷つけられ、ビクビクしたり、苦しんだり、誰かに無理やり従順にさせられているのかと思うと、やはりこれを書きながらも涙は止まらない。悔しいし、悲しい。それは審査員に対してではなく、無知すぎてそれに気づかないで果物ナイフのようなもので差し合って傷つけあっているような地域社会の負の連鎖に対してだ。そして果物ナイフでも、ときに刺しすぎて本当に死に至らしめる。全員が加害者であり被害者であることが悲劇だ。

僕は彼女に言った。

全国的にも特に酷いその町の問題を解決することができれば、日本中の地方都市の問題が解決する。あなたや、その町にいるチーズ職人やきこりさんたちはその希望だ。

しばらくしたら、一枚の写真がアップされた。
「審査の紙、鍋敷きにしてやった!」

それはそれは大きくて重そうな紺色の鍋だった。
大笑いした。

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平野友康 (Teleport)
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