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「生き物はかわいい」と思えなかった

 子どもの頃、生き物を飼っていた。ウサギにカメ、熱帯魚とたくさん飼っていたが、すべてに名前がなかった。ペットを飼いたいと言い出すのはいつも兄で、私は生き物にさほど興味がなかった。

 複数人での雑談時にしばしば登場する質問事項として、「犬派か、猫派か」というものがある。私の答えはどちらでもない。興味がないからだ。SNSで愛らしい生き物の写真や動画が流れてきて、思わずクスっと笑い、反応ボタンを押すことぐらいはあるが、自ら積極的に生き物の写真や動画を探しに行くことはない。

 こんな私はどこか欠陥のある冷たい人間なのだろうか。

 いくつか飼ったペットの中でも、実家のリビング脇に設置された水槽を泳ぐ熱帯魚たちは花形だった。生き物に興味がない私でも、光に照らされた色とりどりの背びれや尾びれが藻の合間をひらひらと動きまわるのを時折ぼんやりと見つめることがあった。エアーポンプがこぽこぽと音を立てるのに耳を傾けるのも好きだった。

 熱帯魚は温水でしか生きられない。だから水槽には水を温めるヒーターがついている。ある日このヒーターがトラブルを起こし、すべての熱帯魚が死んだ。水温が上昇しすぎたのだ。

 それは前日に兄が水槽の水替えをしていた翌朝のことだった。発見した父に言われ、兄が後始末をしたことを覚えている。水面に浮かび上がった魚たちを一匹ずつ掬うその背中が悲しそうに見えたこと、兄の手はあふれる涙をぬぐっていたことも。

 そういうの、ぜんぶ、私は傍観者のようにしか覚えていない。普段から熱帯魚にエサやりをし、水槽の水替えだって兄を手伝っていたはずだ。ふりかけのような形状のエサや魚の泳ぐ水の生臭さが記憶に残っている。しかし私はあの日起こった事件をどこか他人事のようにぼんやりと眺めていて、もちろん涙など流すはずもなかった。愛着が湧かなかったのだ。

 いつしか私は大人になり、子を授かった。昔から子どもをさほどかわいいと思ったことがなかった私が親になった。必要に迫られて、必死で世話をする。はじめての子育ては分からないことばかり。子育て支援センターに行っては先生たちが子どもに接する様子を観察して、真似る。友人が子どもをあやす姿を見ては、真似る。

 その繰り返し。

 子と生活を共にして5年が経ち、「かわいい」という気持ちが湧いてきた。大変に思うときはたくさんあるが、毎晩一緒に過ごすことが日々の心の支えになっており、共に暮らせる喜びを感じている。

 熱帯魚と子どもとは何が違ったのだろう。対象がペットと人間という違いももちろんあるだろうが、だからこそ私が面倒くささを受け入れた、受け入れざるを得なかったというのが大きいように思う。相手は人間で、自分が世話をしないと死んでしまう非力な存在だ。熱帯魚のときのように傍観しているわけにはいかない。面倒くさくても必死で世話をせざるを得なかったのだ。

 熱帯魚を飼っていた頃、私の心にはどこか「この生き物は兄のもので、兄が世話をするものだ、だから私が世話をしなくてもこの生き物は死んだりしない」という思いがあったのかもしれない。自分が主体となって世話をしていれば、少しは結果が違っただろうか。面倒くささを受け入れ、むしろ面白がることができれば、どんな対象にでも愛着は持てるかもしれない。そうすれば、生き物に愛着が持てる優しい私になれるだろうか。

 しかしそもそも生き物に愛着を持てない私は冷たいのだろうか。自分が飼いたいと言ったわけではない生き物に興味を持てなくたって、それでいいではないか。そう考えてみると、母が幼い私にかけた言葉を思い出す。飼っていた生き物が死んだ。兄は泣いて妹は泣かない。母は「お兄ちゃんはまだ泣いちょるからいいわ」と棘のある言葉を私にかけた。

 母はなぜそんな言葉を私にかけたのだろうか。解の一つは、母の目線で兄や私を見ていたからだと私は思う。母の中に「生き物を愛する子は優しくてそうでない子は優しくない」という価値観があり、その価値観を通して私を見ていた。

 同じことを繰り返したくないと私は思う。私の目線で子どもを見たくない。子どもの目線でその世界を覗こうとしてみたい。そうすることで、子どもにはのびのびと育ってほしい。かつて悲しい思いをした私の心も救ってあげたい。熱帯魚に愛着を持てないままぼんやり見つめていた私に、「そのままでいいよ」と声をかけてあげたい。


この原稿はエッセイストの紫原明子さんが主宰する「もぐら会」の「書くことコース」で8月に書いたものです。テーマは「愛着」でした。

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黒木萌
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