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母親が生きていたら63歳

本日5/11は母親の誕生日で、生きていたら63歳だった。

そんなことを考えながら、お墓参りに行ってきた。

亡くなってしまった人に対してできることは、「その人を思い出すこと」「その人の話をすること」だと思っているので、今日もつれづれなるままに書いてみようと思う。

62年という人生

私の母親は昨年7月に62歳で亡くなった。

日本人女性の平均寿命は87.09歳らしいので、母親は平均寿命より約25年早くこの世を去ったということになる。

寿命が長いことが良いこととは限らないが、こうやって数字で見るとなかなかのインパクトがある。

かつその62年のうち、33年は子育てや祖母の介護もしていたと考えると自分のためだけの時間はほとんどなかったはずだ。

加えて、夫である私の父親は高校野球の監督(職業としては保健体育の高校教諭)だったことから、子育てが大変であったことは想像に難くない。

そう考えると、本当に人のために生きた人生だったんだろう。


母親の人生は幸せだったのか

ぶっちゃけこの問いに答えはないし、それは当の本人である母親しか知らない。

いつかあの世で会ったときに聞いてみたい。

ただ、母親の言動などからおそらく幸せな人生だったのではないかと思う。

母親はよく「いつ死んでもいい」というようなことを言っていた。

これは決して「死にたい」という意味ではなく、「やりたいことはやった」という意味であったと解釈している。

ここ数年私はそのような発言を聞いていなかったが、伯母が聞いていたことから、このあたりは考えに変わりはなかったようだ。

また一方、「寝たきりのような生活はしたくない」「痛い思い、苦しい思いはしたくない」とも言っていた。

母親の健康寿命は、くも膜下出血を発症してからの3.5日を除けば≒人生なので、希望通りという意味でも幸せな人生だったのではないかと思う。

子どもという希望

これは母親の息子にあたる私と2人の弟かというとそうではない笑

孫にあたる私の2人の娘の話だ。

上述した通り、「やりたいことはやった」と言っており、そこに偽りはない気がしている。

ただ、伯母によると少し続きがあるらしい。

「あえて言うなら、孫たちの成長を見てみたい」とのことだ。

これを伯母から聞いたときに、「人生に満足していても、そういう希望はやはりあるのだな」と思った。

同時にそう思わせる子どもは、本当に「希望」そのものなのだと思った。

終わりに

人は残念ながら忘れていく生き物だと思う。

それがどんなに大切なものであったとしても。

なので、これからも折に触れて母親の話をし、思い出すようにしていく予定だ。

そして、母親が亡くなった日も、今日も本当に綺麗な青空だ。

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