
Vol.001 文学的とは何か?
今回のテーマは「文学的とは何か?」えりさんとあまのっちさんという文学にある種?おぼれてる先輩方?に文学とは縁遠いCOTAの3人が自由気ままに語りあいます。入りのとこでCOTA緊張しすぎて大切な「的」わすれてるし(笑)
一文の美しさを追求するっていうよりかは、書くこととか読むことによって、自分がどうなのかみたいなところの追求、追求っていうとちょっとかっこいい感じになっちゃいますけど、自分って誰なんだろうみたいな部分を考えていくっていうことが多分やりたくて、 読む場合も書く場合も、多分そこに中心軸があるような気がしてますね。
結局、文学はやっぱり言葉を使った芸術だと。絵画とかいろんな表現の仕方があるうちの一つなので恐らく誰かがそれは芸術だと言って、これは芸術的な文章だと言えばそれはもう文学なんだろうなっていう感じ。
単純にこう綺麗な花を見て美しいとか綺麗な景色を見て美しいっていうのとはちょっと違って、その人が生きてる感じっていうか生々しく生きてるのが見える方がやっぱり美しく感じるし、なんか冷たさとかっていうよりは、暑さみたいなものを感じる方が自分としては美しいって感じる。
パッションがないと表現はできないと思うんですよ。だからそれは絵にしろ、文にしろ、 立体的な造形にしろ、もしかして仕事もそうかもしれないですけど、なんかそういう情熱がないとやっぱり漏れ出るってことはないし、外側になんか表現しようっていうところにも繋がらないと思うので、そこはあるんじゃないですかね一つ軸として
多分、自分の中で漏れ出るものがないと外に出そうと思わないんじゃないかなっていう気がしてて、それをやっぱり表現しようとするからやっぱり表現されたものは自ずと漏れ出てるんじゃないかな
康太郎雑技団チャンネル名言集 言ノ葉