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違和感から得た自分のあり方

先日、会社の若手メンバーが集まる懇親会に呼ばれて感じた違和感。
この違和感は何だったのか。心と身体が拒絶している自分を振り返り
そこから判明した今更な自分のあり方を確認した。

先日のこと

金曜日に会社の若手社員を集めての懇親会があった。そこにお呼ばれしたオジサンこと私。行く前からなんだかモヤモヤしていたんです。
いつものことながら、その手の会はマジョリティな感覚はなく、いつも居場所を探すことになります。
今回も当然のことながら居場所なんてあるわけもなく、
お仕事なので会をやり過ごします。
社外の大勢集まる会以上に、会社での大勢の会は苦手。
決して知り合いがいないわけではないのですが
空気感がついていけない。
一体この気分がのらないのは何なんだろうか?といつも思い
時間が過ぎるのを待つのでした。

違和感

このモヤモヤは何なんだろうか?と思いながら
ビュッフェ形式の食事をみんなの分とりにいったり、
こういう場は自分が語る場ではないので、徹底的に聴き役にまわります。
聴き役は楽しいです。
相手のことを知ることできるし、相手の気づかない部分を気づかせる、再発見を導くことができたり、相手の「いいとこ探しゲーム」なので、気持ちがワクワクします。

でも違和感を抱えるんです。

  • 気を遣わせてるのでは?

  • この場はいったい何なんだ?

  • これなんの時間だっけ?

必要な時間であることは十分理解しておきながらも違和感を抱えます。

違和感を分解してみたら

さて、この違和感を分解してみました。その結果、整理されたのが次のようなことでした。

  • カテゴリーがオジサンだからか?

  • 自分の存在がマイノリティだからか?

  • 話しかけるのが面倒だから?

全部違います。よくよく考えると次のようなことでした。

  • 気を遣わせてしまっている空気

  • 頼んでもいないのにお酒を注がれる

  • 無理やり話しをさせてしまっている

つまり、上下の関係を構築する構造が自分の違和感であり、自分の求めていない世界を強要されるのが嫌だなと改めて感じたということでした。

自分のあり方はこうだよね

会社の組織だから仕方ないし、自分はそうは思ってなくても、組織が創り上げる関係の中で、そうせざるを得ない環境。
それが上下関係で改めて感じさせられる時間でした。
そんなの?そう、そんなの自分にとって全く価値がなくて
フラットにフリーに色々と話がしたい。
でも、枠の中においては、そうせざるを得ない。
誰が悪いわけでもなく、こちらから「そういうのさ、やめようよ」
といくら伝えても変わることない。

The 空気

一方で、その経験から自分のあり方はフラットに
色々な人と話ができることに価値をすごく感じる
ここに自分のあり方を改めて認識できることはおおきいなと
整理ができた一日でした。

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