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『モーツァルト!』観劇感想

感想を書こう書こうとしながら、なかなか着手できなかった。考えれば考えるほど、クンツェ哲学の森で迷う。
しかし、もうすぐ頭が空っぽになる演目にトチ狂う予定なので、ざっとだけでも観て感じたことを書き残しておこうと思う。

まず、私はやはりこの演目が苦手だ。
「嫌い」ではなく「苦手」
なので、期間中2回くらい観劇でよい。
ただ、今期はもう少しチケット取っておいてもよかったかなとは思った。
チケットの値段が上がったこともあるが、そもそも観劇熱が冷めつつあるので、チケット争奪のスタートラインに立つのも面倒くさかったので、FCで取れたら行くかな位の気持ちで、古川雄大さんで2回のみの観劇。
京本くんは観てないから偏った感想にはなる。

「苦手」なのは、やはりヴォルフガングとレオポルトの親子関係が、自分の中にある嫌な思い出を蘇らせるからだ。
というのも、旦那の父がああいうタイプで「ワシの言う事を聞いておいたら間違いない」を押し付けてくる人だった(すでに故人なので過去形)
詳しくは書きたくないが、15年くらい前には義父が原因でマジで離婚も考えたくらいなのだが、私の強運の賜物なのか、その後物理的に距離を置ける環境になったので離婚しなくてすんだ(笑)
ひとでなし発言になるかもしれないか、義父が亡くなったあとのほうが夫婦関係も良好なのではないだろうか。
どんなに素晴らしい脚本や音楽であっても、自分の中の痛点を刺激されるものって、感動して涙を流すのとは違う感情が湧き出すものだと思う。

親子関係とは複雑なもので、愛があればきっと大丈夫とは言い難いものもあり、親のことは嫌いじゃないけどちょっとしんどい…という人も、少なくない割合で存在するのではないだろうか。
私の両親は毒親ではないと思うが、心配性すぎるとこがあって、ちょっとめんどくさい(笑)

親子というものは縁を切ったとしても、必ずついて回るものであると思う。
このモーツァルト!という演目、モーツァルトの人生と才能のことを書いているようで、実は親子関係の複雑さが太い軸になっているので、「苦手」という人は私だけではなく一定数いると思う。

クンツェ先生の作品って、本当に人間のドロドロした部分の毒を含ませてるものが多いと思うが(多いと言うか、日本で人気のものはほぼそんな感じ)、リーヴァイ先生の美しい楽曲がそれを緩和させる、緩和させるどころか一見したところではわからないくらいにさせる力がある。
猫に薬を飲ますときに“ちゅ〜る”に混ぜて誤魔化すんだけど、喜んで飲んじゃう猫と違和感に気づいて吐き出す猫がいるみたい。
自分の中にある負の突起に触れると吐き出せずにいられない感じ。
モーツァルトに関しては、飲み込める方は親子関係に疑問がないので幸せなのだと思う。

私はレオポルトには嫌悪感しか持てなくて、劇中を通して、あの時義父には言えなかったことを感想として述べてる節はある。
でも、これが出来るのが演劇のいいところ。
去年、散々『ベートーヴェン』の登場人物に悪口まくし立てていたが(苦笑)実際の知人だったりしたら口には出せないもんね。
感想を述べるということは、自分の中で何が好きで嫌いか、何が許せて許せないか、そのポイントを自分で確認できる時間だと思う。
昨今、なかなか負の感想がSNSに書けないという意見も見かけるが、自分と他人はひっかかりポイントが各々で違うことを認識できない人が一定数いるからじゃないかと思っている。

その人が育ってきた環境、今いる環境、様々な人がいるのだから、受けたり方も違って当たり前なのだが。

まぁ、私も完全スルー力を身に着けてるわけではなく修行の日々だが、スルー力は今後も意識しておきたい。

話がそれた、元に戻そう。

今期のモーツァルト、私の環境(義父が亡くなっ手から時間が経った)のもあってか、父子関係に前よりは拒否感は無くなったが、やはりどうしてもレオポルトの台詞には「なんでやねん」とツッコミばかり入れてしまう。
『天才』は作れるものじゃなくて、作れたとしてもそれは秀才止まりなんだよね。
レオポルト自体がまぁまぁ“そこそこ”(ここ重要)な秀才でコンプレックスの塊だったのかもしれないが、だいぶ勘違い入ってる。
古川くんが今回で3回目ということもあり、熟れてるせいもあるかもしれないが、私は「ヴォルフはむちゃくちゃな行動は取るけど、それなりに大人になろうとしているし、半分くらいは大人の階段のぼってるな」と思って観た。
だからこそ、大人になろうとしてる足を引っ張る環境から逃げようとして藻掻いてると思った。
大人になることをゆるしてくれてるのは男爵夫人だけ。
コンスタンツェも共依存という形でヴォルフガングの側にいるし。

真彩コンスタンツェと未来セシリア、この新キャストが私はとても好みだった。
こちらはこちらで拗れた母子関係がわかりやすくなった。
真彩コンスの育てられなかった子ども感すごかった。「ダンスはやめられない」は助けてほしいと叫んでるように思えた。
母から認められなかった存在の自分を、ヴォルフガングという天才の妻であることで存在意義を見出そうとしても上手くいかず、コンスタンツェはコンスタンツェとして藻掻いて苦しんでるのがヒシヒシと伝わってきた。
真彩さんが超歌ウマなのでわかりにくくなるのが難点になるかもしれないが、コンスタンツェは音楽の才能など無いに等しいのに、ヴォルフのミューズになろうとしているところが悲しい。
他人に寄りかかって作る自己肯定ほど虚しいものはないと思うのだが。

未来セシリアは強い。
ちょっとやそっとのことでは死なない(笑)
強すぎて周りのエネルギーも全部吸い取っちゃう感じがよく出ていた。
いわゆる、エナジーバンパイアというタイプの人間で、とにかく周りを振り回す、そして本人にその自覚はない。
あそこまで自分を貫いてるとかっこよさすら感じるが、実際オトモダチにはなりたくないので、劇中人物でよかった(笑)
レオポルトとは逆で、フィクションだから許せるという場合もある。
私は許せるが、ああいうタイプのお局様に新人の頃振り回されたという人がいたら嫌いだろうな〜。

で、私はラストにセシリアがヴォルフからお金をぬすむのを「ヴォルフガングは最後まで搾取された人生なのか」と思っていたわけなのだが、今年はちょっと違った。
セシリアのお金の取り方と、コンスが最後にお金の袋を受け取る様子がリンクしていて、
「あ、コンスタンツェもセシリアという影からは逃れられず、血は繋がっている」って納得できたんですよね。

ヴォルフガングはけっきょく影から逃れられなかったからあの結末なのかってのは、難しいところなのですが、育ってきた環境というものはどこまでもついて回ってしまい、断ち切るのはなかなか容易なことではないというのを強く感じるラストになったなという印象です。

クンツェ先生の作る世界って、ほんとエグいわって思っているんですが、エグさ度でいえばモーツァルトは飛び抜けてる。
これを何回も繰り返すのしんどいだろうなぁと思うのですが、今年の古川ヴォルフは迷いなく演じていて、3回目でヴォルフガングをモノにしたなぁと思いました。
(トートも悪くはないけど、私は古川トートは最後までぶれてたなという評価なので)
春先に韓国に行ってたみたいなので、ボイトレ受けたか?と思うくらいに歌唱力が上がってた。
古川くんって張り上げるときにちょっと力んじゃうのが観ていても気づいちゃうとこが気になってたけど、それが見えにくくなっていたし、声のコントロール力が格段に上がってる!ってびっくりしました。
歌は歌ではあるけど、台詞でもあるという表現力も上がっていて、いつもかどうかはわからないですけど、最後の『僕こそ音楽』を歌うときに、「僕こそ…ミュ………」くらいで、「ミュージック」を聞こえるか聞こえないかくらいの音量で歌ってくるのには心底感動した。
あー、ヴォルフガングはもう自分のことを「音楽」とは言えないんだなぁって思うとポロポロ泣いた。
きちんと歌うことは大事だけど、歌えないくらいの
心情であることをミュージカルなのにきちんと歌わないことで表現するってすごいなと(言いたいこと伝わるだろうか、自分の文章力の無さがもどかしい)

楽譜通りにいかないのは人生と一緒だ!(無理矢理)

アマデの存在とは何なのかとか、ヴォルフとコンスの関係性とか、いろいろ感じて考えたことはあるのだが、なかなか文章にして書き表せないので、私も数日もがいていたのだが、大千秋楽に配信があるとのことなので、それを観てからまた考えようと思う。


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