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「どの様に望みを叶えるか」その方法は私たちの手の中にはない

今日はエネルギーの仕組についてとりとめもなく書いていく。めちゃくちゃ長くなると思うが好きものは読んでくれ。

すべてのものは情報を発している。
これは文字で考えると分かりやすいが、文字は一つ一つエネルギー(周波数)を持っている。

エネルギーとはある種情報と置き換えられる。そして情報はそれぞれ方向を持っている。各々にベクトルがあるのだ。

情報を付与するということは方向性を与えるということ。

例えば、みかんに「ばかやろう」と書いて張り付けておくと腐ると言われるが、あらたに情報(方向性)が付与されてエネルギーの質が変化したという風に捉えてみると発想に広がりができる。この場合、当然観察者が「ばかやろう」という言葉をどのように捉えているかが鍵となるのだが、方向性というのは最終的には意識の力ともいえる。このことに関しては後述する。

少し切り口を変える。

名前というのは「呪」の一つと言われるが、名付けることで一種の方向性を与えているともいえる。「術」というのは何がどの方向にどのような力を与えるのかを知って、それを整理しておけば、必要な時に必要なものに情報を付与できるようになり、組んだシステムが発動する。

植物で考えると分かりやすいが、何の植物がどのような効能を人に与えるのかを理解していれば、あとは容量と用法を間違えなければ狙った効果が表れる。この考え方が「術」にも転用できる。

これは神も仏も同じで、日本は異国の神様を受け入れて、能力別に分類・整理して順序だてをしている。仏教にはインドの神様が結構交じっているが、序列がしっかりしている。序列を無視して使役しようとすればその代償は大きい。先輩をパシリに使おうとすればケツを蹴られるが、神仏の世界はその何百倍も恐ろしい結果が待っている。

術者というのはちゃんとシステムが働くように術を組まなければいけないし、システムはこの世の法が元になっているので、そこから逸れれば当然淘汰される。この世には「主」と「従」というエネルギー構造があるのだ。

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では、次は「欲しいものを望むこと」について考察していきたい。

望むとその瞬間からその望みが叶っていない自分が現れることになる。

例えば「お金持ちになりたい」という望みを叶えるには「お金を持っていない自分」というのが存在しないと成立しない。だから「お金持ちになりたい」と強く望めば望むほど「お金を持っていない自分」も同時に強まっていく。

こんな話は結構いろんなところで聞く、そしてこの話の後に「今すでに幸せであることに気付きましょう」というキラーフレーズが続き、個室に案内されて、なんらかの浄化グッズを購入することでこの話が締められる。

後半は冗談だが、こう説明されると、まるで何も望んではいけないような空気感が出るがそうではない。望みというのは方向性なのだ。「いつ」、「どこで」、「だれが」、「なにを」、「どのぐらい」、「どうなっていたいのか」。

これが望みなのだが、残念ながら「いつ」、「どこで」、「どのようにして叶うのか」は私たちの手の中にはない。これらは方向性だけ決めておけば自動でゴールに向かって流れていく項目だからだ。

「ここまでにこうして欲しい」というのはこっちの都合で、もっと俯瞰してみたら最適解はその方法でない可能性があるということ。このことはすべてを俯瞰して見ることができない私たちには、今の自分にとって何が最適解なのかは分からないのだ。だから「やり方」に関しては完全に手放さないといけない。

ということは、方向性だけ決めたらあとは「楽しく待つ」という姿勢のみが求められる。「望みが叶っていないから不幸」なのではなくて、「望みが叶うのを待っている間も幸せ」であるということだ。

風水の極意は「待つ」ことであると言われる。私たちは果実がなることをどうしても「待つ」ことができずに、つい水をやり過ぎてしまう。場合によっては育つのを待たずに不安になって土を掘り返してしまう。

種というのは土に植えれば芽を出るようなっているのだが、人だけが不安になって信頼できずに環境をイジってしまう。時が満ちるのを「待つ」ことができる人間に天は微笑むのだ。

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エネルギーは免疫と似ていて、免疫が高まっていれば同じ場所にいてもウィルスにかからないように、エネルギーが高ければすべての力は増幅される。

エネルギーというのは圧力が高まっているところに流れてくる。種も土に植えなければ目を出さない。土という圧力がかからないとエネルギーが流れてこないのだ。

生命力が高まると圧力も同時に高まるからエネルギーも集まってくる。「命が燃える」という表現があるが、命が燃えている時はカラダも少々のことが起きても跳ね返すだろう。集中力も高いレベルを保てる。

命の火が煌々と燃えている時は同時に寿命も削っている場合が多いが、ハンター×ハンターの「制約と誓約」みたいなものでそれには代償を伴う。

私たちは別に寿命を大幅に削って「制約と誓約」をかける必要もないので、力まずリラックスしてエネルギーを高めたい。短時間で焦って結果を出そうと思うのならそれ相応の圧があって然るべきだが、先ほども書いたが私たちは何より「楽しく待つ」という姿勢を大事にしたいのだ。

「楽しく待つ」と書くと、どうしても魂が喜ぶキラキラした瞬間だけを追い求めてしまいたくなるが、日常を過ごしていたらくだらないことにイライラしてしまう時だって必ずある。そんなエネルギーの低い自分を捕まえて、「私はまたイライラしてしまった」と自分責めをする必要は全くない。なぜかって?だって日常とはそういうものだからだ。

なのに、それを否定して無理やり喜びの周波数を探し回るのではなくて、自分の中に「聖なるもの」と「俗なるもの」という相反するエネルギーがつねにあることを認めることが必要になる。すべては同時に存在している。

そして覚えておいて欲しいのは、相反するものが出会う時、全く新しいものが誕生する。これは料理も同じで、違う文化と違う文化を持つモノが出会うから新しい料理が生まれる。

このことは発酵の仕組で考えると理解しやすい。漬物を作る時必要なのは野菜と塩と漬物石。野菜と塩という種類が違うものを合わせて、石という圧力を加えると浸透圧で野菜から水が出る。「塩」と「野菜」、相反するものが合わさる。そこに漬物石という圧力が加わるとエネルギーが引き込まれる。そうすること発酵が起こり漬物という全く新しい食材ができる。圧力は適切な圧力でないと発酵が起こらず腐るので適切な圧をかけることが大事。

パンの作り方も一緒。

小麦粉と牛乳という種類の違うものを練り合わす、そのあと酵母の働きがあってパンになる。浸透圧も酵母も人間の働きではないものが加わって発酵ができる。人間にできることは相反するものを合わせるところまで。そのあとは別のものが法にのっとって働く。こういう仕組みがある。

覚醒の仕組も基本的にはこれ。背骨を通して上る火のエネルギーと下に下がる水のエネルギーがハートで出会った時にそれは起こる。だから相反するエネルギーのどちらか片方を追うのではなく両方自分の中にあるのだから否定しないことが大切なのだ。

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地球には圧力が高まってエネルギーが高い土地がある。そういう場所は木が良く育つ。そこにいる菌や微生物の持っているエネルギー(情報)の質は高い。

苔や石に微生物が潜んでいるので、そういう所の石や苔を持ち帰り畑に使う農家も存在する。勝手にその土地のモノを持って帰ってしまうのもどうかと思うが、実際に土の中で種類の違う菌同士が出会って完全発酵するとものすごいエネルギー(情報)を持った土ができあがる。

情報は転写することが可能なので、エネルギーが高いもののそばにいるとポテンシャルが引き出される。だからパワースポットに行ったり、自分の憧れの人に会いに行くことは効果がみこめると言える。

だが、全ては自分の中に在るのだから、自分の中のものと共鳴しているに過ぎないということも付け加えておく。自分がこの世の中をどう捉えているかで結果は全て変わってくるのだから、どの情報に触れ、それをどう解釈して発酵させるのかは自分の意識次第なのだ。

これからは自分の中の水(電気)と菌の質を上げて、楽しく待つことが味噌になるだろう。発酵だけに。

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