おじさんの世界のおじさんを言語化してみる
今ご飯食べたばかりで仕事ができないので、食休兼ねて「おじさんの世界のおじさん」(←つまり僕も含む)をもう少し言語化してみる。
おじさん(特におじいさん)は社会全体がおじさんを甘やかしてきたので、基本的に全員が「精神的なお子ちゃま」である。仕事が大変とか言ってるけど、大体において男子は数人で群れを成して大変大変言ってるのが基本なので、実は女子のワンオペ育児のほうが24時間さまざまな問題が降り注ぐから大変だ。
若い子への評価は「かわいいな」か「生意気な」になりがち。人と人として自分に置き換えて相手を理解しようとするフェアさは身につけていない。そんなわけでおじさんは問題ありすぎなのだが、その中でも「俺も我慢したんだからお前も我慢しろ問題」が深刻だ。
そもそも、我慢しろは暴力だ。
この暴力を「おじさんの世界」では暴力と認めておらず、それに耐えることが「大人の階段登る」ことだとされている。
なぜおじさんたち(これはおばさんも同様)は、若者に我慢しろという暴力を振るうのか。それはおじさんとおばさんも暴力に屈して今日までそれを耐えることで、数え切れないほどの嫌な思いをしてきたからだ。
おじさんとおばさんは、これまでずっとその理不尽さに我慢してきたから、「我慢しないもんねー」なんて若者は許せないのだ。羨ましくて。若い子にそれが許されちゃうなら、自分の人生は損した事になっちゃうからものすごく嫌なのだ。すごく、嫌。
だからこの「我慢しろ」こそが「おじさんの世界」で育った被害そのものなのだ。だから僕はこの話では誰もディスってないし攻撃してないはず。でも「うゎ!やめろ!」と拒否反応を感じてるおじさんのお仲間、おばさまも多いかも知れない。反論として「若者よ、苦労しなさい」と諭したい人もいると思う。でもごめんな、それ今から封じちゃうから。
おじさんおばさんのその拒絶反応は当然なので「だよね、辛いよね」って共感してしまうところもある。同情もする。でもそれ(俺も我慢したからお前も我慢しろ)を許容してはいけないと思う。それこそ負の連鎖だから。
なぜあなたが我慢したことを、次の世代も我慢しなければならないのか。それは人間の本質ではなく、単にその時代の社会の歪みなだけではないのか。意外と短い人生なのだから、この世界の素晴らしさをいっぱい全身で感じ謳歌し共有して、そして消えて去っていくので何が悪い?
その「我慢」が人間の本能、本質ではないなら、食い止められるものは各自食い止めよう。下に歪みを押しつけるな。これしかない。人間は、我慢なんてする必要ないんだ。これが「おじさんの世界」の闇だし、逃げないといけない最大の理由だと思う。
「我慢しろ。そうすればいつかいい事にしてやる」。
これこそがおじさんの世界がここまで維持してきたやり口であり、僕らの心をぶち壊してきた一言ですね。そのために多感な時期を受験とかで耐えさせられて、勝ち組と負け組に分けられて、たまに変なご褒美とか貰うと「アザース!!もっと頑張りまーす!」とか思わされて、おじさん的なるものから認められると「わぁ!嬉しい!」なんて感じさせられてきたわけですよ。
さぁ、そろそろもういいでしょう。
おじさんの世界から引越しどきだと思いませんか。これ以上はもうこの世界と関わらなくていいでしょう〜😅
逃げちゃっていいと思うよ。違う町や村に引っ越そう。
#おじさんの世界