縁
私の母は教育に関して厳しくはなかったが、その中でもいつも私に言っていたことがある。
それは「人とのつながりを大事しなさい」「人はどこでつながるかわからないから、なるべく敵はつくらないようにしなさい」というものだった。
正直私は能力が高くはない。
ただ、この縁に生かされて、自分なりにはかなり良い人生が送れていることから、母には感謝している。
私の中でおもしろいものだなと思う縁が3つある。
大学テニス部の同期
1つ目は大学テニス部の同期との縁である。
高校1年時の私のテニスは相対的にはピークに強く、小さなジュニアの大会に出ると上位入賞していた。(優勝出来ないというところは、今と変わらず詰めが甘いのだが、、)
その時期に出た大きなジュニアの大会で「毎日テニス選手権」の16歳以下の部門で4回戦まで勝ち残っていた。(他の年なら緒戦敗退してもおかしくないレベル)
ただ、4回戦まで勝ち残ったものの、4回戦の相手はレベルが格段に上がり、0-6,1-6というまったく惜しくないスコアで負けてしまった。
言い訳にはならないが、相手は体格もかなり良く、当時160cm/50kgだった私は完全にパワーで押し切られたような形だった。(今でも167cm/57kgと体格は良くないが)
と落ち込んでいると、私が試合していたコートの隣で、私とほぼ同じ体格の男の子が体格の良い男の子をバコ打ちで押している。
当時体格の良い相手に負けることが多かった私としては衝撃だった。
彼はその試合に勝ち、私が負けた相手にも勝ち、最終的にはその大会で準優勝していた。
後に聞いた話だと、その年の決勝は会場が有明コロシアムだったらしい。羨ましい。
そして、18歳以下の準優勝は大学テニス部の2つ上の主将だった。
彼に体格は言い訳にならなく、成績を残せるということをプレーで教えてもらった。
そんなこんながあったが、3年後に彼とは同じテニス部の同期として練習する仲になった。
今思えば彼は大学の附属校におり、私がそこに大学から入ったから、彼がいるのはほぼ当たり前なのだが。
同期とは言え、彼は1年から団体戦のレギュラーで、個人でもシングルス関東学生で、ダブルスインカレベスト16というとんでもないプレーヤーなので、レベルはかなりの差がある。
しかし、自宅が近いという物理的な距離の高さを除いても、大学を卒業して15年が経とうとしている今も付き合いがあるのはおもしろいものだ。
不動産仲介してくれたテニス仲間
2つ目は、今の自宅購入の際に仲介をしてくれた友人との縁である。
これまた出会いはテニスで、高校1年の秋だった。しかし、今でも印象に残っているのは高校2年の頃の出来事だ。
元々私の高校テニス部2人が間にいる形で知り合いではあったが、その日は高校の秋の新人戦(個人)だった。
自分の母校が会場で、私も含めて同期3人が会場にいた。
スケジュールの関係もあり、最後まで勝ち残っていたのは私だけとなった。
最初は男子の同期と後輩だけの応援だったが、他の会場が終わった部員たちも母校の会場に集まり、その試合はほとんどみんなに応援される形となった。
その応援の中には他校である彼もいた。
もっとも、彼は中学テニス部が一緒だった私の同期の応援に来ており、そのまま残っていただけだが。
その試合で、私は6-5の40-15のダブルマッチポイントのチャンスを逃し、6(5)-7で負けてしまった。
みんな本当に残念がって、「良い試合だったね。」「本当に惜しかったね。」といった旨のコメントをくれた。
後輩の女の子の中には泣いてくれている子もいた。
そのような雰囲気の中で、彼だけはこう言った。
「なんであそこでフォアに回り込んだんだよ。バックの方が上手いんだから、バックでそのまま打てば良かったんだよ。」と。
このときは「このタイミングでそんなこと言うか?」と思ったが、冷静になって考えると彼の言っていることは非常に的を射ている。
チャンスボールはフォアハンドで叩いていくのが男子テニスの定石だが、当時の私はバックハンドの方が得意で、ポイントを獲れる確率もバックハンドの方が高かった。
ダブルマッチポイントの場面でミスはしなかったが、決まりもしなかったのも事実だ。
たらればではあるが、彼の言う通りバックハンドで打っていた方がポイントを獲れる確率は高かったはずだ。
彼とは社会人になってたまに連絡を取っていたが、ひょんなことから物件を探すのを手伝ってもらった。
結果、出してきてくれる物件が他の不動産仲介より明らかに良いもので、今思うと相場の1,000-1,500万円くらいお得に購入出来たと考えている。
新宿区という23区でもかなり良いエリアに住むことが出来ているのは彼のおかげと言っても過言ではない。
ビジネススクールの先輩
3つ目は、2社目に転職する際に声をかけてくれたビジネススクールの先輩との縁である。
出会いはビジネススクールの最初の授業だった。
最初のきっかけは、会社が違えど製薬業界で働いているくらいのものだったと思う。
同じビジネススクール出身とは言え、その方と私では相当の能力の差がある。
私はどうにか2年間で卒業した感じだが、その方は優秀な成績で1年半で卒業した。
仕事としてのポジションも私は当時シニアコンサルタントだったが、その方は今ではパートナーという一番高いポジションにいる。
(周りから聞いた話では、どうやら部門史上最年少かつ最短でなったらしい)
有り難いことに私もファイザー、デロイト、アクセンチュアと労働市場ではかなり評価が高い企業で仕事をしてきたが、同年代でその方ほど能力の高い人は未だにあったことがない。
(その方は2歳年上だが、ここでは上下5歳までを同世代と勝手にしていこう)
と上述しただけでも、その方がとんでもなく優秀だということがおわかりいただけると思うが、何故か3年間「うちの会社に来ないか?」と私に声をかけ続けてくださった。
製薬会社にいた当時は正直コンサルなんてハードな仕事をしたくないと思っていたが、タイミングなども相まって、そのお誘いを受けることにした。
たぶん普通に面接を受けていたら受からない気もするし、今コンサルタントとして仕事が出来ているのもその方のおかげだと思っている。
同じ製薬業界であっても私より優秀と思われる人もたくさんいた中で、当時から今までその方の期待に応えられたかというと疑問ではあるが、感謝しかない。
まとめ
今回は代表的に3人の方との縁を話をさせてもらったが、私の人生のほとんどは縁で出来ていると思っている。
仕事であればそれだけではなく、常に知識を得て、スキルも磨き続けなければならないが、これからもそういう縁に恵まれるような人間でいたいと思う。
そして、繰り返しになるが、幼少期からそれを繰り返し私に教えてくれた母には感謝している。
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