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あなたにとって「家族」とは何ですか?
多様な家族の在り方が増えているらしい
「家族」と聞いたとき、あなたは誰を思い浮かべますか。
私はまず一番にお子を、その次に私を育ててもらった家庭を思い出します。
それから、今私の周りにいらっしゃる愛する皆さんのことを思います。
私、みんなのことを「家族」みたいに思ってるのかも。
そういえば、各地で多様な家族の在り方が増えているみたいですね。
いや、様々な家族の在り方は昔からあったのかもしれません。
ただそこに光が当たり、見える形で外に開かれつつある、と私は感じています。
たとえばこれから紹介するのは、写真展プロジェクト「フォスター」や、拡張家族「Cift」。
どちらも人から教えてもらったものです。ありがとう。
写真展プロジェクト「フォスター」について
「フォスター」は里親家族や特別養子縁組など、いわゆる「血縁や法的関係によらない」家族の姿を追った写真展プロジェクト、とのこと。
「家族のかたち、ってよく言うじゃないですか。だけどそれって”かたち”がある人の視点だよね、って、ある里親さんに言われてハッとしたんです」
(家族の線は)「重なってるしぼんやりしてるし、アメーバみたいに動く」。その境界は、すごくあいまい
子どもたちは別に“かわいそう”だけじゃないという気持ちがありました。楽しく幸せに、ふつうにケンカして生きてるよ、って伝えたかった
「フォスター」のこの記事は、私が悩んでいたときにTwitterのフォロワーさんが教えてくださいました。改めてありがとうございます☺
何を悩んでいたかというと、「子どもを児童養護施設に預けるなんて。」という非難を浴びるのでは、と恐れていたんです。そのときのツイートはこちらです。
世間的にはこう見えてるんだろうな私も。今一緒にいられないがいつか迎えに行きたいから施設に預けた。環境を整えたいと望む私の現実は、(当然だが)児童手当停止、医療費助成打切、子の父親から養育費はどうすればいいかという投げ。こういう発信も叩かれるのだろうきっとhttps://t.co/9eNVgkeazn
— 黒木萌/文筆家 (@moe_kurogi) March 31, 2020
でも私の主観ではそんな事全然なく、親が悪い親のせいだ酷い親だって声に抗したい。私が悪い私のせいだ酷い親だって私が一番思ってます、ただそれはお子の気持ちを考えたらで、他の誰かに言われる所以はない。別の誰かが同じ状況ならあなたがそう思わなくていいと私は言う。ではどうしたら?という発想
— 黒木萌/文筆家 (@moe_kurogi) March 31, 2020
今見ると、追い詰められてますね~けっこう。
制度の適用が対象外となるのは当然なのですが、傷心の私は感情的に捉えちゃったんですね…。
そんなときにフォロワーさんがあたたかい言葉をかけてくださって「フォスター」をご紹介くださったんです。救われたな~。ありがとう。
拡張家族「Cift」について
「Cift」は血縁や地縁によらない”拡張家族”のビジョンを共有する人々が、現代をより豊かに生きるための可能性を模索しながら共同生活を行っているコミュニティ、とのこと。
(これは確か雑誌『ソトコト』の「多様性の教科書」号から引用させていただいた記憶があるのですが、なぜかいくら探してもその号だけが見つからず…。見つかったら確認して追記させていただきますね。)
「Cift」ホームページ内の、「拡張家族Ciftとは、なにか。」という文章が素晴らしいので一部ご紹介しますね。
”Ciftはわたしにとって、何がすばらしいのか”
1. 「自立」と「刑法に抵触しないこと」しか条件がない。
2. いる人ひとりずつを好きになってきた。
3. 好きになる入り口で、家族というパワーワードと、みんな自分で選んでCiftにいるという自己決定と相互認知が効く。
4. 予定しなくても、仕事を離れて、好きな誰かと会えたり一緒にごはんを食べられる環境ってすばらしい。
5. お仕事モードもオフモードも両方見せてくれて、自分も安心して見せられる人たちがまわりにいるってすばらしい。
6. 責任が分散している。
”わたしにとってCiftとは、お金じゃなくて心でつながっていることを信じられて、特定の役割を誰にも押し付けない、心地いい家族”
気になった方はぜひリンク先を見てみてくださいね。
今の私にとって理想の家族の形とは
私は宮崎県延岡市に住んでいます。
まず私自身の話をすると、2017年に離婚。現在4才のお子と2人家族。お子とは2月下旬から離れて暮らしていて、今お子は児童養護施設に入所しています。
時に応じて波はありますが、私にはあまり再婚願望がありません。
理由は自分でも明確に分からずにいますが、たぶんこういうことなのだと今は思っています。
私にとって原型となった家族とは、お子を中心とした、子の実父と子の実母である私の3人家族。この3人が1セットで、ここが崩壊した時点で、父親の部分だけをかえて新しい父親を探そうという発想がないようです。
私にとって結婚とは、子どもとそれを中心とした家族に結び付いたもので、もう原型と同じ形をした家族は求めていないのだ、と今は感じています。
もちろん今後変わることもあるかもしれませんが。
今、私が理想とする家族の形はこんな感じです。
![画像1](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/24748102/picture_pc_075d890c7d30eec62c76ff1d374364bc.jpg?width=1200)
子どもたちを中心に、実父と実母を含めた複数の大人が関わって育てます。
父親的役割をする大人が1人~複数名いて、母親的役割をする大人も同様です。子どもが複数いることもあるでしょう。
私や実父の恋人(パートナー)はその中の一人でもいいし、その外部にいてもいいと思っています。
私が「社会で子育てをする」というときのイメージは現時点ではこうです。
先ほども書きましたが、私は現在お子を児童養護施設に預かってもらっています。
子の父親と別居・離婚して以来、子育て支援センターや保育園、ショートステイ事業など様々な制度にお世話になり、自分なりに工夫してきたつもりでしたが、様々な状況で預ける他なかったです。
(このことについても近いうちに書けたらと思っています。)
いつになるかは分からないけれど、お子を迎えに行ける環境を整えて迎えに行こうと決めています。
そう思えるようになるにも時間が必要だったけど。
迎えに行くためには、経済的や精神的な基盤だけでなく、複数の大人が関わって子育てする、社会的に子育てする環境があったらいいなと私は思っています。
そのメリットを享受するのはきっと私とお子だけじゃない気がするんだよな…。
昨日はこんなことを考えてました。
子どもの為に「緩やかな共同性に支えられた個の学び」をつくっていくというのは児童養護施設とそこにお子を預かってもらっている私にも言えるのでは、という気づき。信頼してお任せする段階の次に、信頼して関係性を築き、お子を中心とした”仲間”になれるのでは。苫野一徳オンライン読書対話に参加して
— 黒木萌/文筆家 (@moe_kurogi) May 3, 2020
これもまだ過程です。
今後どうなるか、分からないけど、お子と一緒の素敵な未来が待っていることを信じて。
延岡でも拡張家族、できたら楽しいだろうなー!
最後までお読みくださりありがとうございます。私の文筆活動を応援してくださる方、読んでよかったという方、また読みたいと思う方はぜひ記事下部の「気に入ったらサポート」からお気持ちをいただけますと励みになります。いただいたサポート費はよい文章を書くために使います。よろしくお願いいたします。
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