2024夏一首評15
わかるなぁ、のちょっとだけあとに、なんでわかるんだろう、が来てくれるとうれしい。
なんでこの状況の「休日らしさ」が、なんかわかる、なんだろう。そもそも「炒飯をやりたくなる」が休日っぽい? それはあるかもしれない。「卵がない」も単体で休日っぽいと言えば休日っぽい。なんか、補充ローテの谷間になりそうな感じというか。
というのはまあそれぞれなんとなくで了解していけると思うのだけれど、それ以上に、状況がというよりこの歌全体が休日っぽいのは「休日らしくなってきました」とこのひとが言っているからだと思う。そう言ってしまえば、何を当たり前のことを、という感じなのだけれど。
口調が良い、んだと思うんですね。「なってきました」というのは丁寧語でありながら同時におちゃらけているようなニュアンスを出していると思う。ちょっと自分の状況を客観視してナレーションをつけている感じ。それが「休日らしい」んですか? と聞かれると、どうなんだろう、でも「仕事」のときの声の出し方ではなくないですか? 少なくとも。
なんというか、ほんとうにそう、かどうかはともかくで、言われていることがおもしろい、と、それを否定する理由がなくなる、時があるんではないかと思うんですね。「炒飯をやりたくなって卵がない」というのがほんとうに「休日らしい」状況かどうかというのはもはやどうでもよくて、このひとが「休日らしくなってきました」と言ったんだから、それをそういうものだとして進めて(?)いい。それでこの世から、何も減らない。少し増える。そのことが、うれしい。
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