ミュージカル「ゴヤ―GOYA―」①
多種多様な音楽、華やかなダンス、コミカルな演技・演出はあれど、私はこの作品の根っこはずいぶん【重い】と感じている。
これは今観るからそう感じるのだろうか?
あまりにも今の文化芸術界隈の話と通じてしまう。
私が受け取っているものが、果たして正しい方向性なのかどうかを考えてしまう(受け取り方は人それぞれだとは思うけど)
去年から思っているのだが、もしコロナ禍じゃない中で作品をみたら自分はどう感じるんだろう。全く違うように受け取っただろうか(おそらく、そうなるような気がする)
あまりにも取り巻く環境が変わったので、こんなことを考えるのも不毛かもしれないが。
私がもう一年くらい、混乱の中での芸術の在り方について考え込んでしまっているので、逢うべくして逢った作品なのかもしれない。
文化芸術が好きだからこそ、様々な方面から聞こえてくる声に100%の賛同ができなかったりする。
もちろん、文化芸術は必要なものだ。それは絶対だ。
でも、何よりも優先されるべきものなのかというと、ハッキリとそうだと言えない自分もいる。
そんな私自身の葛藤と、作中のゴヤの葛藤が、全部とは言わないけどリンクするのだ。
ゴヤの中にある"宮廷画家として認められたい"というエゴも感じて。
人間は完全な聖人君子として生きていくのは稀だ。ゴヤだけではなく、他のメインキャストの面々も、何かしら、どこかに弱さや狡さを感じる。
だから、この作品が好きなのかもしれない。
ゴヤの台詞の数々は、今の世の中で不要不急と分類される表現者たちの代弁だと思う。
一人の社会人としての正義と、一人の芸術家としての正義、これは時に背中合わせだ。どうしても両方を成り立たせるのは難しいことも多いだろう。
その狭間でできることが
「私は見る、私は描く、ただそれだけ」ということに繋がるのだろう。
できることは限られている、できることをやっていくしかないのだ。
混乱の中における芸術を正義の天秤がどう量るのか、歴史という大きな時の流れを経てからでないとわからない。
今の芸術が後世にどう評価されるかはわからないが、本気で創ったものは必ず残ると思う。
このミュージカルがそうでありますように。
※思い付いたことを書いていくので、多分続きます、多分…………😅