私の母親
私の母親は、今年の7月に62歳という若さで亡くなってしまった。
亡くなってから母親が初めて夢に出てきたのもあり、改めて少し母親について書いてみようと思う。
高校野球部監督の妻
私の母親を語る上で外せないのは、まずこれだと思う。
私の父親は高校の体育教諭であり、高校野球部の監督をする人である。
高校教諭を引退した今は高校野球部監督という職業で仕事をしている立場であることから、世の中的には実績を持っている人になるだろう。
ただ、高校野球部の監督をやっている父親は、家に一日中いる日は年間を通しても数日くらいだった。
父親はそれを好きでやっているから何も問題ないが、それを支えている母親は大変だっただろうと思う。
ワンオペという言葉が使われるようになって久しいが、私の母親の家事・育児はそれどころではなかったような気がする。
その凄さは自分が親になった今になるとよくわかる。
さらに凄いと思ったのはその先である。
私たち3人の息子が独り立ちした後に、父親をサポートするために選手向けのコーチングやメンタルトレーニングを学び始めたことだ。
母親自身がやりたかったことと父親に必要であることが一致しただけなのかもしれないが、それにしてもこの決断には驚いた。
誇りを持った専業主婦
共働きで旦那さんと一緒に家計を支えるというのもとても素敵なことだとは思うが、私の母親は積極的に専業主婦を選択し、誇りをもって専業主婦をやっていた。
弟2人と私の3人の息子が帰宅したときにおかえりと言いたいというのが大きな理由だったと言っていた。
私は幼少期に精神的に不安定だったこともあり、母親のこの体制に何度も救われたことぎあると思っている。
それはおそらく2人の弟も同様だろう。
そして、今思い返すと、3人の息子がいるとは思えないほど家の中は常に綺麗だった。
私自身が整理整頓をするように厳しく言われていた記憶はあるが、それにしても家全体が綺麗だった。
専業主婦だからといってもこれはなかなか出来ることではないと思い、本当に尊敬している。
人に好かれる
知り合いがとにかく多く、かつ本当にいろんな人に好かれる人だった。
メインが専業主婦だったにもかかわらず、葬儀に500人を超える方々が参列してくださったことには本当に驚いた。
人数が多いことが必ずしも良いことではないが、葬儀屋の方が驚くくらいのことであったし、これが母親が人生で築いてきたものだと感じると圧倒された。
ただ、それだけ多くの人に好かれるのはわかる気がする。
というのも、母親は人とのコミュニケーションには人一倍気を遣う人だった。
私自身母親に勉強をしろなどとは言われたことはないが、人とのコミュニケーションについては幾度となく注意をされてきた。
おかげで人間関係でトラブルが起こることはほとんどなく、素敵な方々に囲まれて良い人生を過ごせている。
(関わらない方がいい人を判断する能力が高くなったのかもしれない)
終わりに
母親のことを書いてきたが、何よりこういうことを書ける親子関係で良かったなと思う。
少しクサいことを書くと、母親は自分にとって世界の始まりなわけなので、母親を愛せることによって、この世界を愛せるのではないかと思ったりする。
そんな素敵な母親の息子であることを誇りに、これからの人生も頑張っていこうと思う。
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