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転倒したおじいちゃんが教えてくれたこと

4月17日、午前9時前。
車で出勤中、おじいちゃんが転ぶ姿が私の視界、右端に入った。
反射的に車を端に寄せ、ハザードランプをつけ、駆け寄る。

「大丈夫ですか。」と声をかけると、
「大丈夫、大丈夫。」とおじいさんは言った。
「立ち上がれるから大丈夫。」と。

おじいさんが動揺していることは明らかだった。
目も顔も体も震えている。

「ゆっくりでいいですよ。」
私が手を伸ばすと、おじいさんが私に手を預けてくださる。

しかしその手はすぐに引っ込められた。
おじいさんはすぐ側にあったブロック塀に片手で触れる。

「立ち上がる準備がいるとよね。」
おじいさんはそう言った。

言葉にしてくださって私ははじめて知った。
転んだお年寄りは、立ち上がるために準備が必要だということを。

それを知る機会を私は見過ごしてきたことを。
機会はあったはずなのに、そこで見過ごしたり忘れてきたりしてしまったことを。
思い返せば、自分の祖母だってそうだったはずなのに。

おじいさん、教えてくださって、思い出させてくださって、ありがとうございます。


おじいさんはゆっくりと立ち上がる準備をし、私の手を取って立ち上がる。
まだ少し動揺しているように私には見える。

「ここでいつもつまずくとよね。」
おじいさんの目線の先には2センチくらいの段差。
若い、足の丈夫な私は普段気にも留めない”ほんの2センチ”の段差。

この社会にはこんなバリアが無数にあるんだ。
おじいさん、教えてくださって、思い出させてくださって、ありがとうございます。


そういえば、少し前に乙武洋匡さんがこんなnoteを書いていらっしゃった。

この中で乙武さんは、これまで当事者の願いが届いて社会が変わることはなかったのに、今回の新型コロナウイルス感染症の流行で一気に進みそうなことが

「悔しい」

そう書かれていました。

私はそれを読んで最初は「乙武さんすごいな。」と感じた。
私自身は今回のコロナのことを「チャンスだ!」と前向きに捉えた人間です。

だけどもっとずっと以前からそれを願い、言葉にし、行動してきた乙武さんの「悔しい」は当然だと今なら分かります。
まだまだもっと、もっと、選択肢が増えていいですよね。
本来そうなはずですよね。

誰かが生きやすくなったら、周りの誰かだってうれしいもん。
誰かが幸せになったら、周りの誰かもうれしいもん。
あなただってそうだよね。


話が脇道にそれましたが、おじいさんの話に戻ります。笑

立ち上がったおじいさんは少し落ち着いたように私には見えました。
体の震えがおさまっています。

「痛くないですか。手は、足は、大丈夫ですか。痛いところはないですか。」

うん、うん、と頷くおじいさんに「気をつけて。」と声をかけ、立ち去ろうとすると、
「杖を取ってくれんかね。」と少し笑いながらおじいさんはおっしゃいました。

おじいさんの足元には杖が転がったまま。
そっか、そうだよね、そりゃそうだ。

普段「想像力を持ってほしい。」だなんて、言ってる私に足りてないよな、それこそが。

おじいさん、教えてくださって、思い出させてくださって、ありがとうございます。

そこに40代くらいの人が駆け寄ってきました。私が車から降りるのを見て、対向車だった方かな、車を停めて来てくださったとのこと。

ありがとうございます。世界は優しさでできている、きっと。


今朝の数分の出来事で、私はある人のことを思い出していました。

私が2012年に延岡に帰ってきて2年くらいお世話になった方。(もちろん今も折に触れて会いに行っています。)
今の私より全然、人と話せず書くことも器用ではなく、人が怖くておどおどしていた私をそっとあたたかく受け入れてくださった方。

その方は、車道に猫の死骸があると、必ず車を停めて、猫ちゃんを道の端にそっと移す人でした。
私はその姿をずっと忘れることができなかった。だって、私にはそれができなかったから。たぶん今も、できないからです。

もっと人に、生き物に、優しく寄り添って、想像力を持ちたい。
もっと多様な人に、多様な選択肢をつくりたい。

だってそれが私のためでもあるし、周りの大事な人たちのためでもあるもん。


最後まで読んでくださってありがとうございました。

ちなみにトップ画像は「バリアフリー」を思いながら、なんとなくで私が描きました~(4/18追記)

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黒木萌
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