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私のそろばんは楽器ザンス

そのひらめきが降りてきたのは数年前、今日みたいな暑い真夏日のことだった。

思いついたのは忘年会に関するアイデアだったのだが、アイデアというのは季節ところ構わず降りてくるものである。

そんなわけでその日の私は、忘年会があるたびに私を逡巡させ保留にしていた問題を解決しうる妙案を突然、思いついたのだ。

私は広告プランナーという仕事をしているため、時々クライアントの企業の忘年会に呼んでもらえることがある。
しかしそれはご招待なので、いくらか包んで持参するのも野暮な感じである。とはいえ、手ぶらで行くのも気がひけるが、お菓子やお酒を持って行くのも好みがあるし、みんなに行き渡らないし……と常々微妙に迷っていた。

そこに降りてきたのが、冒頭で言ったひらめきである。

一一そうだ私、なんか余興をやろう!

どちらにせよ、手土産は受け取られにくい。ならば会場を盛り上げるほうがよい。気の利いた余興を身につけて、会場を沸かせるのだ。

一一とはいえ、何をやるべきか。

また新たな問題が持ち上がる。こんなこと出来ちゃう私オシャレで素敵でしょーとか、こんなすごいこと出来ちゃうんですよーなどと思われることは、この場合本意ではない。あっと驚かせて感心させるより、面白さと抜け感が絶妙なバランスの余興で、会場の皆さんが笑って楽しんでくれるのがよいのだ。何をしようか……

と、そこにひらめき第二弾が降りてきた。アイデアというものは、来ない時は全然来ないが来る時は来るのだ。

一一そうだ、トニー谷のそろばん芸にしよう!
ほどよく力が抜けていて楽しいかも!

トニー谷さんは、1950年代に全盛期だった司会者でコメディアンだ。トレードマークはオールバックに両端が吊り上がった黒縁のフォックスメガネ、チョビ髭。そろばんをオーケストラに合わせて軽妙にチャカチャカ鳴らし、
「さいザンス〜、あたしあなたにアイブラユー」といったブロークンいんちき英語まじりで歌ったり漫談をするというスタイルで一世を風靡したひとだ。

私もリアルタイムは知らないが、高校生の時にトニー谷さんの音源を聴いて、超クール!としびれて敬愛していたのだった。そうだ、あれをやろう。メガネをかけてチョビ髭付けて。
そうやって呼んでくださった皆さんに感謝の気持ちを伝えるのだ。感謝の方向性が合っているかはひとまず置いといて。

そうとなれば相棒となるそろばんが必要だ。私は倉庫を探して、小学生の時に使っていたそろばんを引っ張り出す(私は物持ちが非常によいのだ)。
ジャーッと鳴らしてみると、非常にいい感じがする。私は半年先の忘年会に向けて、練習を重ねることにした。

ところがである。予想外に周囲からの評判が悪いのだ。それも、そろばんの音がうるさいとかじゃなく
「算数の道具をそんなふうに使うのってどうなの?」
と、そろばん本来の役割を違うことに使うのはいかがなものかと、複数人から問われたのだ。道具の役割の大切さみたいなものを説かれ、そろばんをジャカジャカやる私は、物を粗末に扱っていると思われたらしい。
確かにそれも一理ある。付喪神じゃないけど、物には役割の精神が宿るというのは、実に日本的な美しい考え方だと思う。

しかし私はどうしてもそろばんを楽器として使いたいのだ。そろばんじゃなきゃダメなのだ。ならば、小学生の頃から算数の道具として存在してきたそろばんは使わずに、最初から楽器という役割のそろばん2号を購入すればいいのではないか。

ということで私は新そろばんを買いに出かけた。
老舗の文房具店で、弾く音に耳を澄ませながら玉に適度な重さのあるものを選び購入する。
新品のそろばんを大事に抱え、
「あんたは今日から楽器やで。忘れんとき」
と、朝ドラで大店の大女将が丁稚奉公に来たばかりのヒロインに諭すような感じでいい聞かせ、いそいそ連れて帰ったのだった。

相棒も手に入り練習はなかなか楽しいが、芸の道は深い。ジャーッと流すのは意外と比較的容易く出来るのだが、玉を弾いてチャカチャッチャッとやるのが、玉が移動してしまうため、テンポよくリズミカルに弾けないのだ。

爪もかなり磨耗するので、ネイルサロンでジェルネイルで補強した。

無駄に集中した練習の甲斐もあり、私のそろばん芸は、自分で言うのもなんだが、けっこういい感じになった。つけチョビ髭とつり目メガネも手に入れた。

しかしである。

その年の暮れ、忘年会のお誘いはなかった。コロナ禍到来により、宴席は自粛となり、忘年会にお呼ばれする機会はさっぱりなくなってしまったのだ。
私のそろばん芸も今のところお蔵入りである。
そろそろ今年末あたり、どこかでお披露目できる機会があればといいなと思っている。さいザンス。

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