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短歌についてのメモ1

Xで投稿した短歌や短歌の記事についての雑感をまとめてみることにしました。評というほどのものでもないのですが。
ツリーでつながっているポストは、最初のポストだけリンクしてます。わざわざXまでいかなくてもいいように、一応全部まとめてテキストに起こしています。

「短歌研究」11月号 特集「「短歌ブーム」までの10年」

「短歌研究」11月号の特集「「短歌ブーム」までの10年」内、短歌情報サイト「最適日常」管理人の月岡烏情さんのインタビュー。
塚本邦雄を知らなくてもいきなり短歌に飛び込めるようになったことはすごいことだけれど、「みなさん孤立しているところがある(中略)情報の共通の基盤があったら」と最適日常の活動を続ける理由をお話しされていました。
こういうところに容易にマネタイズみたいな観点を持ち込むのはおかしいのかもしれないけれど、昼間に読んだ朝日新聞デジタルの佐原ひかりさんのインタビューや、来年12月に文フリがビッグサイト開催で入場有料化などとも一緒に考えてみると正体のわからない何者かにお金を奪われるように消費をするのではなく、自分が生きていきたいと思う文化に対してお金を払っていくことを、もっと意識しないといけないよなとも思います。
何にお金を払うかではなく、どこに、誰に、というのがもっと見えていたら、とも感じます。
もちろんマネタイズこそが全てというわけではないし、お金を払うことが果たして本当に良いことなのか、望まれることなのかというのはそれぞれだからなんとも言えないのだけれど。
それでも、「無料」とか「安い」に対して、少し立ち止まって、それは自分にとって最適な金額なのだろうかと考えることは必要なのかなと考えます。 市場では最適でも、自分にとって最適なのかは、違うんじゃないかとも思うのです。

角川「短歌」11月号 歌壇時評「読み」の共有へ向けて

角川「短歌」11月号 歌壇時評「読み」の共有へ向けて(山下翔氏) 短歌を口語でやるか文語でやるかはわりと短歌に飛び込んだ最初期で決まるものだと思うけれど、その横断を志す人は少なくないはずで、僕にとっても心強い文でした。 そして記事でも触れられていた『キマイラ文語』がBOOTHでも買えるようになっていて、追い風です。

まひる野 2021年 年間テーマ〈特集「都市を詠む」〉

短歌や短歌にまつわる勉強会になるべく出たい。なかなか遠くて叶わないことも多いけれど、昨日から「まひる野」のnoteで21年の年間テーマ〈特集「都市を読む」〉①〜⑨を読んでいて、再び短歌にハマった。
文学的な面白さに、やはりその時代を書き残すものだという感動に。
そして自分が短歌を始めたのが2020年なので、21年はもうすでに短歌をやっていた。なのにその当時、リアルタイムでこの記事に気づけていなかったことも悔やまれるし、もっとアンテナ立ててないと溢してしまう危機感も同時に芽生えた。これほどアクセスしやすくnoteに書いてくれていたのに!
「東京」というテーマで歌会を開こうとしている今に見つけられてよかった。滝本賢太郎さんは「ある歌を都市詠として語るとき、きっと歌の作者よりも鑑賞者の都市観の方が雄弁に表れてしまう」と書いていた。まさにそうだと思う。都市詠を作ることで、あなたと私の間にある距離を見たいし楽しみたい。

蒼井杏『推しとショボンヌ』(書肆侃侃房)

大根にうすい十字の切りこみを どうかきみ、ながいながいスパンで/蒼井杏『推しとショボンヌ』

めちゃくちゃ良かった。一首引かせていただきます。味が染みるように切り込みを入れるけど、でも、本当は時間をかけて良いのだよと言ってくれているような。

蒼井杏『瀬戸際レモン』(書肆侃侃房)再読

あ、雨が、そろばんはじく音で降る。ねがいましてはーーねがうよ、君の/蒼井杏『瀬戸際レモン』

雨、そしてそれがそろばんを弾く音だと気づく。その連想から、きっと「願いましては」と何気なく呟いたか、思ったのかもしれない。そこではっと君を思い出す。この流れが切ない関係性を感じさせる。「ぎりぎり」という連作そのものが、最後に「君」を思い出してしまう流れになっている気もします。 短歌を始めた最初期に読んで以来、僕のバイブルです。

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