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しゃべったり、歌ったりしているほうがお金をもらい、それを聞いているほうがお金を払う、というこの世の真実

矢沢永吉さんのライブをYouTubeで見ていて、ふと気づいた。
永ちゃんは、好きな歌を歌い、さぞ楽しいだろう。
でも、お金をもらっているのは歌っている永ちゃんのほうで、
聞いている聴衆がお金を払っている。

この図式がおかしいとか疑問を呈しても始まらない。
だって、それが、普段は疑いもしないこの世界の真実で、
そこに挑戦することに私は意味を感じないからである。

矢沢永吉さんが「俺の歌、聞いて」と聴衆にお金を払って、
自分が歌を歌うのを聞いてもらう。
現状ではこの世界は、そのようなシステムにはなっていない。
当然のことだが。

大都会にカラオケボックスがあれだけできている事実を見ても、
人は歌を歌うのが好きなのだ。
カラオケボックスで言えば、人は場所代、つまりお金を払ってでも
歌が歌いたいということだ。

まぁもちろん、自分が歌う歌を、お金を払ってでも聞きたいという人が
ある一定数いる、つまり「歌手」と言われる人は、たしかにごくごく
少数の人に過ぎないのは間違いない。

講演会にしてもそうだ。

「人」というのは、一般的に言って、しゃべることが好きである。
「しゃべりたがり」と言ってもいい。
その反面、人の話しに耳を傾けることは、時によっては苦痛ですらある。

聴衆の思いに意識を向けることなく、えんえんとしゃべり続ける人が、敬遠される、ひんしゅくを買う、という事態は、この社会では日常的にみられることだ。

にもかかわらず、一般的に「しゃべるほう」がお金をもらう。
聞くほうがお金を払う。
「私の話しを聞いてください」と言って、しゃべるほうが、聞くほうにお金を払う、というのは聞いたことがない。

もちろん、「この人の話しが聞きたい」と思うから、聞きたい人が「この人」にお金を払うのだ。
「話すほう」と「聞くほう」のベクトルが一致していなければ、
この関係は成立しない。
だから、当然のことながら、
「この人」の話しに聞く価値がある、と考える人が最低ひとりはいる必要がある。

だから、せっかくだったら、「話してお金をもらうほう」を目指そう。
私はそうしたスタンスだ。

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