「ドライブマイカー」鑑賞。そのいち
「ドライブマイカー」鑑賞。
ということで、オスカーをとったので日本で話題になって、映画館もコミコミでした。なんでだろう、、、ということで、、、まず、、、訳がわからなかった人のために、、、簡単に解説コーナー。まずは、、、大きな作品のコンセプトは「喪」の物語である、ということです。最近の作品だと「ノマドランド」なんかがそれに当たるかな、、、と、、、悲しみや傷を癒すための物語であることは明白で、エンターテイメント性はゼロですね、、。亡き妻に対する複雑な思いを抱え、そこから立ち上がれない主人公、、最後まで見ても、立ち直っているのか、よくわかりませんが、とにかく、これは「悲しみや傷」に対抗しようとする試みであり、「物語」「演劇」というものが、その手段である、という基本認識がないとなかなか理解しづらい映画ですね。物語は静かに進んでゆく印象のようですが、実は「セリフ」の量が多い。それは、それぞれの人物が、劇中劇の「セリフ」として、心の中の「ホンネ」を言っている、という映画のテクニックを使っているからですね、だから、劇中劇は、この物語の「意味」を、割とはっきりと言語化して語っている、ということになります。それに気が付けば、この映画はかなり理解できると思います。実は原作者の「村上春樹氏」の作品自体が、「ノルウェイの森」か「国境の南太陽の西」以降「ねじまきどりクロニクル」くらいから、ストーリーそのものよりも、登場人物の「セリフ」によって、言わんとしていることをはっきりと言語化して、言わせる。という作風に変わっていった、というところもあると思います。ですから、この映画は大変「村上春樹的」と言えますねえ、、、ということで、思い出して12年前に映画化された「ノルウェイの森」、昨日見返しちゃいました。松山ケンイチ氏が主人公を演じた、僕は全然悪くない、と思っている作品ですが、、、見てびっくり!!! なんと、加福音さん役の女優さん、、、出てたんだ!!! しかも、かなり重要な役で、、、、、、意識してキャスティングしたとしか、思えませんね、、で、映画「ドライブマイカー」は映画「ノルウェイの森」の続編、という仮説が僕の中でマイブームなのです。「村上春樹氏」の愛読者は「ハルキスト」と呼ばれ、気取っている、とか、カッコつけてる、、などと言われなき迫害を受けている噂を聞きましたが、何を隠そう、僕は「ハルキスト」なんすよ、、、ということで、原作の「女のいない男たち」は発売日に読みましたよ。「僕は空っぽなんですよ」というセリフ、、、なんかぞーっとする訳です。処女作から「ノルウェイの森」に至るまで、ハルキストなら当然わかっていると思いますが、春樹氏は一貫して同じことを書き続けていました。それは、いわゆる「直子の思い出」です。多分それは村上春樹氏本人にかかった「呪い」なのだろうと思います。愛する人を失い、亡くし、その痛みを抱えながら生きてゆくことのつらさ。その対抗策として、春樹的に表現すると「ささやかな抵抗の試みとして」いささか、だろうね、という感じではあるが、、、笑、、、彼は小説を書いていたんだろう、と思います。そして、正面から、その「おこってしまった現実」と戦ったのが「ノルウェイの森」であったのだろうと僕は思うのです。そこで、一度村上春樹氏は「昇天」したのだと思います。果たして、その「呪い」はうまい具合に解けて、彼は救われたのか、、いや、まだまだ「呪い」は続く。それは、死ぬまで続く、だから、とにかく、たとえ「癒し」がなくとも、僕たちは「生きてゆかなければなりません、仕事をしなければなりません」ということになるのです。ということで、この映画を見た人は、ぜひ、「ノルウェイの森」も鑑賞することをお勧めします。まあ、とはいえ、人間て、落ち込んでばかりもいられないでしょ、本当に余裕がない時は、落ち込む余裕もないもんです。このような村上春樹氏の作風も、、、これは非難しているわけではなく、、、小説は素晴らしいし、大好きだけど、、彼に子供がいないから書ける、という気もするのです。「生きることの痛み」を感じるには、感じるための時間的な余裕も必要なんだと思います。だから、悩んだら、とにかく忙しくせよ、、考えるな、動け、、が僕の座右の銘ですね。
で、不意にこの文章は終わります。。。ふー〜ー