季節の移ろいが運んでくる幸せについて
洋服が季節の変わり目に、季節を先に進む様子を見るのに私は風情を感じる。
ああ、もうこの季節は終わりに向かっているのだな、という感覚を、洋服のデザインや色彩で感じるのがたまらなく好きだ。
特に、夏から秋への移り変わりの変化が、私の心を一番捉える。夏に着れそうなデザインのものでも、秋の木々や葉の色になり、それは夏には無い色で、洋服も自然と同じ色の変化をする事に、四季の移ろいを、身を纏うものからでも表現できる事に喜びを感じる。
着物を着ていた時代はきっと、柄に蜻蛉がいたり、紅葉がいたりなど、今とはまた違う表現で、季節感を出していたのではないだろうか。
洋服を纏う時代に生きているけれど、きっと着物の時代と違った、季節の移ろいの楽しみ方ができていると思う。
昨日行ったコンビニで、シースルーの法衣を纏ったお坊さんを見かけた。シースルーの法衣なんて、昔なかったのではないだろうか。お坊さんがシースルーの法衣を身につけている間はまだ夏だな、と思うけれど、洋服屋のショーウィンドウには秋服を着たマネキンが、一足先に秋の季節を纏って、道行く人達の視線をさらう。その人達は、この暑い中もう秋服着てるよ…とか、秋服の用意も考えなくちゃな…とか、秋服についてきっと何かしら思っている事だろう。
最近は、季節の移ろいを感じる前に、商品の予約のお知らせだとか、販売をする事が増えた様に思う。
例えば、クリスマスが来る前に、次の年の恵方巻の予約の旗がはためいていたり、次の年のおせちに至っては、夏から予約についてのお知らせがあったりする。何だか気持ちが先走ってしまうような気持ちになってしまう。先に先に、と言う気持ちの表れかもしれないけれど、もう少し、先走る前に、季節季節を味わう余裕を下さいと言いたい。
かという私は、この間、先走って、八月上旬だと言うのに、冬に着れる服が売っていたのを見て、売り切れる前に、と、すぐに買ってしまった。
まだ今年の冬の洋服の予測なんてつかないのに先走ってしまい、買っておいて、自分で困惑している。
季節の移ろいを感じる前の、商品発売は、よくできるものだと、販売する人達の感性や仕事ぶりをすごいと思う。
私は季節の移ろいを感じないと、次の季節について想像ができにくい人間だけど、私みたいな人間より先に季節の移ろいを想像したり、創造できる人達の素晴らしい次の季節のあれこれの仕事を、そういう人達が生み出したものに触れる事で、私みたいな人間も想像できたりする部分もあって、有難いと思っている。
けれど、やはり、恵方巻の予約開始の旗はクリスマスが終わってから置くようにして欲しいな、と思う。だって、クリスマスはチキンやケーキの事を考えたいから。
クリスマスの気分を、先送りにしながらクリスマスを送るのは、私はもったいない気持ちになるし、どこか悲しい気持ちにもなってしまう。
幸せな時間を感じさせてくれる余裕が、私は、欲しいと思うし、幸せを感じさせてくれる余裕は、多くの人を幸せにすると思う。
たかが、恵方巻の旗、かも知れない。しかし、幸せな時間を確保する事に関してなら、たかがではない話である。