心の滋養
コロナ禍真っ最中、収入がほとんどなくなった時期があった。それで、収入がないから出費を見直そうと思い、定期的に支払っているメールマガジンの購読とか配信サービスとかをほぼ一気に全部やめたことがあった。
家でスローペースに過ごしすぎて、外からの情報の処理が追いつかない状態の時でもあったので、節約にもなるし、情報のインプットを減らす意味でもいいかなと思ったのだった。
それでも、始まった当初からずっと購読している吉本ばななさんのメルマガは解約するのにすごく迷ったのだけれど、それまでライフラインのようにばななさんの言葉を頼りにしてきて、頼りにしすぎてきたのではないかという自覚もあって、一度、それを手放してみるのも良いのかもしれない、と、思い切って解約することにした。
ばななさんのメルマガを読んでいなかった時期は、ちょうど、クラニオの先生と会わずに過ごした時期でもあった。世界は大激動で、私自身の人生も激動というそんなすごい時期に、自分にとっての心の師みたいなこの二人の言葉と存在から離れるという、何かのチャレンジみたいなことをなんでわざわざやっていたんだと思うんだけれど、今から振り返れば、それだけ自分が激動だったからこそ、自分を深く形づくってきた人たちと一度離れることがよかったのだと思う。
そして、今日、すごく久しぶりに、ばななさんのメルマガの購読を再開した。特に何のきっかけがあったわけでもないのだけれど、今は仕事もまたできているし、もうそろそろいいんじゃない?(というか、何を我慢していたの?)という感じだった。
で、再購読の手続きを終わらせて、最新の記事を読んだ時の感覚がすごかった。砂漠地帯の乾燥してびきびきにヒビが入った岩場みたいなところに、澄んだ水が流れてきて、すーっと吸い込まれていくような感じ。
心の滋養!!と、胸の中で叫んだ。
こんなにも、こんなにも、私の心はばななさんの言葉を欲していたのだった。
離れていた時間のおかげで、前みたいに、ばななさんの言葉に依存するような感覚はなくなった。だから、それはよかったのだ。よかったんだけれど、やっぱり、もうちょっと早く再購読していてもよかったかも…!とは思う。
この冬、3年ぶりにクラニオの先生に会った時も同じようなことを感じた。
離れつつも、彼女から教わったことを味わい、実践しながら過ごした時間の中で、私の中にあった彼女を必要とする部分が昇華されたことを感じて、依存しなくてすむようになったと嬉しく思いつつ、同時に、彼女と一緒にいると、細胞が思い切りよろこんでいる感覚、自分がまんなかに戻ってくる感覚がひしひしとあって、ああ、3年も待たなくてよかったんじゃ、コロナ禍の間にいっぺんくらい彼女のオンラインでのクラスに参加していてもよかったんじゃ…と思ったのだった。
それがどんなに素晴らしいものや人であれ、依存してしまったら、それは力を明け渡してしまうことになるから、一度ストイックに供給を断ったのは今回の私にとってはよかったのだけれど、自分の内側を豊かにしてくれるものは、やっぱり人生には必要だ。だから、依存の対象にしないとか、逆に節約のためだけにカットしないとかいうことも含めて、ちゃんと何が滋養かを自覚して、大切にしていきたいなと思う。
そんなわけで、今は、美味しい湧水を飲むように、ばななさんのメルマガのバックナンバーをごくごく読んでいるところです。潤う…!