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私の両親

今月は両親とも誕生日で、60歳になったので、還暦を迎えたことになる。

その節目に、折角なので自分の両親について考えてみた。

父親は野球をする人

私が物心ついたとき、最初に父親を認識をしたのは「野球をする人」ということだった。

高校野球の監督をやっていただけなので、正確には「高校教員かつ野球部顧問」なのだが、物心ついた頃にはそこまでの認識はなかった。

自分の父親が高校教員であると認識したのは、そこから数年後のことだった。

と言うのも、私の父親は休日であっても、昼間に家にいることはなかった。

それもそのはず、私の父親にとっては、おそらく土日の野球部の練習や練習試合が本当の勝負だったのだろう。(平日は教員の仕事をきちんとやっているので、サボっているわけではない)

なので、父親が休日の昼間から家にいるのは年を通して何日かで、年末年始と、春夏秋の公式戦に負けた次の日くらいという感じだった。

でも、不思議とそれを寂しいと感じることはなかった。

今考えると、母親がきちんといろいろなことをやってくれていたからなのだと思う。

都立の名将

そんな父親をどう思っているかと言うと、私にとっては、今も昔も自慢の父親である。

最初の赴任校である島の高校で島史上初?の東京都ベスト16になり、父親はその監督として有名になったらしい。

これが私が産まれるか産まれないかくらいの父親が25歳になる前のことなので、私が産まれた頃には、父親はすでに都立の高校野球監督として有名になっていた。

高校野球雑誌には度々載っていたし、東京都で上の方まで勝ち残れば、新聞に載ることもあった。
(今思うと、新聞に関しては特に高校野球独特のもので、他のスポーツだったら有り得ないと思う)

その後も父親が監督をする高校は度々東京都でベスト8までは勝ち進んだ。
(ただ、未だに甲子園には出場出来ていない)

基本的には家にいないながらも、「都立の名将」や「智将」と呼ばれる父親を、昔から今までずっと自慢に思っている。

野球を選ばなかった3人の息子

話は変わって、私には弟が2いる。

つまり、父親から見ると3人の息子がいるわけだが、誰も野球をする道を選ばなかった。

ただ、私の父親は私たち3人の息子に野球をやることを強制することは絶対にしなかった。

私は父親がそういう人間であることを尊敬している。

ここ数年「誰かには野球をやってほしかった。」と本音をこぼすことはあるが、そもそも父親とそこまで真剣に話をしたことがなかったというのも、今考えると感じることだ。

私が野球を選ばなかったのは、あの体育会的な雰囲気が合わなかったというのもあるが、父親が有名なスポーツをしたくなかったのも多少はあると思う。

ちなみに少し話が逸れるが、私は中1の4-7月の4か月だけ野球部に所属していたことがある。

やはりあの野球の雰囲気に合わなかったが、今思うと良い監督や先輩たちだったと思う。(同学年の仲間はもちろん)

話を戻すと、弟たちが野球を選ばなかったのも、父親が有名であるということも多少はあるのではないかと思っている。

ちなみにさっきから「父親が有名」というニュアンスで話をしているが、あくまで高校野球という世界での話である。

一般の人からしたら「誰?」って感じだと思うので、一応付け加えておく。

ただ、私が通学していた都立高校では野球部の監督に

「え、あの平岩先生の息子なの!?なんで野球じゃなくて、テニスなの?」

と言われたことはある。

少なくとも、そのくらいの知名度はあったということだ。

甲子園への最後の挑戦

還暦を迎えたので、当然定年退職も近付いている。

普通にいけば、おそらく次の3月が定年退職になるのだろう。
(嘱託職員で延長という選択肢もあるとは思うが)

そうなると、甲子園への挑戦も今年の夏が最後になるはずだ。

これまで高校野球に捧げてきた父親の人生である。

となると、やはり甲子園に立って監督をしている姿というのを見たいのが息子としての気持ちになる。

そもそも甲子園が開催されるのかすらもわからないが、出来ることなら開催してほしいというのが個人の意見だ。
(完全に個人的な感情だが)

今の高校での最高戦績も、やはり東京都ベスト8。

そこから先にいくのに大きな壁があるのは応援する側からでもわかるが、そこはどうにか突破してもらいたい。

実はスーパーウーマンだった母親

これまで父親のことを書いてきたが、最近気が付いたのは母親の凄さだ。

これまで書いたように、父親が昼間から家にいるのは、年に何日かの生活だ。

専業主婦であったとはいえ、ほとんどすべてのことを母親がやっていたことになる。

昔はそういう女性も多かったのかもしれないが、今でも言うワンオペどころではない。

それでも私の記憶の中の自宅はいつも綺麗になっていたし、私を含めた3人の息子はきちんと公園などに遊びに連れて行ってもらっていた。

なので、繰り返しになるが、寂しい思いをしたことはなかった。

加えて、祖父ががんとの闘病生活をしたり、それに伴って祖母も体調を崩したりということがあり、その世話も母親がしていた。

昔を振り返ると、母親はとんでもないスーパーウーマンだなと思う。

父親のことを好きな母親

このような生活を20-30年も続けていたら、夫に嫌気が差しそうな気もするのが客観的な見方じゃないだろうか。

しかし、ここで凄いのは、母親はメンタルトレーニングの資格を取り、ここ5,6年は父親と一緒に甲子園を目指し始めたことである。

もちろん、母親自身がメンタルトレーニングに興味があったこともあるのだろう。

しかし、それを自分の夫のために使うというのは、また凄いことだなと思う。

「ここまでやってきたのだから、どうせなら甲子園に出てほしい」というのも、少なからずあるのかもしれない。

にしても、やはり凄いことだなと思う。

そう考えると、母親は父親のことが本当に好きで、それを見ていて、息子としては悪い気はしない。

これからの両親

急に父親の仕事の話に戻るが、父親は本当にこのまま定年退職するのかもわからない。

ただ、野球とは関係なく、高校教員として少なくとも38年働き続けてきたのは事実である。

まだ定年退職をしたわけではないが、本当に凄いことだと思う。

母親は昔から「本当に専業主婦なのか!?」と思うくらいとんでもないネットワークがあり、いつもいろんなことをしている。

これからもいくつか計画があるらしく、何やら楽しそうだ。

ただ、息子として思うのは、めちゃくちゃありきたりだが、とにかく健康でいてくれれば良いということだ。

そして、私自身も健康でいて、時間をつくって、たびたび妻と娘2人を連れて実家に行く。

それがこれから両親に出来る親孝行なのではないかと考えている。

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