Flashback The Future /早稲田で講座実施させてもらった記録
2023年6月29日に早稲田大学の国際教養学部の中で、伊藤剛(いとうたけし)先生の講座の1コマに呼んでいただきました。
伊藤先生はasobot(アソボット)という会社の社長さんでもあって、コミュニケーションデザインについて探究している方。会社のサイトがかっこいいです。
戦争と平和をコミュニケーションという観点から捉えた「なぜ戦争は伝わりやすく平和は伝わりにくいのか」という著作もとても興味深いのでおすすめです。ウクライナ戦争に関する国内の反応を見て改めて示唆深い1冊だと思います。
近年は「当事者研究」にも関心を深めていて、杉並区で実施する「ジブン・ラボ」も興味深い内容です。僕の実施内容とは無関係ですがリンク貼っておきます。ぜひチェックしてみてください。
さて、以下では自分が実施した1コマの内容記録を残しておきます。ただし実際に話した順番でなく、記録的に理解しやすそうな順番で書き残します。
ミュージアムコンテンツ企画に挑戦する学生たち
まず講座の背景的な補足。
伊藤さんの講座に参加している学生たちは、講座全体を通じて、コミュニケーションデザインについて学び、最終的なアウトプットとして、仮想的なミュージアムコンテンツを企画してみることになっています。
学生たちはすでに「情報を分節化する・多面化する・構造化」といった立体的なものの見方を講座で学んでコンテンツを企画する力を養いつつ、グループごとの企画作りに取り組んでいるという仕上げの時期にあたります。
この時期に呼ばれるゲスト講師たちは、学生の取り組みに必要不可欠なものというより、追加的な刺激を提供し、企画案がより洗練されたらいいな!って感じの役割をもらっています。たぶん。
そのような役割として自分に何ができんのかなーってところで考え、今回のスライドを用意しました。
学びをゲームにして届ける、というチャレンジ
さて、ミュージアムというのは何かしら「学習してほしいテーマ」を持っていて、それを楽しく学べるコンテンツにして届ける場所ですよね。
まあ、本当に昔の「博物館」は展示よりも記録&保管の意義が強かったかもしれませんが、都内にたくさんあるような現代的なミュージアムだとやっぱり「魅せる」「届ける」って部分は強いはず。
この「何かしらの学習テーマを、楽しんで学んでもらう」って意味では、学びの要素をもったアナログゲーム(シリアスボードゲーム)っていう世界も、重なる部分はありそうです。
アナログゲームの手法が、ミュージアムで生きるかどうかはアイデア次第、学生らに任せるとして、世の中にある(購入できる)シリアスボードゲームについて紹介しました。
これらのゲーム紹介で伝えたかったのは「学んでほしいテーマ」に対して、それを「どのようなゲーム体験」に表現しているかという工夫の部分。
もし目指している学びが「知識の暗記」なら、単なる「フラッシュカード」とか「クイズ」を繰り返して暗記させた方が絶対早いと思う。
そうじゃなく「自ら気づいてほしい」とか「どうしたらいいか考えてほしい」そのほか、ゲームという手段に向いた学び方があるのではないか。テーマとゲーム体験の接続させ方という部分に注意を向けて説明しました。
学びってなんだろう?ゲームってなんだろう?
学びとゲームにはどんな関係があるのか。僕自身の疑問でもあるので、何かしらの答えを用意したわけじゃなく、単純な問いかけとして、みんなはどう思う?と聞いてみました。
学ぶってなんでしょうね? 本を読んだりするだけじゃなく、旅行に行ったり、みんなと飲み会したって「学び」と言えるわけじゃないですか。映画を見ていたって学ぶことはありますよね。どんなことだって学びと言えるような気がしてきます。
でもでも、ソファーに寝転がって映画見ている人がポテチ食いながら「今、学んでるんだ。じゃましないで。ブッ(放屁)」とか言われたら、いや、それ学びかなー?ってなるじゃないですか。
主体者に学ぼうって意思が必要? でも、思いがけず学んだってこともありますよね。あるいは、得た知識や体験を「未来に活かそう」って気持ちとか? でも、ブラックホールの話題とか「自分の人生に利益ゼロほぼ確定」でも学んだ気持ちがめっちゃありますよね。なんなんでしょうね、マジで。
学生らと一緒に問答し、学びと学びじゃないことの間の境界が意外と難しい!っていう気持ちを共有してきました。
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そして参考の話題提供に、学びとゲームの関係を考えるのは、今すごくホットな話題なんだよ!ってことを紹介。
シリアスゲームに関する専門家の方に「スライド1枚、10行くらいで歴史をまとめよ」って言ったら全然違う出来事をピックアップすると思います。あくまで松本独自観点ですってエクスキューズを入れて、話してみました。
とはいえ20世紀中期として最初に書いたホイジンガやカイヨワという人たちの功績は、誰に聞いても出てきそうな気がします。
少なくとも西洋の社会でそれまで軽視されていた「遊び」に意義と価値を見出し、「遊びってなんだ?」という問いかけを研究対象にぶちあげた偉人です。僕もデジタルブックにて両書(和訳)を持っていますが、斜め読みだけして積読状態なんで語るのは控えました。持っているだけで自分が偉くなった気分になれる名著です。(そのうちしっかり読みます!)
20世紀後期。ここから僕の偏見が入ってきます。僕個人は、学ぶ行為における「楽しむ」心理の効果を重視したく、デジタルゲームが商業化したことの意義を強調してみました。
鬼ごっこでも将棋でも、アナログゲームの楽しさはプレイヤー関係、「誰と遊ぶのか」って影響がかなり大きい。対してデジタルゲームはコンピュータが人間の相手をして盛り上げる「1人遊び」の比重がめちゃくちゃ高いわけです。しかもアナログと違って、デジタル空間は閉じた世界。人間が操作できることも、環境内で生じる出来事も、限られています。
この「閉じた環境の1人遊び」が大きな産業として発達したときに「人間が夢中になるとは何か」「飽きないためにはどんな工夫が必要か」といった問いかけが学問じゃなく企業内のノウハウとして蓄積。「楽しい」が具体的な制御技術として語られ始めました。(サイトウ・アキヒロ著『ビジネスを変える「ゲームニクス」』とニール・イヤール著『Hooked ハマるしかけ』がオススメ)
一方で、チクセントミハイは、ゲームとは無関係に、仕事や趣味における一般的な事象として「人間が夢中になる状態とはなんだろう?」という問いを立て、その発生条件を考えていきました。
そして今、「もっと効果的な教育を設計できるノウハウを」という教育工学の流れと、人を夢中にする技術を研鑽してきたゲームの世界が交差し、「もっと楽しく効果的な学習をデザインしよう」「学びとゲームをうまく結びつけよう」といった研究が21世紀でますます盛り上がっているらしいぞーとまとめてみました。
留学前の学生に向けたワークショップゲーム
体験型の学びもほしいよねってことで、今回の講座に向けたオリジナルワークショップゲームを用意してみました。
「Flashback The Future」は、フラッシュバックで思い出した「未来」に備えるワークショップゲームです。(ゲーム用にAIを使ってタロット風イラストを用意するのがめっちゃ楽しかった)
まずは、細かいルールの説明は後回しにして、用意したワークシートを使って「1年後の自分を詳細にイメージし、文章に書き出し」してもらいます。1年後ってのは「ちょうど1年後の今日」とかその付近の具体的な瞬間のことです。
どこにいて、どんな仲間と、何を楽しみ、何に取り組んでいて、どんな悩みや課題があるのかなど。空想ですが、具体的に書いてもらいます。
それが終わったら、タロット風の「フラッシュバックカード」を机に広げ、以下のように「ストーリー説明」「フラッシュバック」「暗示解読」「備えを考える」の順番に行います。
次に「フラッシュバック」を得ます。カードは全部で18種類。絵柄を表にして机に広げ、直感で1人1枚選んでもらいます。
カードの裏には18種それぞれの暗示が書かれています。たとえば、次のような感じです。
カードを確認したら暗示の解読。これもワークシートに書きます。
最後に、そこまでの内容を踏まえ、未来に対する備えを考え、ワークシートに書き込んでもらいます。
ワークショップを終えて、何人かの人に、自分がシートに書いた内容を紹介してもらいました。
「火炎」を引いた学生さんは、自分は本当にいつも余計な事を言ってしまうと納得し、どうしようかと考えていると教えてくれました。「華」を引いた学生さんは、留学から帰ってきた自分が、皆に支えられてそれができたことを忘れ得意になってしまいそうだと考えたことなどを教えてくれました。
今回のゲームデザインについては「もうすぐ留学にいく学生に向けて、何か少しでも意味のあるゲーム体験はなんだろうか?」という観点から考え、ゲームを作りました。(タロットを思考材料にするというゲームの中心的なアイデアは米光一成著「思考ツールとしてのタロット」を参考にしました)
実際に学生たちの1年後がどうなっているのかは、まったく想像もつきません。学生20人のうち1人でも、このとき考えた「備え」が生きることになれば、とてもうれしいです。
終わりに
学びや何かテーマをゲームにデザインしようと思ったとき、具体的にどんな工夫や観点があるかといった作り方の技術論はとても大切です。
大切なんだけど、改めて、そもそもの動機の部分。なぜわざわざゲームを作りたいのか。それを使って相手に何を感じてほしいのか。そこに自分は労力を突っ込める気持ちを持っているのか。そこが大切なんです。
僕は「わざわざゲームを作るとは何か」って表現をたびたび使っています。
例外的な人もいると思いますが、大多数の人にとってゲーム作りは、手間のかかる作業です。しかも、テストプレイにせよデザインにせよ宣伝にせよ、ところどころで他人を巻き込み、助けてもらいながら作っていくことになります。そうした意味でも、作り出したゲームを完成させていくには、自分の情熱を見極めることがとても大切です。
これは僕自身、完成できずに頓挫させてしまった企画があって、感じるようになったことです。本当は「企画倒れ上等!」であっていいと思いますが、他人を巻き込んで頓挫すると、つい自己嫌悪してしまいちですからね。
楽しんでほしい、驚いてほしい、感じてほしい、自分のエネルギーがわきそうな風景を浮かべられるかどうか、そこが大切だと思います。
今回は、講座向けにゲームを作ってみるかなーと検討を始めたとき、最初に思い浮かべたのは僕を呼んでくれた伊藤さんの顔です。「1コマのためにわざわざゲーム作ったの?」と伊藤さんが反応してくれたときはやったぜ!って感じでしたね。
そう。今回は学生たちの環境を考え、学生に役立つゲームってなんだろうと考えたわけです。でも自分は、会ったことがない人にエネルギーを出すのが難しいタイプの性格。その時点では顔も知らない学生らに向けて力を出そうとするとちょっと弱い。でも「ゲーム作ったら伊藤さんが驚きそう」って部分がエネルギーになったわけです。
自分自身がどんなコトに向かってエネルギーを出せるか。それはもう一般論ではなく自身の性格のこととして。ゲーム作りに限らない気がしますが、手間の多いゲーム作りではなおさら大切だろうと思っています。