「夏の畳と短歌賞」選考会録

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●一次予選について
 選考委員全員が応募作229篇を全て読み各自5点満点で相対評価を付け(点数分布に規定は無し)、3人の合計点を元に、上位から22作品を一次予選通過作として選出しました。
 あくまで相対評価のための便宜的な数字であることから一次予選の点数は公開しない方針とします。

 一次予選通過作品一覧はこちらから。

※本記事中では各作品の画像に作者名を記載していますが、当時は作者名を伏せた状態で選考しました。

「夏の畳と短歌賞」選考会 2024.08.27(火)

長谷川:それではやっていきましょう。よろしくお願いします。
 まず一次選考通過の22作について議論していって、最終的に6作品程度に最終候補作を絞れるように討議したいと思います。

●「動けば」

平出:素朴に全歌面白いなと思って、すごく好きな連作です。
 たとえば2首目の〈最近の現実はすごい 電車では広告とぼくが同じ速さで〉は体感としてすごくわかるなと思います。バーチャルなものとかネット上のものとかに親しみすぎて現実に目を向けてなかったみたいな時期が僕たちにあるとして、そこで現実を見直してみた時に〈最近の現実はすごい〉と思う感じ。見ていなさすぎて忘れてたすごさというのもあるし、目を離していた間に実際に進化してたものとかもある。後者でいうとまさに電車の広告なんかはいつの間にかかなり色々やるようになっていますよね。だから〈最近の現実はすごい〉から〈電車〉〈広告〉と来て、勝手にうっすら共感しそうになるんですけど、この歌が注目しているのは〈ぼくが同じ速さで〉という部分なんですよね。広告自体の進化とかは関係ない、同じ乗り物に乗っているからそうなるっていうかなりプリミティブな部分なんだけど、たしかに〈すごい〉と言えば〈すごい〉。一首だけで読者を色んな角度からくすぐってくるあたりが面白いなと思いました。
 9首目の〈新幹線はやいはやいちょっと飛んでるんじゃないか飛んでいてほしくすらある〉の、一首の中でどんどんテンションが上がっていく感じもすごく面白い。
 けっこうハジけた感じの魅力が際立ちつつ、たとえば最後10首目〈屋上で肺を乾かす たまになら長生きしてもいいかもしれない〉あたりで見せてくる手堅い上手さも見逃せない。〈長生き〉に〈たまに〉とかはないんだけれど、だからこそこのような言い方のニュアンス、このように表現しなければならなかった感情の機微が伝わってくる。
 こういう純粋な面白さが一首一首全部にあって、すごく好きな連作でした。

長谷川:1首目好きですよ。〈めっちゃ雨降ってるんだけどバイト行かなくちゃのメートル毎秒毎秒〉。このリズム感が良いですよね。さっき別の歌で言われていたけど、どんどん上がっていく感じがたしかにある。そういう面白さはわかりますね。
 でも、ちょっとやりすぎているところがあると言うか、たとえば〈空の旅は快適すぎて着いたときいやな気持ちになるよね ならない〉の結句〈なるよね ならない〉のところとか、乗り切れないところがあるのも否めないんですよね。
 最後の〈屋上で肺を乾かす たまになら長生きしてもいいかもしれない〉は、連作として見ると、そういうテンションにいくのかと思ってしまった。最初の〈メートル毎秒毎秒〉みたいなテンションではじまって、最後にこういう方向の抒情に変わっていくのは、これぐらいの歌の数だとちょっと広すぎるというか、まとめきれていない印象になってしまって、平出さんほど高い評価にはならなかったです。好きな歌は多かったんですけど。

阿波野:僕はこの連作あまり評価できないですね。理由を簡単に言うと、本気で思ってない感じがする。ネタツイ感みたいなのをずっとうっすら感じる連作で、たとえば〈テンションがすごいなこういうひとたちが将来化石になるんだろうな〉の〈将来化石になるんだろうな〉は後付けの把握っぽい感じがする。なんというか、ライブ感がないなって思う。つまり、こういうボケをフックとして入れたら面白くなるでしょっていう作者が後ろに立ってるのが見える感じ。〈新幹線〉の歌もそうで〈ちょっと飛んでるんじゃないか飛んでいてほしくすらある〉の面白さはわかる一方で、その面白さを後ろで操ってる人が見えて、その操ってる人は本当に〈飛んでいてほしくすらある〉と思っているのだろうかという風に感じてしまう。
 どちらかというと僕は〈ぼくたちのかたちを真似した布がありそれを羽織ってコンビニに行く〉とかのほうが、既視感は多少ありつつも手堅い作りをしていて、まだその認識としては素直に受け取れるなという感じがありましたね。
 歌が悪いというわけではないんですけど、このノリで10首並んでくると、少し胃もたれする感じがある。

平出:確かに、本気だと信じられるかどうかっていうのはこの連作にとっては重要だと思います。
 最初から何首かを読んだ印象で「本気ではない」と思われてしまうと、7首目の〈これからはぼくが泣いてるときぜんぶぼくが産まれたと思ってほしい〉は歌としての伝わり方が厳しくなってきますよね。僕はこの連作を「本気だ」と思ってこの歌も良い歌だと思ったんですけど、そこまでに引き込まれてない読者はこの〈思ってほしい〉に乗れなくなってしまうだろうなというのはわかります。そういう意味では阿波野さんの発言には納得しました。

●「まず腕がカステラに行く」

阿波野:文体がすごく変な連作です。文体が変だなと思う連作はあったんだけど、その中でもかなり好意的に取りました。さっきの、本気で思ってるかどうか、みたいな話に繋がるんだけど、たとえば1首目の〈いろいろなやることをノートに円で大きく書いてやれる気になる〉って、これを言うことで現実の自分がドライブされていく感じがあるなと思って、そこがリンクしてる文体だなと思います。内容的には言ってること全部ちゃんとはわかるわけではないんですが、その独特の力があって読んでいける。
 〈硬そうな虫が電気を叩いてる うわーっ 中に入ったからほっとこう〉は完全に字余り、というか1句増えてる感じなんだけど、そこまで変に感じない。定型の崩し方が上手いなっていう感覚なんですね。上の句と下の句の間にな〈うわーっ〉が挟まってるっていう形で、その虫に対する〈うわーっ〉だと思うんだけど、そういうところが僕としては自然に受け取れる感じがありました。

長谷川:「ドライブ感」っていうのはどういうイメージなのかもうちょっと聞きたいです。

阿波野:やらなきゃいけないことをノートとかに書いて整理するみたいな現実の行為ってあるじゃないですか。あれも要するに、書くことによって自分がやるべきことをやるために1歩前に進むっていう行為なわけですよね。で、この歌はその前段階にあるというか、この短歌を作ることでその〈いろいろなやることをノートに円で大きく書いて〉っていうことが発生して、それによって自分が鼓舞されていく感じがある。なので、この〈やれる気になる〉っていうのは本当のことっぽいなと感じる。

長谷川:自分が歌に追従して乗っていくようなことが「ドライブ感」っていうことですか。

阿波野:そうですそうです。やっぱり、歌に自分が乗ってるなって感じがする。
 で、1首目にこの〈やれる気になる〉の歌があることで、その後の一首一首にこの人らしさが乗ってるなって、プラスで受け取れる感じがあった。たとえば〈サックスを練習するおじさんってさ橋のたもとはよく響くから?〉の〈ってさ〉とかは個人的には好きじゃない口語の感じなんですけど、この主体像なら言ってそうだなという納得感があるし、疑問符で終わるところとかも含めて絶妙な落としどころだなと思います。僕には作れないな、というのも含めて好感を持ちました。
 やっぱり変な文体という印象で、めっちゃ上手いという感じではないですよね。それは逆に言えば短歌においてある程度存在している上手さの型っていうものにはまっていないということで、そのうえで読んでいけるっていう感じが僕にはすごく新鮮でした。そういう意味で高く評価しています。
 あと、最後の〈白い花ばかりが咲いていてここを切り取ればシーン、きっといいシーン〉は連作の締め方として良いですよね。そういうところも含めて連作としての良さがあって、一首単位で見るとよくわからなかったり弱かったりっていうのはあるのかもなとも思うけど、僕にとっては魅力を感じる作品でした。

平出:阿波野さんのおっしゃってることはすごくよくわかります。〈やれる気になる〉って言葉に疑いが発生しない感じはすごくわかるし、やっぱりそれは文体の力なんだろうなと思います。かなり独特寄りの文体で、それがその人なりの本音を見せているんだろうなという説得力に繋がってる。
 2首目〈まず腕がカステラに行くと同時に牛乳がバーンよろけただけで〉の〈牛乳がバーンよろけただけで〉のあたりとか、喋り言葉でけっこう言ってるんだけど、短歌では見たことなかったなと思いました。短歌やってると助詞とか字空けとか入れたくなっちゃうんですけど、喋ってる時って実際こんな言葉の運び方になるよなっていう。千原ジュニア的な話法というか(笑)。そういうところがすごく新鮮でしたね。
 ただ、文体の独特さが魅力だと思いつつ、若干の既視感というか、名前を出してしまうと初谷むいさんの文体に近いところを感じたんですよね。〈一撫で、ぬぐわれたときの力を思い出しているとねむい……〉の字足らずを息遣いにしていく感じとか〈……〉の終わらせ方とか。〈硬そうな虫が電気を叩いてる うわーっ 中に入ったからほっとこう〉の〈うわーっ〉は形としては〈カーテンがふくらむ二次性徴みたい あ 願えば春は永遠なのか〉(初谷むい『花は泡、そこにいたって会いたいよ』書肆侃侃房、2018)の〈あ〉と同じですよね。まあこれはそう思って読むとむしろかなり面白くなるし、それは置いといても単純に一首として好きだったんですが。
 そういうところがだめということではないけれど「文体の独特さ」がひとつのポイントにある連作だと考えると評価という意味では少し下がってしまうかなと思います。まあ、この賞は誰でも応募可能なので、初谷さんご本人の可能性もあるのですが……。
 あと、7首目〈17時59分金髪の女子もすずめばちも帰るよね〉という歌がよくわからなくて、6首目までは個人的にはかなり共感性を持って読めていたので、この連作の中ではちょっと流せないノイズになってしまっているかなと感じました。それから、ほぼ好みの話にはなりますが、9首目の〈そうめんのピンクと緑だけのやつ売ったら売れそう 逆に嫌かも〉は急に発想が陳腐になってしまっている気がして……。連作として後半でちょっと掴み切れていない印象になってしまいました。
 評価という観点でいくと、加点要素も減点要素もそれぞれかなりあった中で、中間くらいのところになってくるのかなという所感です。

阿波野:初谷さんっぽさはわかりつつ、個人的にはもっと広く一時期の「ほくたん」(北海道大学短歌会)ぽいなって印象ですね。初谷さんも在籍されてた頃の。東京とか関西とかの口語とはまた別の口語の取り組みがあったと思っていて、その系譜の気配を感じます。

長谷川:僕もこの連作に魅力は感じました。やっぱりちょっと不思議で、229篇読んだ中で記憶に残ってます。
 ただ、お二人の言う文体の魅力は感じつつも〈布の帽子でパピコをくるむ「あちあち」の反対語ってなんだと思う〉の〈くるむ〉とか、〈硬そうな虫が電気を叩いてる うわーっ 中に入ったからほっとこう〉の〈叩いてる〉とか、そういうところで自分の文体に語彙を寄せていってしまってるような感じがしたんですよね。そう言ったほうがその一首が面白くなるのはわかりつつ、他の歌と見比べた時に、あなたの語彙って本当にそうなの? と思ってしまったというか。そういうちょっとした違和感、作為的に感じる部分が多かった連作でもありました。
 でも、1首目〈いろいろなやることをノートに円で大きく書いてやれる気になる〉と最後の〈白い花ばかりが咲いていてここを切り取ればシーン、きっといいシーン〉はすごいと思います。
 評価としては平出さんと近くて、上がるところも落ちるところもあって、評価としてはそこまで高くできなかったというところですね。

●「花の下」

阿波野:全体的に非常に上手いので好感を持っています。この賞に桜の連作を送ってくるんだっていうツッコミはあったけど(笑)。文語新仮名の文体がとにかくちゃんとしていて、ちゃんと短歌やってるなっていう感じが良いと思いました。
 本当に上手いですよね。8首目の〈川の面に遅速のあるを見せながら花は流れる真鯉の上を〉とか。発想としては取り立てて斬新というわけではないんだけれど、それを上手くまとめるのには才能が要るんですよね。こういう作品を読むと非常に安心する。
 完全にゴリゴリの文語文体っていうわけでもなく、7首目の〈夕映えのさなかのカウンター席で食べている桜のドーナッツ〉では口語っぽい句跨りなんかも見せてくる。連作の中でバリエーションがあって、その中でも伝統的な上手さをしっかり持っているというところをに好感を持って、素直に高評価を付けました。

長谷川:僕も基本的には同意見ですね。ただ、もう一歩踏み込んで来てほしいところはあって、最高評価にはできなかった。話としては本当にそれに尽きるかもしれない。
 最後の〈川沿いに続く桜のいったいのうすずみいろに昏れていたりき〉はすごく好きですね。〈うすずみいろ〉にリアリティを感じさせてくる。そういう力がありますよね。
 ただ、やっぱりまとまりすぎているなと感じてしまうところが多い。たとえば〈一枚のアルバムを聞きながらゆく桜並木のけぶれるなかを〉の〈一枚の〉とか、その部分でもっと何か踏み込んだことを言えるんじゃないかと思ってしまう。もっと色々できるんじゃないかと。
 そういう話にはなるけれど、やっぱり上手いし、良い連作だと思いますね。

平出:うーん、上手いとは思ったんですよね、もちろん。ただ、今回の選考でたくさん読んでいった中で、上手いというのに加えて大きな衝撃があるという作品をいくつも読めていて、この作品はその衝撃の部分が自分の感覚では非常に薄かったんですよね。だからなんというか、この作品はすごく上手いんだけど、受賞作に推す動機が自分の中にない。そういう言い方になってきますね。

長谷川:ああ、それはわかりますね。僕も上手いだけじゃ推しきれなくて、上手いことに加えて連作から「このひと」が詠んだということの迫力が伝わってくる作品をより高く評価しているところはあります。この作品も、桜を詠んだ上手い歌というのはもちろん良いんだけど、そこから踏み込んだ「このひと」が生きているということを見出したかったというところはありますね。
 ちょっとこの連作の話からは離れますけど、逆にあんまり上手くなくても「このひと」が生きてるんだ、っていうことが伝わってくる作品は高く評価しています。

阿波野:聞いていて、そうかもなとは思いました。確かに連作として弱いっていうのは感じていて、結社の月詠10首みたいな感じがあるというか。桜でまとめましたみたいな感じもそうかなあ。
 具体的に花を詠んでいるはずなのに具体性が薄く感じられるっていうのは、要するに、固有の何かが現れていないっていうことですよね。それこそ〈一枚のアルバム〉が何か固有名詞だったりすると、その人らしいエッジが立ってくるんだろうけど。普遍的な景に寄っているから淡く感じるのかもしれないですね。
 その中で〈桜のドーナッツ〉や〈真鯉〉はリアリティのあるアイテムかなと思う。好きな歌で言ってもその2首になってきますね。

●「もも」

平出:これもすごく文体に特徴がある連作ですね。それで、ちゃんと文体に合ったことを言っている、文体が効いてるってことになるのかな、そこがこの連作の強みだと思います。
 リフレインが非常に多いのがその特徴のひとつですね。1首目〈この町にパイプオルガンなくたってはかどるはかどるスキップはかどる〉とか、5首目〈会いたくてメガネの三城をめざすのに途方がないね途方がないね〉とか、6首目〈ぐるぐるまわる ぐるぐるまわる ぐるぐる君のまわりまわる 目が合う?〉とか。それがただ繰り返して言ってるだけじゃなくて、なんというか、自分の言った言葉に影響された自分が生まれている感じがするんですよね。これもある種のドライブ感なのか。〈はかどる〉って一度言ってから「〈はかどる〉っていいな!」みたいに思って繰り返している感じ。2回目の〈はかどる〉にプラスアルファがしっかりと乗っているイメージですね。
 9首目の表題歌〈さつまいもも味噌汁に合うんだよね、もも、なんでもできる気がするよ〉もひとつのリフレインですよね。〈さつまいもも〉の、名詞の末尾と助詞が同じ〈も〉になって〈もも〉って言葉になっていて、それを見つけ出したこのひとが〈もも、なんでもできる気がするよ〉って繰り返してる。これもやっぱり、その自分の言った言葉の中に生まれた〈もも〉の部分に対して、かわいいなとか、とにかくグッと来たんだなっていう。そこで〈なんでもできる気がするよ〉って気持ちになるのがすごくわかったの! 論理的には、そこの〈もも〉を見出したことで〈なんでもできる〉ことにはなるわけないんだけど、それを見つけることのできた自分への自己肯定というか、なんかとにかく嬉しくなったような、この感覚のドライブ感にものすごく惹かれた。
 だから、さっきの言い方で言うと、上手さ以上の衝撃が強くある連作だったんですよね。リフレインの過剰さとか、評価の分かれる部分はあるのかなとは思いつつ、個人的にはかなり良いと思ったし、推したいなと思った連作でした。

長谷川:けっこう不思議というか、たとえば〈会いたくてメガネの三城をめざすのに途方がないね途方がないね〉とか、正直よくわからないんだけど、確かにこのひとが生きてる感じがある。わかんないけど、そういうこともあるか、みたいな気にさせる感じ。
 表題歌の〈さつまいもも味噌汁に合うんだよね、もも、なんでもできる気がするよ〉は結句の字余りが印象的。〈できる気がする〉じゃなくて〈するよ〉と呼びかけることによってグッとくる、迫ってくるものになっているのかなと思います。
 平出さんにそう言わせるだけの魅力はわかるんだけど、やっぱりちょっと歌自体が弱いなという部分はあるかなあ。特に最後の〈遅刻しそうだけどたぶん2時間前には犬が散歩してた道、走る〉とか、このテンションで終わっちゃうんだ……みたいな。〈途方がないね途方がないね〉みたいな歌の生きてる感に惹かれているがゆえに、下がって終わっちゃうのが残念だった。とはいえ、全体としてはいい連作だと思います。

阿波野:僕は〈メガネの三城〉の歌と〈さつまいも〉の歌が良くて、それ以外は良くないなと思ったんですよね。やっぱりわかんない歌がわかんないですね。〈心地いい風と会話とラジオから更新された門松のこと〉とか。連作として並ぶっていうのがどういうことなのか。そこがちょっと弱いなと思って。
 たとえば同人誌とか学生短歌会の機関誌とかにこの連作が載ってたら、すごいテンション上がってさっきの2首を引用して、この人要注目だなって思うんだろうなっていう気はするんだけど。選考する立場になってこれを読むと、他がやっぱり気になって、高い点は付けられない。

長谷川:でも、むしろ、そういう「ん?」って感じになる歌があるからこそ、余計にこの〈さつまいも〉とか〈メガネの三城〉とかがハネて見えるところありません?

阿波野:それはそうなんだけど、そのうえでやっぱり上振れが多いほうがいいじゃない。当たり前と言えば当たり前だけど。
 波がないと面白くなくなるっていうのは、その通りだとは思うんだけどね。

長谷川:良い波の作り方ができるかどうかというのも、10首くらいだとけっこう難しいところですよね。

●「限定された遊びの中で」

阿波野:とても良かったです。最後の〈俺だけがこれは映画と知っているたけし映画に一人のたけし〉がかなり面白くて。〈たけし映画に一人のたけし〉っていう下の句のリフレインが面白すぎる。なんか謎の、解脱する感じというか、気持ちよくなる感じがあって。
 で、この気持ちよさみたいなのが、他の歌にも感じられる。〈尿道を太らせてから人生は限定された遊びの中で〉の初句〈尿道〉から始まる感じとかね。繋がってると思うんですよ。
 〈レインボーロードを歩く もしここでこけたら死ぬって信じられない〉って、ありえないシチュエーションなんだけど、この連作ではなぜだか嘘だなとは思わなかった。「嘘」と「嘘っぽさ」はやっぱり違うんで。嘘だけど嘘っぽくない。別に実際にレインボーロードを歩いてなくてもいいわけですよ。レインボーロードというものを想像して体感している時に〈もしここでこけたら死ぬって信じられない〉ということだから。レインボーロードでこけて落ちていったら死んでしまうだろうっていうその発想はちょっとねじれてるよね。マリオカートっていうゲームの中の話だから、リアルに死ぬとかいうことは普通考えないわけじゃない。けど、そこが入り混じって一首の中で実現してる感じがするのが面白かった。
 でも、高く評価できないのもわかるというか、ちょっと露悪が気持ち悪いんですよね。〈港区の高級なスーツの下で射精しながらお寿司を奢る〉とか〈性欲がネパールになる条件を、俺があなたにあなたが俺に〉みたいな、強い言葉に振り回されてる感じはありますね。
 ただ、やっぱり面白い歌がとことん面白かった。〈たけし映画〉と〈尿道〉と〈レインボーロード〉あたりですね。あんまり見たこともない感じだなと思って、僕はかなり高く評価してます。

平出:正直、よくわからない歌が多いなっていうのが第一印象ではありつつ、やっぱり最後の歌がすごく良くて、そのインパクトだけで評価が一段階上がったと言っても過言じゃないくらい。〈たけし映画に一人のたけし〉って……【そう】だ! と思って(笑)。

阿波野:そうそうそう(笑)。【そう】なんだよね(笑)。

平出:〈俺だけがこれは映画と知っている〉っていうのは、主体が観ている立場だから「登場人物にはわからないこれが映画だということを俺はわかってる」っていう意味でもあるし、〈たけし映画〉における〈たけし〉、監督でもあり役者としても出演している北野武というある種の超越的な存在のことをも意味しているというか、その両方を同時に言えている感じ。ここまで構造的に見ちゃうとむしろちょっと面白くなくなるかもしれないけれど、僕は重層的な表現で面白いと思った。
 〈尿道を太らせてから人生は限定された遊びの中で〉は表題歌ということになりますが、面白いですね。今回の選考でタイトル自体はあまり重視していないんですが、こういう見せ方が決まってくると加点要素になってくる。「限定された遊びの中で」って、なんかかっこよさげじゃないですか。それがこういう、どちらかというとかっこ悪めな、意味としては多分生活習慣病かなにかの結果で、ひとつ前の歌に〈健康に深刻な影響のある酒もタバコもあなたが悪い〉とあるように、そういう酒とかタバコができなくなったみたいな話なのかなと思うんだけど、こんなかっこよさげなタイトルがこういう形で連作に出てくるんだっていう、逆手に取ってくる感じが上手いなと思います。僕は工藤吉生さんの「この人を追う」がすごく好きなんですよ。あれも、タイトルだけだとなにか恋愛的なこととかかなと思ってしまうところを〈この人にひったくられればこの人を追うわけだよな生活かけて〉(工藤吉生『世界で一番すばらしい俺』短歌研究社、2020)という歌で出してきて、そう来るかと思わせてくるわけですよね。ほぼ好みの話にはなってくるけれど、このタイトルの見せ方は良いと思った。
 あと、3首目の〈マラソンを完走したら5分後の会議に遅刻して怒られる〉も好きでしたね。面白くて。なんでマラソン走った後に会議行くんだよと思って、笑っちゃって。阿波野さんの発言の繰り返しになるけど、絶対に嘘なのに嘘だという感じがしない。これを嘘だと指摘する意味がないっていうか。
 そういうところで好きな部分はかなりありつつ、〈性欲〉〈射精〉みたいな言葉を使っている割に使いこなせていない印象があって、全体としてはあまり高く評価はできないなという所感です。そういう言葉を使っている歌と使っていない歌をこの連作の中で見比べた時、使っていない歌のほうが絶対に良いよねってなるのは、やっぱり使いこなせてないってことになるんじゃないかな。

長谷川:僕も最後の歌は好きですね。監督としての〈たけし〉と役者としての〈たけし〉がいるっていうのもそうだし、なんか、本当に映画の話なのかな、〈たけし〉の人生のことを言っているのかも、とか、深く考えていくと色んなところに行ける。さっき平出さんが超越的な存在としての〈たけし〉って言い方をしてたけど、そういう存在と自分との途方もない距離は実は0なのかもしれない、みたいな。そういうところで色々考えられる魅力的な歌だと思います。
 ただ、指摘されている通り、やっぱり言葉が強くなってくるところが気になりますね。語に振り回されている印象になる。
 あと、二人が、嘘だけど嘘っぽくない、嘘と指摘する意味がない、って評価されているところは「コント的」って言い換えられるんじゃないかなと思っていて。

阿波野:たしかに。理不尽ナンセンス系コントですね。

長谷川:僕としてはそのコントが単にあまり面白くないと思ってしまう。
 もうちょっとディティールをちゃんとしてくれると楽しめたのかなとは思いますね。たとえば〈港区の高級なスーツの下で〉とか、この〈港区の〉っていう接続はおかしいし、〈高級な〉っていうのは要るの? もっと他に言うことあるんじゃない? と思ってしまう。言葉の使い方に無駄が多いっていうか。
 理不尽ナンセンスならそれはそれで、もっと上手く表現できるんじゃないかなという気がするんですよね。ハマった歌がすごく面白いのはわかるんですけどね。

阿波野:そうですね。確かに言葉の処理が甘くて、意味が乱反射しちゃうみたいな歌が結構あるのかなとは思います。〈性欲がネパールになる〉とかって、やっぱり意味わからないですしね。

平出:そこは標高の高さを比喩的に用いてるのかなと思いましたけど、違いますかね。

阿波野:ああー、そういうこと?

平出:いや、でも、わかんないですね。そこを断言できるだけの表現にはなってないと思います。

阿波野:ちなみに僕は〈俺だけがこれは映画と知っているたけし映画に一人のたけし〉は、映画を見ているうちに自分自体のその映画の中の人物っぽく没入していって、その世界の中で、自分はこれが映画だと知っていて、そこに〈タケシ〉もいるなって認識してる歌かなと思っています。
 ともかくやっぱり、この歌がずば抜けて良かったですね、この連作は。

平出:僕もやっぱりこの歌好きですね。全部でだいたい2000首くらい読んだことになるはずですけど、その中でもかなり強く印象に残っている一首です。

●「ジャンボあらき」

長谷川:僕はこういう作品好きなんですよね。リアリティがあって、景が立つ。内容で言うと、お盆に帰省して花火を見たくらいの話なんですけど、特に破綻がなくてさらさら読める。
 特に良かったのは〈夕立がエクステリアを濡らしてく 今夜は花火大会がある〉。この、なんだろうな、たぶん地方都市で、〈エクステリア〉っていうのはたぶん自動車の外装だと思うんですけど、それを〈エクステリア〉って言うだけのちょっと洒落た車に乗ってて……っていう生活感のリアリティが伝わってくるし、なおかつその〈エクステリア〉って言葉に夕立のきらめきとかも含まれている感じがするし、その夕立の後に花火大会があるっていう、夏のきらきら感みたいなものがどんどん生活の中にあるのが見えてくる感覚があって、すごくこの歌は好きでしたね。
 あと〈涼しくはあまりならない暮れ方に晴雨兼用傘差すふたり〉もいいですね。この〈晴雨兼用傘〉っていうのが、作ってでは出てこない感じ。生活の中にたしかにある一場面が描かれていて、そこにしっかりと人がいるなと感じるんですよね。
 前半の地方性を出そうとするところ、たとえば〈バーベキュー用具特設コーナーの内容に地域性を見いだす〉あたりの言い回しに既視感があるのは若干気になったけど、進んでいくにつれてどんどん夏を楽しんでいく感じが出てきて、好感触でしたね。

阿波野:ちょっと物足りなさを感じたというのはありつつ、歌の作りは割とカチッとした方法かなと思うし、長谷川さんが言った良さも分かります。
 ちょっとメタな話になりますけど、今回、花火大会の連作ってめちゃくちゃ多くて(笑)。特にそれに恋愛を絡めた内容のものが多かったんですけど、この連作はかなりさらっとしていて、そのスマートさが特徴のひとつと言えるかなと思います。あっさりした良さがありますよね。〈夕立がエクステリアを濡らしてく 今夜は花火大会がある〉とか、この〈エクステリア〉はやっぱり車の外装のことでいいんですかね、ちょっと不思議な使い方をしているのがある意味リアルで面白い。
 あと〈手花火がセール価格になっていて終わりをいつも意識している〉はとてもわかりやすい。〈終わり〉っていうのは、たとえば恋愛の終わりとか、そういうものを意識してしまうっていうのを、花火の季節が終わるっていうことと重ねて言ってるんだと思うんですけど、このシンプルな抒情が効いている。なんというか、ちゃんと上手くできているなと思います。
 ただ、たとえば〈ピーマンと甘長とうがらしの違いググる産直野菜売り場で〉の〈ググる〉の入れ方がけっこう雑に見えるとか、〈地域性を見いだす〉の手つきとか、悪い意味でひっかかるところが少なからずあり、基本的には高評価なのだけれどそのなかでは低めかなという印象です。

平出:うーん、たしかに歌が手堅く上手いということに異論はないんですけど、その手堅さが自分の中では高評価に繋がらなかった。
 1首目〈帰省した地元のホームセンターに地元じゃないあなたを連れていく〉の初句〈帰省した〉は要らないんじゃないかと思う。こう言われなくても読めばわかるんですよね。もっと読者や自分を信じていい。ここがかなり説明的で、最初の最初からそういうもったいないところが見えてしまうと、評価という意味では低くなる。
 あと〈手花火がセール価格になっていて終わりをいつも意識している〉について阿波野さんはそのわかりやすさを評価されていましたけど、僕はやっぱり、ここまでわかりやすくしなくてもいいんじゃないかと思うんですよね。手堅い上手さっていうものと、僕には不必要なまでに見える丁寧さが、この連作においては不可分になっているのかな。そこで僕は、評価としては、後者のマイナスのほうが大きく見えることを無視できない。
 個人的には〈バーベキュー用具特設コーナーの内容に地域性を見いだす〉は連作の中で好きな歌でした。〈地域性を見いだす〉っていうのはその〈地域〉に対する外部的な目線があるわけで、けっこう複雑なところを表現することに成功していると思う。
 この連作の良いところはすごくわかりつつ、自分の中では評価は上がらないなという所感です。

長谷川:そうですね。自分としてはこの連作の下振れのなさは評価したいですけど、丁寧すぎるっていう平出さんの言い方はわかります。

阿波野:ところでこれ、タイトルはホームセンターの名前なのかな。だとしたら詠み込んだほうが良いような気はするけれど。

平出:そこはむしろ面白いですけどね。詠み込まずに、なんとなくホームセンターの名前だなってわからせるのは。

●「夏の片隅」

阿波野:良い連作だと思います。一首として「これ!」っていう強い歌があるというより、全体の雰囲気とかで高評価になった感じですね。
 1首目〈イヤホンを外して雨が降っていることに気付いてイヤホンをした〉は何気ない時間の移り方を上手く描いていて、共感できるところもあり、良いなと思った歌です。
 4首目〈水道水飲めないでしょう と言われても飲もうと思ったことがなかった〉は内容が普通に衝撃でした。僕はがぶがぶ飲むんで(笑)。

長谷川:イマドキの子は飲めないらしいですね。

平出:らしいねぇ。

阿波野:まあ地域差が大きいと思うんですけどね。水道水が不味いと言われている地域で育ってるとかだと、そういうことを言われた時に「いや、そもそも飲むもんじゃないでしょ」みたいなことを思うのはまあ自然なんだけど、面白いですね。
 あとは〈一瞬で伸びるなら髪伸ばすのにって夏の間に何度か思う〉の〈何度か〉は印象的でした。個人的には、こんなこと思うかなあ? って感じではあるんですけど、まあこの人は本当に思うんだろうなっていうことを理屈じゃなく納得させられる感じがしたんですよね。つまり、この主体は僕とは全然違う考え方をしている人なんだけど、そういう人もいるんだなって自然に受け入れられる感じがあって、そういう説得のされ方は読者としてすごく気持ちが良かった。
 最後のほうに〈砂テトリスがなにか知らない 川沿いの道をひたすら歩いて帰る〉って〈砂テトリス〉が出てきくるんですけど、テトリスのテトリミノが砂みたいにぶわーってなってるゲームですよね。僕も画像でしか見たことないんだけど、そういうのがあるらしくて。この、その存在は知っているし名前からだいたい想像は付けられそうなんだけど〈なにか知らない〉っていうのはたしかにそうだなって思って、納得できる部分がありました。
 ただ、全体的にちょっと淡いかなという印象は否めなくて、9首っていうこのサイズ感の連作の中にもっと迫力のある1首があったほうが、より推しやすくなったかなっていう気はします。長い連作になると、ずっとこのテンションで読むのはむしろ結構楽しそうな感じがするんですけど。

長谷川:うーん、僕はどちらかという、あまりリアリティを感じなかったんですよね。「現代の口語短歌」の文体ありきで成り立っている感じに見えるなあと思っていて。たとえば最初の〈イヤホンを外して雨が降っていることに気付いてイヤホンをした〉とかそうだし、あと3首目の〈花火大会のせいで遅れている電車に乗っている人を待っている〉の、この言い回しとかに、実際の認識とかよりも、短歌にしていこうとしている感じが強く出ているような気がするんですよね。いや、こういう言い回しになるっていう感覚はわかるんですけど、どうしてもそういう印象は拭えなかった。
 それで言うと〈運転をすればどこまでいけるだろうETCで減速をして〉の〈ETCで減速をして〉とかはけっこうリアルに感じました。
 やっぱり〈花火大会のせいで遅れている電車に乗っている人を待っている〉は、普通に喋ってたらこういう言い方にならないよなと思ってしまう。現実で誰かにこの言い方で言ってたら「どういうこと?」って聞き返されるじゃないですか。でも、短歌だと、こういう言い方を「文が捻じれてて面白い」みたいな話になる。それはそれでいいんですけど、僕には、こうなってくると、短歌のテクニックが先行しちゃってるように見える。
 本来的には、感覚や発話のリアリティを伝えるためにテクニックを極めていった先でこういう言い回しになってしまうものなんだと思うんですよ。こういう文の捻じれとかって。

阿波野:うんうん、わかるよ。

長谷川:少なくともこの歌に関しては、こういうのが面白いっていう短歌的な感覚が先にあって、これを言うこと自体が目的になっているんじゃないかと思ってしまう。実感覚や発話のリアリティの追求の結果だとは思えない。表面的なものに見えてしまう。

阿波野:まあ、この歌についてはそうだなと思う。自分だったらこうする、っていう言い方にはなるけど、僕だったら絶対逆の語順にするなあ。〈待っている〉から始めたほうが短歌として気持ちいいじゃん、っていうのはある。

長谷川:この歌が一番顕著ですけど、1首目もそういう感じはするし、2首目の〈ガラス戸にぶつかってくる羽虫たち見ているTVショーの代わりに〉の〈羽虫〉〈TVショー〉っていう語にもそういった作為に近いものを感じる。最初のほうからそういう印象が固まってしまって、残りの歌もそういう目線で読んでしまうなっていうのはありました。

阿波野:再構成されている感じがするってことかなあ。それはわかります。

長谷川:何のためにこのテクニックを使ってるんだろうって僕は思ってしまう。テクニック先行で歌を作って、何がその先にあるのかがわかんない。そういう気持ちです。

阿波野:言ってることはわかるけど、長谷川さん基準の話になりすぎじゃないかなというか、要するに、自然に【描く】ためにテクニックが使われてるんじゃなくて、自然に【見せる】ためにテクニックが使われているっていう話だと思うんだけど、そもそも別に皆が皆「自然に見える」状態を目指しているわけではないと思うんですよ。

長谷川:だとして、その人たちの目的はどこにあるんだろう。そのテクニックを使って、極めていくことによって、何を伝えたいんだろうとか、自分の作品をどこに向かわせたいんだろうっていうことを、受け取れていないからそう思うんだと思うんですけど。

阿波野:いや、だから、多分、テクニックを「使ってる」って感覚じゃないんだと思う。
 別に自然に、定型に対して口語で作るために言葉をはめていったらこうなっただけなんだと思うけどな。あえて自然に【見せる】つもりで語順なりを操作しているようには僕には見えていない。

平出:あくまで内在化された文体ではあるってことですよね。僕もそう思います。

長谷川:まあそれはわかるんですけど、そうなんだとしても、その文体によって伝えようとしているものがわからないんですよ。大前提として、僕はこの連作の歌を上手いとは思ってるんですよ。技術的に上手い。でもその上手さが何のために使われているのかがわからない。
 たとえば、最後の〈桃を剥く あなたのことを考える 桃の手触りの頬だった〉も、こういう構文っていうのはわかるけど、結局何を伝えたいのかが不明瞭で。たとえば〈あなた〉に対する愛情なのか、もしくはもっとこうちょっと不思議な感覚なのか。そういうことが全体としてわからないかな、という感じ。

平出:歌が上手いですよねっていうのが大前提なのを含めて、長谷川さんの言ってることはわかります。でも印象としては途中で阿波野さんがおっしゃってたことのほうが近いかなあ。テクニックが先行しているというよりは、「現代の口語短歌」観が深く内在化されている感じ。
 この連作の歌それぞれに歌会で出会ってたら僕はけっこう選を入れてるだろうなと思うんですよね。まあそれはもちろん、他の詠草次第っていうのはそうですけど。ともかく、僕とか、現代の特に口語短歌が好きな歌人が「あ、いいな」って感じるようなツボが押さえられてるんだと思うんですよね。
 さっき長谷川さんがわからないという風におっしゃっていた〈桃を剥く あなたのことを考える 桃の手触りの頬だった〉は、僕はかなり好きです。〈あなた〉の頬に実際に触った時には〈桃の手触り〉とは思っていなかったんだけど、後から桃を剥いていて「あれは桃の手触りだったんだな」と逆算的に思っているんですよね。〈桃を剥く〉という行為から〈あなたのことを考える〉が導き出されて〈桃の手触りの頬だった〉という発見に至る過程の、その思考の展開の緩やかな淡さが、一字空けによってそのまま表現されている。この歌はそこがすごく成功していると思います。
 ただ〈砂テトリス〉の歌とかは、読者を信じすぎているというか、委ねすぎている感じがあるのも否めなくて、こう、これくらいの解像度のフレーズをほどよい距離感でふたつ一字空け挟んで一首の中で並べると、歌会にいっぱい出てるような歌人の皆が勝手に良く読んでくれる、みたいな……。
 そういうところで、一首一首の向こう側、連作の向こう側にある【何か】みたいなものを信じ切れなかった作品でもあるんですね。この点は長谷川さんの引っかかっているポイントと近いんだと思います。そこを厳しめに見ざるをえなかった連作という印象です。1首目とか、すごく好きなんですよ。なんですけど、こういう歌が並んでいるのを読んでいって〈砂テトリス〉に差し掛かったあたりで、どうしても【読んでもらえる】ラインに頼ってしまっていると感じられる部分が無視できなくなる。
 あと、〈あなた〉の出し方が普通に気になるんですよね。6首目の〈ほんとうのことのすべてを言えるときわたしじゃなくてあなたのせいだ〉って、さっきまで言ってたような上手さは無くて、この連作のなかでは特殊な一首ですよね。これがハマれば阿波野さんがおっしゃっていた「もっと迫力のある1首」になりえたと思うんですが、ハマっているとはちょっと言い難い。
 というのは、やっぱり〈あなた〉像がよくわからないからなんですよね。どういう人物で、主体とはどういう関係なのか。〈花火大会のせいで遅れている電車に乗っている人〉や〈水道水飲めないでしょう〉と言ってきたのが〈あなた〉だったのかもしれないけど、ちょっと像の立ち上げとしては弱い。そこがわからないままで、このくらいの〈あなた〉の出し方では連作の中ではノイズになってしまっているなあという印象ですね。ここも長谷川さんの引っかかっているポイントに繋がっているのかな。

阿波野:まあ、たしかにそうですね。歌集の中に入っている連作だと違うんでしょうね。

長谷川:だいぶ盛り上がりましたね。
 ちょっと全体的な話になりますけど、僕たち3人のそれぞれの選考の指向性がはっきりしてきた気がします。僕はふたりに比べると連作の「主題」を重視しすぎなくらいしている。阿波野さんはテクニック重視で、平出さんは「衝撃」重視。けっこう違いますね。

阿波野:間違いなくそうですね。僕は極論、主題って無くても連作は成立すると思っています。いかに短歌形式で気持ち良くなれるというのが一番大事だと思っていて、だから一首単位で好きな歌が何首かあるとあっさり高評価っていう感じになります。
 たとえばこの連作だと〈砂テトリス〉の歌とか別に特に意味ないじゃないですか。意味ないけど、勝手にこの上の句と下の句の間を擦り合わせて「いい音だなあ」って気持ち良くなれるっていう(笑)。まあ、それがこの文体の弱点でもあるっていうのは、平出さんが指摘した通りだとは思うんだけど。

●「スピニング」

平出:これは何の連作なのか、という主題がわかりやすいのが良いですよね。主題と言うほど大仰な感じでもないんですが、ともかく、お出かけに行ってその道中に見えたものを歌にしていっているという感じですよね。で、そのジャンルの魅力っていうのがすごくよく出てるなと思いました。やっぱり、この世の中には面白いものってたくさんあるんだなというか。自分も同じようなものを見ていたはずのところに、短歌っていう形で新しい視点を与えてくれるみたいな。
 1首目の〈登山家のおんなじような服装がいくつも並ぶ行きの電車は〉とか、上手いよね。登山用の服に求められる固有の機能性というものがあるから、必然的に〈おんなじような服装〉になるんだけど、その背景とかはいったん置いといて、表出して見えることをさらっと描いている。
 2首目の〈売り上げは一部寄付され素晴らしいバーガーひとつ手元に残る〉も良いですね。「売り上げは一部寄付されます。」っていうような文言が店頭に掲示されているんだと思うんですが、そこから末尾をカットしてサンプリングしているのが上手い。〈一部寄付され〉の〈一部〉って何だろうみたいな不透明な部分は置いといて、自分の〈手元に残る〉もの、見えたもので一首を成立させている。そういうスタンスが一貫しているのがこの連作の強みだと思いますね。
 最後の二首が特に好きでしたね。9首目〈ジャムだとは明記されないデザインにBLUE BERRYは凛としている〉を読んで、たしかに、って思ったんですよね。たしかにジャムって明記されてないときあるなっていう気付きの気持ちよさ。10首目〈遠吠えがほんとに響いている夜に自転車は無灯火で過ぎ去って〉は〈ほんとに〉が効いてますよね。この歌は実際に遠吠えが響いている場面を描き出しながら、同時に、いかにも遠吠えでも響いていそうだけど〈ほんと〉は響いていない夜、をも想起させてくる。そこに共感性はあると思うんですね。夜道を通っている時に、実際には響いていない遠吠えを聞いたことがある気がしてくる。
 やっぱり、純粋に歌が上手いですね、この連作は。良い着眼を良い書き方で表現するっていう、スタンダードであり難しくもあることに成功していると思います。

阿波野:予選で読んだ時の印象は、雰囲気がある、っていう感じでした。一定のリズムというか、一定のノリで10首が揃ってるから、空気感がすごく立ち上がっている。
 2首目の〈売り上げは一部寄付され素晴らしいバーガーひとつ手元に残る〉は三句目の〈素晴らしい〉が良いですね。なんか、主観的なのか客観的なのかわからない言い方になってるのが面白い。
 6首目の〈茜さす市役所にただ辿り着く地下の通路を使いこなして〉の〈使いこなして〉とか、〈ジャムだとは明記されないデザインにBLUE BERRYは凛としている〉の〈BLUE BERRY〉の表記とか、しっかりしているなと感じます。
 一方で、ちょっと作りが同じすぎるみたいなところは気になりました。たとえば、4首目〈恋愛をゲームみたいに語りつつ砂糖を順調に溶かしている〉と5首目〈陸橋の輪郭は冴え渡りつつその下にいくつかの往来〉で三句目が「~~つつ」になっている歌が連続しているところとかは目立ちますね。連作としての展開というか、凸凹感は欠けているかなと思います。
 ただ、一首一首のディテールがしっかりしているので、割と同じようなテンションの歌が続いても、素材の味で読めちゃいますね。この作者の歌も、まとまった50首とかで読んだらもっと面白いだろうなという感じがしましたね。

長谷川:上手いけど、ところどころで荒い感じが気になりました。こういう作風で瑕があっちゃダメじゃんって思うんですよね。僕もそういうタイプなので特に思うんですけど。

平出:えっ、長谷川さんって自分のことそういうふうに思ってるんですか?

長谷川:そうでしょ!

平出:そうなのか……僕は長谷川さんのことそう思ってなかったからびっくりした。

長谷川:やっぱ瑕ってあんまり無い方がいいじゃないですか。

阿波野:それはそう。

長谷川:たとえば〈登山家のおんなじような服装がいくつも並ぶ行きの電車は〉って上手いと思うけど、〈登山家〉っていう荒い把握は気になるんですよ。単に電車に乗って登山に行く人と〈登山家〉は違うじゃないですか。言葉として。

平出:それはそうだけど、本人の解像度としてのリアルな言い方なんじゃないですか?

長谷川:わかるんですけど、やっぱり気になっちゃう。〈ジャムだとは明記されないデザインにBLUE BERRYは凛としている〉の〈凛としている〉の、けっこう雑というか、流している感じとかも。
 あと〈茜さす市役所にただ辿り着く地下の通路を使いこなして〉の〈茜さす市役所〉は枕詞が効いてないと思う。
 そういうところが気になりつつ、阿波野さんの言うように、50首とかでもっと良くなるだろうなっていう感じはたしかにしましたね。ふたりの言ってる良さはわかるし、全体通しての安定感はあると思いました。

阿波野:ちょっと余裕がありすぎるのかもな。〈その下にいくつかの往来〉とかは引いた感じだもんな。

●「Drop in」

長谷川:スケボーが題材の連作っていうのがはっきりしていて、それがハマっているなと思う歌と、ちょっとこけてるかなっていう歌が混在しつつ、全体としては面白いなと思いました。
 特に好きだったのは〈どこまでも行けるタイプの乗り物じゃ無いからこの板は空を翔ぶ〉で、これは今回の応募作の2000首くらいを読んだ中でもかなり印象に残った歌です。連作全体の雰囲気も相まって、スケボーをやっている人の感覚というか、気持ちよさがしっかり伝わってきたように感じました。
 1首目、2首目の〈スウェードの靴がデッキと摩擦してその加減から生まれるぜんぶ〉〈つま先で弾いた板が回転しまた戻ってくる命のように〉も好きですね。リズムが良いし、〈スウェード〉とか〈デッキ〉とかっていう語の音の気持ち良さも効いていると思う。1首目〈生まれる〉で2首目〈命〉って絡めてるようなところも、ノッてくるというか、そういう感じがあって良いですね。
 ただ、最後3首〈飛び降りるのに最適な階段を飛ぶ前セキュリティと目が合った〉〈キックアウトされてるあいだキングピンが折れたかどうか気になっていた〉〈遭うはずじゃ無かった人とするはずじゃなかったSKATEゲームが始まる〉で急に冷静になるところが気になって、そこでちょっと評価は下がりました。〈目が合った〉とか〈気になっていた〉とか〈SKATEゲームが始まる〉とか、それまで主観的な目線だったのが俯瞰的になっちゃってる感じで。

阿波野:一首単位で見ていくとそこまでぐっとくる歌があるわけでも無いっていうのは正直ありつつ、やっぱりスケボーっていう題材がまず面白くて、それで評価は高めに付けました。
 僕は〈キックアウトされてるあいだキングピンが折れたかどうか気になっていた〉好きでしたよ。〈キックアウト〉は知らない言葉だけど、〈キングピン〉は多分自動車とかでも使ってるものと同じだと思う。車軸の旋回のために回るところなんだけど、そこが〈折れたかどうか気になっていた〉っていうのがリアルなんですよね。リアルなスケボープレイヤーの人なんだろうなと思って、そこが良かったです。
 1首目の〈スウェードの靴がデッキと摩擦してその加減から生まれるぜんぶ〉は、これ自体は良いと思うんだけど、ここでもうこの連作の全てを言っちゃってるような感じがして、それ以降が弱くなっちゃってるように思えるところはありましたね。2首目の〈命のように〉って直喩は普通に弱いかなとかも思うし。
 題材の良さから好意的には取りつつ、やっぱり〈左足だけボロボロのスケシューを体育教師に心配された〉の〈スケシュー〉とかはダサいんじゃないかみたいなこともちょっと思っちゃって。特有の単語の面白さと寒さみたいなものがどっちも味わえるっていう感じで、読んでる感覚としては面白いから基本的に評価としては高いんですけど、積極的に推せるかって言われると、ちょっと弱いかなという気がしています。

平出:おふたりとほぼ同じ印象ですね。
 題材そのものがまず面白いっていうのと、それと短歌の形式っていうものの相性が良いんだろうなと思いました。僕がそこまでスケボーを知らないので違うかもしれないけど、瞬間的な快感であったり美であったりを一連の運動の中から見出していくっていう競技なのかなと捉えていて、それが短歌と近い部分である気がする。なんというか、「題材は面白いけどこれを短歌にした意味がわからない」と思ってしまうものも世の中にはあると思うんですけど、この連作に関してはそうは思わないですよね。これを短歌でやることの説得力があった。短歌定型とスケボーの魅力が手を組んでいるところを見ることができた、っていう喜びがあります。
 知らない用語がいっぱい出てきたんですけど、この人のリアルな語彙で書いてるんだろうなという説得力がありました。そういう意味で、やっぱり〈スケシュー〉は実際ダサい感じがあるんですけど(笑)、でもリアルに使う言葉なんだろうなっていうのが伝わってくるから良いんだと思うんですよね。味付けのために専門用語チラつかせてるのとは違うなっていう。
 個人的に好きだった歌は〈公園の""NO SKATE""の看板に青いスケーター棒人間の〉で、これって絶対にその上に赤いバッテンがあるはずだと思うんですけど、その禁止されてるっていう部分を無視して、奥にいる〈青いスケーター棒人間の〉っていうところに目が行っているのが面白い。シンパシーを覚えてるんですかね。
 ただ、長谷川さんからも指摘されてたように、終盤で急に落ち着いたなって感じになるのはこの連作だともったいないかなと思います。歌自体は好きなんですけど。〈セキュリティ〉って言い方とかね。そこは良いんだけど、最後の〈SKATEゲームが始まる〉は「ん?」ってなっちゃったというか、リアルに言っている言葉ではあるのかもしれないんですけど、ここだけ説得力を感じなくて、もったいなく思ったっていうのはありますね。

長谷川:個人的には、4、5首目〈学校に来てない奴からサブロクをメイクしている動画が届く〉〈左足だけボロボロのスケシューを体育教師に心配された〉で〈学校〉とか〈体育教師〉っていうモチーフが出てくるのもこの連作の面白いところかなと思いました。ちょっと荒さを感じつつ、この人学生なんだっていうのをさりげなく出してくるのは上手いのかなと。出してくるタイミングが良い。

阿波野:〈学校〉の歌、良いっすよね。〈サブロクをメイクしている〉って、何言ってるかわからないのにわかる感じ。〈サブロク〉は「360度」なのかなあとか、〈メイクしている〉っていうのは「技を決める」みたいなことかなとか、なんとなく予想できますよね。

●「毒猫」

阿波野:連作の中で色々なバリエーションを見せてくれるのが面白かったですね。
 変な連作だなっていう印象で、一番面白かったのは〈流れ変わったな実家に帰るたびにアクリルスタンドが増えている〉。

長谷川:えー、それ意味がわかんなかったです。

平出:えっ、意味はわかるでしょ。

長谷川:えっ、そうなん?

阿波野:まず「流れ変わったな」っていうミームがあって、それがこう入ってくるのが面白いんですよね。実家ではこれまで〈アクリルスタンド〉のようないわゆるオタク文化は受容されていなかったんだけど、最近は実家に帰るたびにアクリルスタンドが増えていて、家族の中の誰かがそういう文化に染まっていっているようだと。だから、今まで自分に風向きが悪かったのがそうじゃなくなってきていて、「流れ変わったな」って思ってるっていうことだと読んでいます。

平出:主体がそっち側かどうかというところはわかりませんが、おおむね同じ解釈です。

長谷川:あー、そういうことですかね。新型コロナウイルスが出てきて、飛沫防止で色んなところに立てられたアクリル板あるじゃないですか。あれのことかと思ってました。

平出:なるほど……それも「アクリルスタンド」ではあるのかな。それはそれで〈流れ変わったな〉ではある気もしますが、やっぱりここでは、キャラクターのイラストやタレントの写真を印刷しているタイプのそれのことかなと思います。

阿波野:「推し活」の一環として使われる印象が強いですね。そういうところで「流れ変わったな」っていう風に言っているのが強烈に印象に残った歌でした。
 そういう歌がある一方で、また別の色んな歌があるのが面白い連作です。
 たとえば最後の〈飼い猫のどんな悪さもすばらしい宇多田ヒカルのシャッフル再生〉とか、意味はぱっとわかりますよね、飼い猫がイタズラしてシャッフル再生が始まって宇多田ヒカルが流れ出したみたいなことかなと思うんですけど、ここでの〈宇多田ヒカル〉の出し方は上手いなと思いました。
 あと〈いつまでも映画の中のセックスに慣れない タイで買ったポテトチップス〉みたいな、上の句と下の句の突き合わせで気持ち良くなるタイプの歌もある。「セックス」とかそういう性的なモチーフを入れ込んだ歌はこの2000首の中にもけっこう色々あったけど、中でもこの歌はそんなに嫌味がないというか、言葉に振り回されず普通にモチーフのひとつとしてちゃんと使い切れてる感じがしました。それとポテトチップスが付くっていう、ちょっと気持ち悪い感じの面白さがある一首です。
 5、6首目の〈炭を使って歯を白くしようなんて、人間は不思議な生き物ね〉〈鹿威しをよく見ているとかわいくてよく見ていないと菖蒲の蒼よ〉も面白いですね。〈人間は不思議な生き物ね〉って、どこから言ってるんだみたいな感じだし、急な〈ね〉〈よ〉という終助詞もあって、連作全体を見るとここだけ猫が言ってるように思えて面白い。
 やっぱり独特で、目を惹く連作でしたね。

平出:印象深い連作です。僕も〈流れ変わったな〉に心を掴まれました。初めて見ましたね、短歌にこのミームを輸入してきている例は。ミームでありつつ実際に〈流れ変わったな〉っていう実感を伴った内容がわかりやすくて、ちゃんと使いこなせているなと思いますね。やっぱり、リアルなんですよ、実家にアクスタが増えるっていうの。ミームを短歌で使ってやろうみたいな意図でやっているというよりは、そういうのが自然に出てくる人なんだろうなって、主体像を見出すことができた感じがします。
 生活感がよく出てる連作なんですよね。その実感を、1首目の〈猫は人をデカい猫だと思ってる という嘘から順に話した〉でかなり掴めていると思う。僕この前半部分を普通に一回信じちゃって(笑)、全部読んで「いや嘘なのかよ」ってなったんですよね。その時点でもう、なんだかこの人と本当に話してるみたいな感じになって、掴まれたなと思った。で、2首目からどんどんこの人の本当の生活の話を友達の距離感で聞けてる気持ちになっていったんですよね。
 そう読んでいった文脈があって終盤で〈流れ変わったな〉が来るわけです。やっぱり一首だけの良さというよりは、それも含めた良さかなと思います。純粋に面白い連作でした。

長谷川:僕は〈流れ変わったな〉の歌が読めてなかったんですけど、今の話を聞いてわかったことを踏まえて評価はかなり上がりました。
 もともと、良い歌が多いなとは思ってたんですよ。ただ、その割に連作としてテンションが上がりきらなかった印象があった。それは多分、終盤の〈流れ変わったな〉でこけてる風に取ってたからなんですよね。さっきも言ったように、新型コロナウイルスの感染防止のために使われてたアクリル板でイメージしてたから、家族がコロナを気にしすぎてるみたいなちょっと陳腐な着想に見えていて。ただ〈アクリルスタンド〉がそっちなんだというのを踏まえたら、まったく読みも違うし、なんというか、明るさの差し色みたいになって、全体がぐっとよく見えるようになるなと思いました。
 ただ、〈水として生まれたわたし水よりも早く干上がる〈展示室A〉〉〈スカートめくりに振り上げた手が月面に届くまでその歪むささくれ〉あたり、若干スベってるんじゃないかなみたいな歌もあるなとは思います。ただ、全体としてこけてはないというか、かなり良い感じで走ってきてくれてる印象は受けてるから、それは良いんじゃないかなと。瑕だけど、別に瑕が瑕じゃないような感じではあったかな。
 タイトルがよくわかんなかったんですけど、どうですか?

平出:〈アヘンを吸う男。猫も中毒になっている。撮影者はイギリスから来ていた。〉の、中毒になってる猫のことかなと思ってあまり気にしてなかったですけど、変なタイトルですね。

長谷川:そうだとして「毒猫」ってタイトルになるのは不思議ですよね。やっぱりここから読み始めるわけだから、もっと他になかったのかなとは思います。

平出:いわゆる「毒親」的な用法かなとか思いましたけど、別にそういう内容じゃないよねえ。

長谷川:飼い猫〈すばらしい〉って言ってるもんね。

阿波野:でも〈悪さ〉はしてるわけだから、毒なのかもしれない。

長谷川:うーん。まあ、そんなにここで評価下がってるとかではないですけど、印象的なタイトルではあるんで、もっと納得感がほしかったなとは思いますね。

●「パラレルお盆」

平出:大好きな連作です。一番に推したいと思っています。12首というスケール感でここまでの主体像やテーマ性を立ち上げられているのはかなりすごい。今回の応募作の中で随一だと思いました。
 実家のほうでお盆の親戚の集まりみたいなのをやってるけど自分は一人暮らしをしていて帰省していないっていうシチュエーションがあって、その背景にある実家への屈折した想いみたいなものが感じ取れて、という大体の状況が読んでわかるっていう土台があって、その上で一首一首が輝いてくるという、連作という形としての成功を見せてくれたと思います。
 冒頭の歌〈茹でてから多いと気づくそうめんを冷やして一人の夏が始まる〉から上手くいっていますよね。〈一人〉なんだっていうのを強調しながら、あんまり一人暮らしに慣れていない様子も描いている。2首目〈僕は僕の髪の長さに驚いた。小説だったら床屋へ行った。〉も良いですね。家族とかと暮らしていたら「あんた髪伸びたね」とか「そろそろ切ったら?」とか言ってくるわけだけど、そうじゃないっていうことをさりげなく提示してくる。
 5首目〈夏風邪を馬鹿だからひく ばあちゃんのできない大学進学をして〉で出てくる〈ばあちゃん〉も上手い。〈ばあちゃん〉に代表される実家とか地元っていうものへの屈折がうかがえる歌ですね。自分は、冗談めかしつつも、自分を馬鹿だって言えるくらいな感じではあるけれど大学には入れているんだけど、〈ばあちゃん〉はできなかったっていう話で、言っていることはわかる。なんていうか、変な言い方になりますけど、このひとはこういう風に考えなくてもいいんですよね、別に。実際、そうであってもわざわざ思っていない人がいっぱいいるわけで。でも、このひとはこういうことを考えるわけです。で、それはなんでかっていうと、やっぱり実家への屈折した想いがあるからなんだと思うんですね。そういう感情の滲ませ方がすごく上手い。
 表題歌〈親戚の冗談まみれの仏間からパラレルお盆の僕が睨んだ〉はすごく印象的です。歌の解釈としては、地元を離れた大学進学による一人暮らしをしなかった、あるいはこのお盆に帰省したパラレルワールドの自分がいて、そっちで状況を楽しめてないというか、より苦しい状況になっている〈僕〉が、こっち側の〈僕〉を恨めしげに睨んできているということかなと読んでいます。こっちはこっちで慣れない〈一人の夏〉に色々苦労したりもしているわけですけど、あっちの〈パラレルお盆の僕〉にはそういうことはわからないわけです。〈パラレルお盆の僕〉は、一人になれば全部解決するくらいに思ってる、とこっち側の〈僕〉は思っているんだと思うんですよ。その想像ができてしまうということがポイントなんじゃないかな。
 自分の人生にその可能性があったっていう仮定をずっとしていく感じ。さっきも言ったけれど、そんなこと別に考えないなら考えないでいいんだけど、この人は考えざるをえないんだっていう、その主体像っていうのがものすごくちゃんと出ていると思うんですよね。
 〈大学の誰も知らない記憶からポカリは神輿のおわりの匂い〉って歌がありますけど、今色々と喋ってる僕だってこのひとの記憶とか家庭環境のこととか全然知らないわけです。でもなんだか屈折した想いがあることや、苦しみがあることはこの連作からわかる。それを伝えられているということが連作としての成功だなとやっぱり思います。
 ちょっとおちゃらけたような歌とかもありつつ、だからこそ、この人なりの人生の苦しみが描かれていることの深みが重層的に伝わってくる。すごく良い連作だと思います。

長谷川:一首単位で良いなと思う歌が多かったです。〈ポカリは神輿のおわりの匂い〉とか、不思議なようで共感できる魅力があります。
 〈あの家を実家と呼べば交通費分の遠さにデフォルメされる〉は、やっぱり平出さんも言っていた実家への屈折した感情が上手く表現されていると思うし、〈枇杷のこと静かに聞けばばぁちゃんのいない実家に天使が通る〉という歌で〈ばぁちゃん〉にはちょっと違う想いがあったのかなみたいなことも思える。
 全体として好印象ではありつつ、ちょっとテーマが発散しているのかなと思うところはありました。たとえば〈ばあちゃんのできない大学進学〉は個別の話として読んでいいのか、時代的なこととしてよんでいいのかとか。大学でも上手くやれてなかったりするのかなとか。一首一首に深読みできる要素が多すぎて、どこにフォーカスして読めばいいのか迷ってしまうところはありましたね。

阿波野:僕は意味的な話よりも歌の形に引っかかっているところがあって、たとえば〈百円のトマト食べ食べ楽園は〝もう戻れない〟の部分が光る〉って読むと、〈食べ食べ〉とか言わないほうがいい、って思っちゃうんですよね。
 単純に歌が上手いと思うかどうかで見た時に、この連作は僕はあまり高く評価できないなと思いました。取り切れないところがある。たとえば〈ばあちゃん〉〈ばぁちゃん〉って表記が揺れてますけど、ここに意図があるのだとしてもそれを読み取りにいこうという気にもならない。

平出:〈ばあちゃん〉は個別の自分の祖母というよりもっと一般的な時代的な属性としての言い方で、〈ばぁちゃん〉は本当に話したことのある、自分の思い出のある存在なのかなっていう風にその使い分けを読んでましたけど、たしかにこれはかなり積極的に読みにいってから出てくるものかなとは思います。

阿波野:〈大学の誰も知らない記憶からポカリは神輿のおわりの匂い〉も、〈大学の誰も知らない記憶から〉っていう上の句では意味が取れないと思うんですよ。こうだろうなって想像することはできるけど、この語順ではちょっとわからんなとなってしまうんですよね。そういうところで歌に入っていけないなっていう感じが全体的にありました。
 連作全体としては、夏風邪をひいて、帰省したくなかったところに口実ができて帰省せずに済んだみたいなストーリーなのかなという気はするんですが、そこに読者がどれだけ入っていけるかっていうところもありますよね。個人的なことですが、僕自身はいまいち親戚付き合いというものをしてこなかったから、正直あんまりわからないんですよね。帰省に対する苦みとか。この連作で出されているリアリティを追体験できないというところがあって、そこがちょっと自分の取りきれなかった部分かなと思いました。
 でも、1首目と、最後の〈フィクションの雨にしかない光り方寝ても覚めても冷めかけの熱〉は好きですね。特に最後のほう。たしかに〈フィクションの雨〉特有の謎の〈光り方〉って、ドラマでもアニメでもあるし、そこを出してくるっていうのは、付け方としては上手いかなと思います。
 でも、やっぱり〈食べ食べ〉とか言わないほうがいいと思います。そこに尽きるかな。頭から読んで行った時、そこで引っかかっちゃったんで。

平出:僕はこの連作を激推ししてるんですが、〈食べ食べ〉に関しては特にそこが良いと思っているわけでもないので、なんともな……。そこが微妙だとしても、補って余りある力があるとは思っていますけど。

阿波野:歌のフォルムの話か歌の内容の話かっていうところになってくると思うんですけど、内容が良いって言われるとそれはそうなんだろうなっていう感じです。僕はそこまで入りきれなかったけど、平出さんの言っていることはわかります。

平出:〈大学の誰も知らない記憶からポカリは神輿のおわりの匂い〉も、僕は自然に読めちゃったんで、阿波野さんが引っかかっていてびっくりしました。自然すぎて説明が難しいくらいなんですけど。

長谷川:「大学の友達の誰も」ってことでいいんですかね? 友達自体はいるけど深く自分の昔のこととかを話せてはいないってことなのか、そもそも友達がいないのか。そういうところが僕は気になってしまって、自然には補えないんですよね。

阿波野:あ、これって自分の昔の記憶の話なのか。僕はそっちがわかってなかった。「誰も知らない大学での記憶」じゃないのね。〈大学の誰も〉ってそういうことか。
 自分の地元での記憶として、ポカリスウェットっていうのは祭りの時期と深く結びついていて、ポカリの匂いを嗅ぐと神輿が終わるんだなって思うみたいなこと?

平出:だと思ってます。

阿波野:う~~~ん、わからなくはないけど、この語順は……。

長谷川:内容としては、そこって〈大学〉じゃなくても、たとえば「友達は誰も知らない」とかでもいいとじゃないですか。でも、この作品のテーマとして、ばあちゃんは大学行ってなくて、地元を離れて大学に行ってる自分の抱える後ろめたさみたいなことも言いたいんだろうから、ここは〈大学の〉って言わないといけないみたいなことなんじゃないかと思うんですよ。
 やっぱり、言おうとしてることが多すぎて拡散している感じがしちゃいますね。

平出:僕がすっと読めたのは、そこまでの歌が好きで読み込めてたから、その省略部分をさっと補えたところはあるのかなあ。大学は地元と離れたところにあって、そこで出会った友達とかは自分の地元での記憶なんて知ってるわけないっていう大前提をなんとなくは把握してるからすっと読めちゃったけど、確かに一首で見ると負荷の高いところはかなりあるのかなと思います。

阿波野:読んでいけば読んでいくほど評価が上がるタイプの連作だなとは思っていますけど、やっぱり引っかかるところが多いかなあ。平出さんが良いと言っている所以は伝わってきましたけどね。

●「パレード」

長谷川:〈スウェーデンで見つけたホーロー 追うべきはデンマーク製という可能性〉と〈今日はもう何もできませんでしたけど成長しすぎたオクラを食べます〉の2首がめちゃくちゃ好きで、他の歌がその邪魔をしていない、くらいに思っています。5首目と4首目なんですけど、そこを盛り上げるための連作という印象です。
 1首目〈ふつうの同級生とふつうの同級生がふつうに結婚までしていました〉という歌で始まって、2首目〈蝉が鳴いてる いい歳になって格好がいいなんてなんだかみっともないな〉と続いていって、主体は〈いい歳〉だけど結婚とかはしていないんだなというのが推測できる。〈運動場の間伐されない木とともに幼稚園の屋根が高くなってます〉みたいな〈幼稚園〉へのまなざしとかもあって、世間や昔の同級生と付かず離れずみたいな距離感でいる感じなのかなと思うんですよね。そういう感じでありながら、ありのままの今日の自分も肯定してるみたい。それをこういう文体で書かれると、さらっと面白い。そういう印象でしたね。

平出:ちょっと、長谷川さんが好きって言ってる2首について、僕は特別その2首が良くてっていう前提で話せるほどだとは思ってなくて……一首評としてもうちょっと聞かせてほしいです。

長谷川:〈今日はもう何もできませんでしたけど成長しすぎたオクラを食べます〉って、内容としてはよくあるんですよ。今日はもう何もできなかったけど、これだけは頑張りましたみたいなの。でもそれを〈できませんでしたけど〉って接続してくるのは面白いですよね。キャラが見えてくる。オクラは〈成長しすぎた〉ってことなんで家で育ててるんだと思うんですけど、そういう生活感みたいなものが見えるのも良いですよね。
 〈スウェーデンで見つけたホーロー 追うべきはデンマーク製という可能性〉は、本当に意味は不明です。「意味は不明」って書いてます、メモに。なんか、何言ってんのかわからんけど聞いちゃう感じってあるじゃないですか。普通に友達とかと話してても。わからないものはわからないとして、なんか楽しそうだなとか、なんかその人が生き生きとしてるなとか。そういうのをすっと受け入れられる歌だと思った。わからないなりに、スウェーデンに行ったんだねとか、そういうポイントを見つけて話していられる感じ。

平出:なるほど。長谷川さんの言っているポイントはわかりました。
 僕は、この連作は最初の2首がすごく良いと思っています。「パラレルお盆」の時も言ったんですけど、10首前後っていうこのくらいのスケール感で土台を立ち上げられていたらすごいんですよね。それが難しいっていうことを、作り手目線でもいつも思ってるし、今回選考してても思った。それで言うと、この連作は最初の2首でしっかり立ち上げ切っているのが印象的でした。なんとなく、〈いい年〉で結婚もせず自由にしてる、みたいな感じの自分に対するちょっとした屈折みたいなところがテーマにあるんだなっていうのが伝わってくる。敬語調を活かした文体も良くて、主体像が立ってますよね。
 意味わかんないなって歌はけっこうあるんですよね。〈濡れた熊、階段から突き落とすと言ってる女の子がいて好きです〉とか。そんな人いるの? とか、なんで好きなの? とかは全然わかんないんだけど、そもそもちょっと自由めに過ごしてる人なんだろうなっていう前提があるので、なんとなくこのひとはそうなんだろうなって、良い意味で流せる感じがある。さっきの長谷川さんの話に繋がってくるのかな。
 最初の1、2首目以外はそこまで好きという歌はなかったんですけど、連作としての立ち上げの強さに魅力があるなと思いました。

阿波野:文体は面白いけど、一首の決定力に欠けるという印象ですね。
 リズムの崩し方が特徴的ですね。〈となり車線もとなりの家のひとたちも気にならなくなって来ました夏には〉みたいに、字余りでどんどん進んでいく感じ。そのあたりは面白い。
 ただ〈スウェーデンで見つけたホーロー 追うべきはデンマーク製という可能性〉が全然好きじゃないんですよね。この〈追うべきはデンマーク製という可能性〉っていう認識の閉じ方がすごく好きじゃなくて。この人の中では確信があって言われてる言葉だと思うんだけど、それなのに開かれてないっていう感じがするんですよね。意味として、〈追うべき〉は〈デンマーク製〉にかかるんだと読んでいて、スウェーデンで買ったホーローがデンマーク製だったけど、デンマーク製で良いじゃんってなってるんだとしたら、それって〈可能性〉じゃないじゃんと思う。

長谷川:僕は〈可能性〉にかかると思ってました。これがデンマーク製かもしれないっていう可能性を追うっていう。

平出:僕もそっちですね。

阿波野:当然その読み筋はあるし、そこが決まり切らないのも気持ち良くないところなんですよね。そっちだとしたら、そのデンマークどっから来たんだよとなってしまうし。
 あと〈バーバーポールがとまるのが朝まわるのが昼とまるのが夜 でっかい月〉も、面白さがわかりつつ好きになれない。〈とまるのが朝まわるのが昼とまるのが夜〉って、面白いけど、本気で言ってるというよりは、こう書いたら面白いでしょって思って書いてそうに思えてしまう。ただ、ここに〈でっかい月〉を付けられるのはひとつの才能だなと思う。
 ですます調の文体が面白くて基本的には好感触なんですけど、それだけで下駄を履かせるのには限界があると言わざるをえない、という感じかなあ。連作としての雰囲気はいいんですけどね。

●「倫理」

平出:正直、かなり雰囲気で取ったというところがあるんですけど、この文体って最近では非常に珍しいですよね。塚本邦雄を想起させる文体で、おそらくですけど作者もそれは承知の上でやっているんだろうなと思います。で、それがさらっと上辺で真似てる感じじゃなくて、ちゃんと内在化させて自分の表現としているんだろうなっていう説得力が確かにありました。
 好きな歌は〈永世中立国旧市街燦燦と大雪降りしのち霾れり〉ですね。〈永世中立国〉って普通に考えたらスイスなんですけど、でもあえてこの呼び方をするっていうところにメッセージがあるし、〈永世中立国旧市街燦燦〉まで表記としては漢字が続くんだけど、引っかからずに読める。もちろんこっちがそれぞれの言葉を知ってるからどこで切れるのか迷わないっていうのはそうなんだけど、そのように導けるのはこの作者がちゃんと言葉を使えているということなんだろうなと思います。
 〈核をはぐらかす妙技を刻まれて脳を失ふまで墓太る〉とか、下の句をどう読むか迷いつつ〈核をはぐらかす〉みたいな、政治的というか国際関係のリアルな部分を匂わせてくるところもあるのが良いですよね。今この文体で見せられると、勝手に何らかの幻想性を僕らが見出すみたいなところがあると思うんですけど、そこのバランスがよく取れていて、読み応えのある連作だったなと思います。

阿波野:まず文体がしっかりしていて、すごく大前提の話をするけど、旧仮名遣いが間違ってないんですよ。今回の応募作、正直そこが普通に間違っている作品が多かったんですけど。単純にそこは加点要素になりましたね。
 好きな歌はさっき挙がった〈永世中立国〉の歌と〈記憶違ひ増ゆ 資料室卓上に雑種鼈擬串刺し〉ですね。やっぱり漢字の羅列の強さがうまく内容を伝えることに噛み合っていると感じられると印象に残る。
 ただ、一首を読んでいく時に、意外と主述関係や背後にあるものがわからない歌が多くて、ちょっと景がバチッとはまってこないなという印象もありました。たとえば〈抽象絵画銃もて描かれ羽根のなき鳩に擾乱主義者騙さる〉だと、この〈銃もて〉がどこにかかるのかわかりにくい。そういう気持ちよくなさみたいなものが全体にちょっとずつ感じられたなという印象です。
 あと好きだったのは〈衰微せし菊を兵器となさむ力なまなまと満ち社張り詰む〉。よくわかんないんですけど、菊を兵器とするみたいな発想があって、神社に衰えてる菊があるっていうだけの景から、これを兵器となしてなんかなんやかんやみたいなストーリー的なものを立ち上げてるっていうところが面白いかなと思いました。
 全体的に言葉が大振りで、〈咎なくて野鼠怯ゆ刃のごとき陽光に呵呵大笑の山〉とかは失敗してるんじゃないかなっていう感じがしたりして、ちょっと評価は下がりました。

長谷川:正直、景を結ばない歌があったりとか、意味を取りにくい歌があったりとか、ちょっと掴み切れなかったという印象ではあります。雰囲気で良いと言っていいのかというところはあって、成功してない歌はけっこうあるんじゃないかなと思います。
 表題歌とか、どうなんだろう。〈倫理の鐘は鳴りてやさしき蜩と和す(抵抗せよ)狂ふ夕星〉とか、それぞれのモチーフが響き合っている感覚が僕の中ではないんですよね。ふたりも挙げていた〈永世中立国旧市街燦燦と大雪降りしのち霾れり〉は何か響き合っているのがわかるんですよ。なおかつ政治的なメッセージ性があるのもわかる。そういう成功している歌はもちろんあるんですけど、全体を見た時にその割合は高くないように思えてしまう。
 この文体をここまで仕上げたという時点で素晴らしいということには異論がないんですけどね。

阿波野:表題歌は僕もあんま良くないと思いますね。モチーフが発散してる感じがある。そもそも〈倫理の鐘〉って何なのかピンとこない。〈(抵抗せよ)狂ふ夕星〉は良い感じするんですけど、でも、夕星が狂うっていうのはありがちな発想なような気もする。

長谷川:やっぱり、大きなテーマがあると思うんですよ。核とか、戦争とか、倫理とか。そういうものがいっぱいあるんだと思うけど、ちょっと歌としては拡散していく感じで伝わり切っていない気がします。〈溜池にずたずたの作業着しづみらうたし漆しづかに熟し〉とか、景が意味深な感じはあるんですけど。

阿波野:〈作業着〉の歌けっこう好きですね。〈らうたし〉だから、この作業着に対する労りであったり、そういう心寄せがあるわけですよね。

●「暗唱」

阿波野:基本的な上手さがしっかりあるなという印象でした。
 生活感のある歌が多くて、その中で実感がちゃんと出ているっていう感じかな。〈ほろよいを半分ついで渡される花見で余った紙のコップに〉とか、なんでもないような歌だけど、「ほろよい」っていう固有名詞がちゃんと効いてる。「ほろよい」も紙コップ同様に花見の余りっぽい感じがして、終わってから友達の家で余りを飲んでるみたいな状況かと思いました。
 連作の中で一緒にいる相手がいるんですけど、恋人というよりは友達って感じですよね。〈友達の引用してくるココ・シャネル聞きたいな皿洗いを買ってでる〉で〈友達〉と書かれてるし。
 〈すこしだけ喧嘩になった 引越してから歯医者には行ってない話で〉はすごく好きな歌ですね。個人的に、僕も歯医者に行かなくて怒られた経験があるので、わかるなと(笑)。歯医者なんて絶対行ったほうが良いみたいなタイプと、痛くなってから行けばいいじゃんってタイプとにけっこうはっきり分かれるから、そこで〈すこしだけ喧嘩になった〉っていうのは非常によくわかるなと思いました。
 あと〈あ、遠くなると思えばだんだんと「銀の龍の背に乗って」の音漏れ〉も好きです。けっこう不思議で、近づいてきて音漏れが聞こえるのではなくて、〈遠くなると思えばだんだんと〉っていうのは、どういうことなんだろう。わからないんですけど、この捻じれは面白いなと思いました。
 ただ、表題歌があまり良くないかな。〈夜も夜 円周率の暗唱が裏声になるまでつきあった〉って、嘘じゃんと思ってしまう。他に良い歌がある連作で、これを表題歌にするのはちょっと弱いかなという気がします。

長谷川:僕も、基本的には良い連作かなと思いつつ、表題歌はあんま良くないなと思いました。
 あと、さっき「パレード」への評で「わからないけどわからないなりに良い意味で流して聞ける」みたいなことを言ったんですけど、この連作では、わからないことはちゃんと聞きたいなって思いました。
 普通に1首目の〈またはがきを裏に返した ピーナツを一粒なくしあきらめている〉からよくわかんなくて、〈はがきを裏に返した〉ってどういう状況? とか、〈麻雀は二人でできて思ったより電車がうるさい 途中でやめる〉って言われると、二人麻雀ってどうやって? と思うし聞きたくなる。良い読み流し方ができない。
 なんというか、生活の実感がある分はっきりと声が聞こえてくる感じがあって、だからそういう受け取り方になるのかなとは思いました。その生活実感による良さと引っかかる部分が連作の中で喧嘩しちゃってる感じかなあ。

平出:全部の歌の好感度が高くて、めちゃくちゃ上手いって感じでもないけど、なんかいいねって感じで読み進められました。強いて言うなら、おふたりも言っていたように、表題歌だけ若干微妙かなとは思いましたけど、本当に若干ですね。連作としてのまとまりという点も含めて、良いと思った。
 長谷川さんはわからなくて聞き返したくなったっておっしゃってたんですけど、僕は全部だいたいわかるなと思いながら読んでました。たとえば〈またはがきを裏に返した〉なら、後半部に寄せて読むと、ピーナッツ一粒どっかに落としちゃって見つからなくて、あるわけないのにはがきの下を見たってことかなって普通に思ったし、そこに寄せなくても、大事だからみたいなことで机の上にずっと置いてるはがきを意味もなく何回も裏返して見てみたりとかってけっこうするんじゃないかなと思って、すっと読めた。そういう感じで、最初から共感ベースで読んでいけた連作ですね。
 やっぱり、上手いとかっていうよりも、好感度が高い、って感じなんですよね。〈料理してもらってるときも横にいてお酒飲んだり暑がられたり〉とか、これといってすごいことを言っているわけじゃなくて、何をイチャついとんねんみたいな内容だけど、全然悪い感じがしない。
 阿波野さんもちょっと触れられてましたけど、固有名詞の出し方が上手いですよね。〈友達の引用してくるココ・シャネル聞きたいな皿洗いを買ってでる〉とか、ココ・シャネルって別に文豪とかじゃなくてデザイナーじゃないですか。よく引用される名言とかがあるのかな。あえて調べなかったんですけど、そういうところから引用するっていうところに妙なリアリティがあると思いました。
 自分の中にある思い出と、無い記憶も引き出してくれるのが良いんですよね。阿波野さんのおっしゃってた歯医者に行く行かないで喧嘩になる話とか、自分になくてもなんかわかるし。麻雀を二人でやってみるとか、僕はしたことないけど、やってみてるやつらいるんだろうなっていう感じがある。
 だからこそ、ここまでに指摘されてるように〈円周率の暗唱が裏声になるまでつきあった〉は、嘘じゃんって思わざるをえなくてもったいなかった。裏声には別にならないだろと思っちゃって。ある意味、嘘なりのリアリティみたいなものが逆にあるような気もするんだけど、ちょっと微妙かな。〈夜も夜〉っていう初句も効いてないなと思っちゃう。

阿波野:そうなんだよなあ。三句目まではテンション上がってたんですけど……。僕はけっこう円周率を覚えてるほうで、50桁くらい暗唱できるんですけど、別に裏声にはならんよと思った。

長谷川:平出さんの言うこともわかるんだけど、読み筋が広すぎるんだと思うんだよな。言い回しに対して、何かしら特定して読むこともできるけど、色んな可能性がありすぎる。

阿波野:意味深な感じですよね。

長谷川:絶対的にそれが悪いわけではないんだけど、本人はそんなに広いつもりがないんじゃないかなという気がして、選考という意味では評価が下がるポイントでした。

●「夏の11首」

平出:一首単位の面白さは随一でした。連作を諦めたようなタイトルだけれどそこを含めて主体像が立ち上がっているのではないかと思っています。
 1首目の〈コーヒーが好きな友達が挽きたてのコーヒー豆で淹れるコーヒー〉からずっと面白かった。そりゃそうだろみたいなことを言ってるんだけど、そりゃそうだろみたいなことを韻律に乗せて面白い感じに言ってくれるっていう、ある種のナンセンスさもひとつの魅力として数えられると思ったんですね。それを貫いているのも良いところだし。〈エアコンの温度を24度から25度に上げたら暑くなる〉って、すごくわかるんですよ。こんなに「そりゃそう」なことでわざわざ「わかる」って思わせてるのすごいんですよ。言外のニュアンスとして、24度だと寒くて25度だと暑いっていう、ちょうどいい温度が存在しなかったんだっていうのはあると思うんですよね。それがわかるし、その辺の、読者を信じてどこを省くかどこを言うかみたいなバランス感覚が絶妙なところにあると思いました。
 〈おくだけでいいのにおくのがだるくっておかないブルーレットおくだけ〉とか普通にギャグって感じだけどスベってないし、〈ワイヤレスイヤホンを落としてからはワイヤーイヤホンを使っている〉のレトロニムの取り出し方みたいなのも既存のものというより一回このひとから出てきている感じがある。
 ただ、若干の既視感があったことは否めないというのはありますね。言ってしまうと、永井祐さんの文体の影響が色濃く出過ぎかなとは思いました、タイトル含めて(笑)。〈よれよれにジャケットがなるジャケットでジャケットでしないことをするから〉(『広い世界と2や8や7』、左右社)とか思い出しましたしね。でも、この作品の純粋な面白さそのものは別に動かないかなと。
 タイトルはもともとそんなに重要視してないんだけれど、これは逆に効いてるなと思いました。このテキトーさも含めてのこの人っていう主体像が立ち上がってる感じ。これはこれで面白いし、そこまで計算してつけたタイトルならすごいですね。かなり好意的に見ました。

阿波野:一首一首が面白いというのはわかりつつ、方法論が一緒すぎるというか、モチーフが被りすぎてるというか、そういうところが気になる。コーヒーとかコンビニが何度も出てきたりね。
 ナンセンスさの魅力はもちろんあるんだけど、〈エアコンの温度を24度から25度に上げたら暑くなる〉も〈おくだけでいいのにおくのがだるくっておかないブルーレットおくだけ〉も〈ワイヤレスイヤホンを落としてからはワイヤーイヤホンを使っている〉も、基本的に同じ論理でできている感じで、それがやっぱり一辺倒すぎるんじゃないかなと思う。もうちょっと色んな断面を連作としては見てみたい。
 一首単位の面白さだけでブチ抜けるほどめちゃくちゃ面白いかっていうと、方法論としての既視感がやっぱりあるので、そこで押し切れていないかなという印象です。
 あと〈満席の批評会で色とりどりのペットボトルが机に並ぶ〉の〈批評会〉というワードは気になる。これが短歌なので歌集批評会かなと思ってしまうんですけど、そうだとすると途端に内輪感が出てしまうのがちょっとマイナス要素かな。

長谷川:一次選考での評価で言うとけっこう低めだったんですけど、別に取り立てて悪いと思っているわけでもないです。ただ、高く評価しているわけでもない。
 全体の印象としては阿波野さんとほぼ同じですね。見せてくれるものが近すぎて、11首でこの感じでは胃もたれしてしまうというか。
 面白いとは思うけれど、推す理由を僕は見つけられないというか、選考として考えると他に推したい作品があるよなと思います。

阿波野:僕の感覚では〈手紙ではないと言い張る 真夜中の階段多い 手紙ではない〉とか〈コンビニで買ったおでんが空を舞う 空を見ながらおでんを食べる〉みたいな歌をもっと読みたいし、その中に少し〈おくだけでいいのにおくのがだるくっておかないブルーレットおくだけ〉とかのノリがあるならそっちもより楽しめたと思う。割合が逆だとちょうどいい気がするんですよね。こういう歌は突如虚を突かれるから面白いのであって、ずっと虚を突いてこられると慣れてしまう。

平出:僕はそのしつこさも好意的には取れたんですけど、特にそのことの良さで推そうという感じではないですね。表明だけしておきます。
 ていうかさっき気付いたんですけど、「夏の11首」なのにこのひとコンビニでおでん買ってますね。

長谷川:しかも外で食ってんじゃん。

平出:全然気にしてなかったけど、これだけおかしいな。最後になんか気付いてしまった(笑)。

●「故郷で」

平出:リアルな歌が良い連作ですね。何がリアルなのかというと、この人の生活感とか、他者との関わり方みたいなところがリアルで、すごくわかるなと思ったんですね。
 〈久々に会った友達スピっていて敬語交じりで喋っちゃったな〉の〈スピっていて〉はかなり俗な表現だけど、この人のリアルな言い方としてこうなるっていうのはすごくわかるし、その時に〈敬語交じりで喋っちゃったな〉となるその反応をわかるし、それが〈ちゃった〉っていう表現になるのもわかる。この人のリアルな感覚が、余すところなく一首で伝わってくると思った。
 〈近況を聞かれたときに歯切れ良く答える用の近況がある〉は素直に共感できますよね。まずそれがあるし、この主体の背景って連作からはそこまでわかんないんだけど、この歌があることで、〈歯切れ良く〉は言えない本当の近況があるっていうのも伝わってくるじゃないですか。その滲ませ方も上手いなと思います。
 最後の〈日の入りを待ち焦がれている交差点バキ童チャンネル聞きつつ渡る〉の〈バキ童チャンネル〉は最近人気のあるYouTubeチャンネルのことでいいと思うんですけど、そこをリアルに書いてくるんだなという面白さがあった。なんというか、短歌的に必然性があるかと言うと別にないと思うんだけど、でも、この人の今のリアルとして、外を歩きながらも〈バキ童チャンネル〉を聞いてみてるっていうのがあるんだっていう説得力がすごくあるし、見せ方として面白いなと思いました。
 ただ、安直だなって思っちゃう歌も結構あって気にはなりました。〈バレーボール蹴ればバレー部が怒る大事なものはそれぞれ違う〉の上下の接続はやっぱり安直すぎるよねと思う。全体が好印象なだけにもったいないなという感じでした。

長谷川:ほぼ同じかな。好きだったのは最初の2首〈思い出がきゅるきゅるしだす風格が出る前のMISIA好きだったなあ〉〈エアコンを使わない日が尊くて四季は収束していく気配〉ですね。今、っていう感じがしますよね。この〈尊くて〉とか、ちょっと前ではこういうカジュアルな使い方はなかった気がする。
 細かいところだけど、〈スピっていて〉の〈い〉って要らないよなと思ったんですよね。字余りまでしてむしろ不自然な言い方になってるように見えるのはどうかな。
 あと、僕は最後の歌あんまり良いと思わなかった。〈日の入りを待ち焦がれている交差点〉っていう交差点に対する心寄せみたいなところから〈バキ童チャンネル〉に行く意味がわかんない。〈バキ童チャンネル〉っていう固有名詞のインパクトに振り回されてる印象のほうが強かったかなあ。
 連作として特に嫌な点とかはなかったけど、そういう細かいとこで減点要素があったという感じです。

阿波野:実はあまり好きな感じの口語ではないんですけど、客観的に見て面白いっていうのはわかります。
 ただ、やっぱり、たとえば〈夏雲の「大義は我にあり」感が嫌いで好きでしばらく見ていた〉の〈「大義は我にあり」感〉みたいな言い回しを見ると、どうせならもっと突き抜けてほしいよなっていう気がするんですよね。歌の作りとしてはある程度口語の型があって、そこにこういうラフな用法をさらに交えてくるっていう感じになってて、それだとあんまりプラスの印象にはならないんじゃないかなっていう気がどうしてもしちゃうんですよね。どちらかというと、先にそっち側の視点から作ってきていて、口語の型に寄せてくるんだったらまた違うと思うんだけど、ある口語を崩してるようにしか見えない感じがもったいないんじゃないかなという気がしましたね。口語の使い方としては〈風格が出る前のMISIA好きだったなあ〉とか〈敬語交じりで喋っちゃったな〉みたいな、割とオーソドックスな口語の挿入のほうが上手くいってると思いました。
 好きだった歌でいうと、地味な歌ですけど〈走っても間に合わないと決めつけた昔だったら走る場面で〉ですかね。ちょっと苦みもあって良いなと思います。あと〈バレーボール蹴ればバレー部が怒る大事なものはそれぞれ違う〉は僕はけっこう好きですよ。ちょっと奥村晃作さんっぽさがあって。教訓めいているのが面白い方に行っていると思いますよ。
 〈バキ童チャンネル〉は、やっぱりあんまり捌き切れてる感じじゃないような気がしてます。正直、この歌の動機が〈バキ童チャンネル〉を短歌に入れたい以外に見えない感じがして評価できなかった。

平出:僕はけっこう連作として読んでいってこのひとを信頼する下地ができていたんで、最後に〈バキ童チャンネル〉が出ることにリアリティを見出せたんですけど、その信頼がないとそういう評価になるのもやむをえないっていうことには納得します。

阿波野:そうですね。僕はそもそもこのリアリティの出し方に疑問を持ちながら読んだので、こういう印象になるっていうのはあります。まあ、こう言いつつも基本的には良い連作だと思うんですけどね。

●「家督」

長谷川:不思議な連作だったなという印象です。テーマは割と見えましたけどね、沖縄を出ていた人が帰っているのかなっていう感じで。そこで家族のこととかが出てきたりして。
 全体としては決してわかりやすいっていう感じではないんですけど、まったくわからないことはなくて、読者の側からもう一歩踏み込んで読みたいなって思わせてくれるというのが10首くらいの連作としては良いポイントなんじゃないかなって思いました。
 好きな歌は、最後の〈おもひのほかお金はちから ちから欲し 県外資本を見分けて買はず〉ですね。この文体でこういうことを言ってくるかという面白さがありつつ、深く考えるとけっこうシリアスな背景があるのかなという感じで。
 ただ、ちょいちょい気になるところはありますね。たとえば〈家鳴りす さういふ将軍もありにけり 十一代徳川家斉よ〉の初句って「家鳴り」に無理やり〈す〉を付けているけど、その用法ってありなのかなとか。まあわかるんですけど、初読だとけっこう厳しくないかなと思う。
 そういうちょっとしたことが気になるっていうのが重なって、不思議だなという感じの印象になりましたね。

阿波野:僕も〈県外資本〉の歌が良いなと思いました。〈お金はちから ちから欲し〉っていう、要はお金が欲しいという論理展開が面白いし、加えて〈県外資本〉にはその〈ちから〉を分け与えないぞっていうところで、〈見分けて買はず〉っていう言い方が面白いなと思いました。
 ただ、やっぱり読み切れない部分っていうのはありますね。〈吊橋の効果は架橋するにありおまけにクワガタムシのつがひは〉っていう歌の〈吊橋の効果は架橋するにあり〉は「吊り橋効果」っていう言葉を下敷きにして「いや、吊り橋の効果というのは、橋の先とここの手前の部分を繋ぐことなのである」ということを言い直しているわけで、ここは純粋に面白いことを言っているんですけど、下の句がよくわからない。吊り橋にクワガタがいたっていう話なの? ってなると、ちょっと、風呂敷を広げたまま雑に手渡されてるような感じがする。上の句の発見だけで一首にしたほうがいいのではないかなと思ってしまった。
 3首目の〈呼び出しボタンで呼び出されたる側となり呼び出されたり北の果てまで〉とかは普通に意味がわからなくて、何かの比喩なのかなとかは思うんですけど、ちょっと入っていけない。
 どっちかというと、後半の〈どらごんのうろこのごとき霧雨を傘に受けつつ肉買ひにゆく〉みたいな、おそらくその土地特有の空気感だったり雨の感じっていうのをこのように表現している歌であったり、〈コロンブス以後の世界に田舎まで唐辛子来てシシトウ辛し〉みたいな、発見で一首を仕上げているような歌のほうがいいかなと思います。全体として後半の方が面白かったですね。
 ただ〈海ゆかば ことに沖縄の海ゆかば日焼け止めを塗り忘れずにゆけ〉はちょっと甘いかな。沖縄というのを表明するためだけの歌っぽく見えちゃう。
 あとは〈ろくでなしの染色体が我が肉のすきまを巡る血をつくりゐる〉とかは深読みできそうな感じがありつつ、一方で深読みを拒んできているような感じもして、単語に引っ張られて迂闊なことを言っちゃうと却って読みがおかしくなりそうな気がしてしまうのが難しいですね。
 全体的に色々気になりつつ、そもそも文語や仮名遣いがちゃんとしているのが選考としては加点要素ですよねというのもあり、高評価です。

平出:この連作はタイトルがいいですね。「家督」って出てこないですよね、普段過ごしてて。その、選考をやった目線で言うと、連作の中から適当に単語やフレーズを引き出してきたようなタイトルがぶっちゃけ多かった中で、これはちゃんとつけたタイトルだなと感じられる。
「家督」っていうタイトルをまず読むじゃないですか。で、1首目が〈弟のみどりごのころ寝返りをうち得ず首を横にふるばかり〉っていうのはすごいですよ。ものすごく含みがある〈弟〉ですよね。つまりこの主体は兄か姉ですよね、必ず。で、どちらであるにしても「家督」ってタイトルで、弟、それも嬰児の弟が、無防備な感じで寝返りを打っていて、首も据わってない姿を描いてるっていうのは、なんか怖いんですよね。この後どうなったのかとかも特にわからないし。〈弟のみどりごのころ〉だから過去ですもんね。主体が何を思っているのかもわからないまま、ただこの弟の姿を見つめている時間が描かれている。
 これで、やっぱり「家督」っていう言葉が強烈に読者としては印象付けられて、その後の〈ろくでなしの染色体〉みたいなところにも何か感じるものが増えてくるし、徳川将軍家の話が出てくるのも何か含みはあるよねという印象になる。そういうところで、この人の背景にある何かを、明示しているとは言えない段階にとどめながら、何かを察させていくっていう手腕は見事だなと思います。
 最後の〈県外資本を見分けて買はず〉っていうのも、これだけだとちょっと面白いんだけど、やっぱり「家督」を意識すると見え方が変わってくると思う。「家督」っていう制度を純粋に肯定している主体像ではおそらくないと思うのだけれど、でもなんとなく守っていこうとしている感じがあるんだなっていう。それをこういう形で表現できているのは非常に上手いと思っています。
 ただ、一点普通に気になってるんですけど、〈家鳴り〉って一般的な読み方は「いえなり」じゃなくて「やなり」ですよね。少なくとも辞書的にはそうで、まあ、方言的な呼び方であったり家庭内での定着した読み方であったりとかはあると思うのでそれを根拠にこの歌が間違っているとは言えないんですけど、やっぱり言ってしまえばダジャレで成り立ってる歌でそういうツッコミどころが残っているのは厳しいかなあと言わざるをえないですね。連作の意図としては「将軍」をどこかに出したかったというところなんだろうけど、ちょっと詰めが甘いよね。

長谷川:なんか、色々やっている連作ではあるけれど、ちょっと不器用な感じがありますよね。それが魅力的に働いている部分もあるんですが、もったいないところもあったのかな。

●「夏の手」

阿波野:一次選考で高評価を付けた中でも、かなり推したいほうの作品です。
 特に好きな歌は、まず〈なにひとつ持たずいるだけなにをかは知らんけれども記念公園〉と。〈なにをかは知らんけれども〉は〈記念公園〉が何を記念しているのかは知らないけれどもという意味かと思うんですが、この人を食ったような文体が魅力的です。「記念公園」っていう言葉が面白く見えてくる良い体言止めだなと思います。上の句は特に何もしていなくて、ぼーっとしているだけという感じなのかな。そこも含めて〈記念公園〉という言葉から空間や思考が立ち上がってる感じがして、面白いと思いました。
 最後の〈窓辺には下着が揺れてる 方言をうつしあうたび天国が近づく〉も好きです。他の歌に出てくる〈きみ〉なる人と一緒に住んでいるのか、あるいは泊まりに来たとかで同じ部屋にいて過ごしてるのかという感じかと思いました。、自分の下着というよりは他者の下着っぽい感じがする。で、その上の句の景から〈方言をうつしあうたび天国が近づく〉という下の句にいくんですが、この〈うつしあう〉というのいいですね。一方的にうつされるのではなくて、自分の方言を相手にうつして、相手の方言を自分に移されて、みたいなことをしながら、なんというか、高め合っていった結果、近づくのは〈天国〉であるっていうのが嬉しいですよね。そう信じて過ごし〈方言をうつしあう〉ことにこの人は価値を感じているんだということで、実際に天国が近づいているかどうかは重要ではなくて、この人がそう思っているというのが非常に大事なのだと思います。ここが良かったですね。
 全体的に〈きみ〉との関係性の歌がずっと続いているんですけど、どの歌をとってもちゃんとポイントがあって、10首全体を通してクオリティが高い連作でした。特にマイナス要素がなかった。

長谷川:僕も良い連作だなと思いました。
 好きな歌で言うと、1首目の〈電波塔が暮らしの眺めにあることのさびしくなりきれないわたしたち〉は韻律が気持ちいいし、このふたりの関係性の連作としてこの入り方はハマっている。
 3首目〈ダサい柄シャツ だけどこれは去年の夏のわたしがぐっときていたはずの〉は、夏の一回性みたいなものが表現されていていいと思った。ちょっとありきたりかもしれないとも思いつつ、このある種の儚さみたいなものが夏の季節感とも合っていて、良いと思いました。
 ただ、評価に迷ったポイントとして、〈きみにある教祖の才能 でかい月だったから月の言語で喋った〉の〈教祖の才能〉や〈月の言語〉とか、〈千年の約束 じゃないね 夏はこの褪せたサンダルでいくと決めたって〉の〈千年の約束〉とか、最後の歌の〈天国が近づく〉とか、言葉の用い方として甘いように思えるところが多いというのがあったんですよ。ただ、それがそのままマイナス要素というわけでもなくて、この甘さも含めて夏の感じやふたりの関係性が表現されているようにも感じられて、むしろ、好意的にそこを読んでいくことができるかなっていう感じでしたね。

平出:基本的には魅力的な連作であると感じつつ、僕はさきほど長谷川さんも指摘していた言葉の甘さの部分を好意的には取れなくて、評価としてはやや下げざるをえなかったというところです。昔から使われてきた良さげな言葉っていうものに頼りすぎてしまっているように見えて、それもひとつふたつじゃないんですよね。どうしても甘いなと思ってしまって、もったいなかった。
 〈ダサい柄シャツ だけどこれは去年の夏のわたしがぐっときていたはずの〉は好きな歌ですね。〈ダサい柄シャツ〉を先に提示して〈だけどこれは去年の夏のわたしがぐっときていたはずの〉を言ってくるという、この提示の順番は上手いですよね。〈ダサい〉〈ぐっときていた〉というゆるめの語彙も効いていると思います。
 〈いつか手にふれる口実にした夏に生まれたのに手が冷たいことを〉は表題歌ということになると思うんですが、ふたりの関係性というものを主題としたこの連作においてこういう身体的な接触のことを明確に書いてくることがクライマックス的に響いてくるというのがあって、タイトルの付け方としても成功しているように感じました。内容も良いですね。夏に生まれたら手が温かいなんてことは別にないはずなんですが、だからこそ、論理とは違うところで〈口実にした〉っていうことの強度が増してくる。良い歌だと思います。
 好きなんですよ、この連作。だけど、やっぱり最初に言った甘さの部分がどうしても気になって推し切れない。特に最後の〈窓辺には下着が揺れてる 方言をうつしあうたび天国が近づく〉は、韻律を崩してまで「天国」でないといけなかったのかなとは思ってしまう。

阿波野:この連作の〈天国が近づく〉とか〈千年の約束〉とかってたぶん同じ理屈で出てきているんですよね。後者は歌の中ですぐに〈じゃないね〉と否定されている通り、そんなものではないことは前提の上で、でもそれを一旦言うのである、みたいな。そこで、このふたりのいわば永遠性みたいなものを、一旦信じる素振りを見せているということなんだと思う。それがそもそも甘いロマンチシズムだろうっていうのは、そうなんですよね。ただ、それはそうなんだけど、でも信じるんだよ、っていうこのもう一歩の踏み込みが良いんだと僕は思っています。
 あと、文体の話で言うと、この連作は下の句でぐーっと字余りするっていう技を結構使っているんですよね。〈褪せたサンダルでいくと決めたって〉とか〈だったから月の言語で喋った〉とか。そこで余らせるとこういう力が入る、みたいなことをこの人は理論的あるいは生理的にわかっていて、最後の〈うつしあうたび天国が近づく〉もその一環だろうなと思います。結句で余らせるのって結構勇気がいるんだけど、ここまでバシバシやってることには好感を持ちましたね。

平出:なるほど……。かなり納得しました。たしかに〈千年の約束 じゃないね〉と一度否定していることは大きなポイントですね。

長谷川:もうひとつちょっとだけ気になってるのが、最後の歌の〈下着〉の景なんですよね。一口に下着と言っても色々あって、たとえば男性物なのか、女性物なのか、どういったものを思い浮かべるかで受け取る印象は変わってきますよね。この連作は関係性を描きながら、主体の性別とかの属性は分からないということがひとつの儚さに繋がっていると感じていました。しかし、その連作の描き方が最後の一首に対してはマイナスに働いてしまっていて、写実として読み切れない歌になってしまっていたのが少しだけ残念でした。

●「エジソンがわかる」

長谷川:リズムが独特で、定型なんだけど、その中にこの人のリズムというものがあって、それがこの連作を通して違和感なく流れていくから、どんどんこの人の世界観みたいなものに引き込まれていく。歌の意味がどうとか、これは失敗してるんじゃないかなとかっていうのを考えさせないぐらい、トントントントンと次の歌にどんどん進んでいって、最後に〈夏の海まで誘拐をされている マクドナルドのMがあかるい〉まで言い切られると、なんかもう「そっか、マクドナルドのⅯがあかるいんだな」みたいな爽やかな気持ちになる。
 選考という意味では、他の連作と比べてまったく違う基準で評価しているような感覚です。歌の意味がどうこうっていうようなことをあまり考えなかった。
 1首目〈ながれない川にみえるよこの川は ビートルズの半被がうすすぎる〉からリズムが良いですよね。〈ビートルズの半被〉って何なのか、ぜんぜんわからないんですよ。わからないんですけど、不思議な幸福感がある。〈みえるよ〉っていう呼びかけも効いていて、ここからどんどん、読者と作者という距離感じゃなくて、この連作の世界の中に自分も入っていくような、そんな感じになるんですよね。
 だから、難しいです。こういう選考会の場で一個一個詰めていけばいくほど、この歌の魅力を削いでしまうんじゃないかっていう懸念があって。受け取ったものが全て、みたいな感じの連作だと思うんですよね。一首ずつ細かく読むと、甘いなと思うところは多い。たとえば〈柔道をわたしはしないめくれてる服がめくれおわるまで待ってる〉とか、やっぱり、どういうことなんだろうと思うし。でも、この連作として読むと冷めずに読み切れた。そういうポイントを推していきたいです。

阿波野:この作品、僕のイチオシです。
 まず、表題歌が衝撃的に面白い。〈ちょっと待っててって言われてちょっと待つ エジソンが来て、わたし、エジソンがわかる〉っていうのは、すごい。エジソンが来ただけだったら、まだ「変な歌だな」って感じで終わるんだけど、〈わたし、エジソンがわかる〉まで言っているのが本当にすごい。たしかに、エジソンの顔ってあんまりよく知らんなと思って(笑)。

平出:たしかに! 思い浮かべようとするとアインシュタインが邪魔してくる。

阿波野:(笑)。でもこの主体はエジソンわかるんですよ。夢でもそういうことってありますよね。会ったことない人が出てきて、なんでか知らないけどこの人は誰かっていうのがわかるみたいな。そういう微妙なニュアンスのことを言っているのが面白い。
 それと、この歌って短歌っていう文字列としてちょっと長いじゃないですか。その視覚的なインパクトも効いていて、良かったです。
 他の歌もいいんだよね。なんか、我々がここまでぐちゃぐちゃ言ってきた方法論とか技術みたいな話に対して、もっとプリミティブなところで短歌を遊んでる感じがして、そこがすごく輝いてる。〈背の高いひとが好きだとおもってた 衛星予備校やめちゃった 薔薇〉とか。この〈薔薇〉ってやばくないですか。なんか、言ってしまえば2音足りなかったから入れたみたいなノリにも見えるんだけど、同時に、この〈薔薇〉があることによってたしかに一首が完成しているというのもわかるんですよね。〈衛星予備校やめちゃった〉までだと特に面白くないんですよね。ここに薔薇のイメージがパンと出てくることによって、歌全体に響いてくる。〈衛星予備校〉っていう単語のチョイスも絶妙で、「東進」は書かないっていう(笑)。そういうポイントがいちいち魅力的で、良い歌だと思います。
 そういう、三部構成みたいな感じの歌が結構あるのかな。〈シンガーソングライター とうとい季節 しゃがんで我慢していたころの〉もそうですね。これは微妙に意味が繋がっている気がして、シンガーソングライターが路上ライブか何かをしてるのか、それかライブの列をずっとしゃがんで待ってるのか、どっちかわからないですけども、やっぱりこの〈とうとい〉は特別な感じが直感的にするんですよね。ちょっと説明が難しいんですけど。
 最後の〈夏の海まで誘拐をされている マクドナルドのMがあかるい〉で綺麗に終わっていて、どういう状況なんだろうみたいなところは残してあるんですけど、ここの叙情の締め方も非常に上手い。
 すごく新鮮で面白くて……もっと俺も短歌頑張ろう、って思う連作でした。

長谷川:なんか、すごいことを言っている……(笑)。

一同:(笑いが込み上げる)

平出:えー、非常に評価に迷った連作でした。文体に非常に特徴がある連作というところで、すごく面白かったんですけど、やっぱり意味の取り切れなさについて僕はふたりほど振り切った読み方をできなくて……。ただ、この連作に対してBetしたくなる気持ちはすごくわかります。
 ほんとに歌うような感じですよね。歌唱のほうの。歌人でさえない名前を挙げちゃいますけど、相対性理論(バンド)をちょっと想起するところがあるというか。「背の高い~♪ ひとが好きだとおもってた~♪」(やくしまるえつこ風に歌う)みたいな(笑)。相対性理論ぽいかどうかはともかく、そういう、歌唱するような韻律感覚の内在化を感じることってこれまであまりなかったので、新鮮でした。
 全体としてすごく面白いとは思っているんですが、個人的には方法論から離れているみたいには思っていなくて、結局、あんまり繋がりのなさそうなフレーズを3つ一首の中へ韻律的に気持ちよく入れるっていう方法があるように僕には見えちゃったから、ふたりほどこの連作に対してテンションが上がり切っていないところはあります。でもそう見えた上で、その方法が成功しているとは思っています。

阿波野:平出さんの言っていることもわかります。方法論という概念から離れているというわけではなくて、単にこれまで我々が話していた論理とは別のことをやっているという言い方になりますかね。それで感動が薄れるわけではないと思います。

長谷川:変な言い方ですが、今までの議論がフリになっているというか。やっぱり一歩抜けたところがあるとは言えるんじゃないかと思いますね。
 阿波野さんが何度か言われている、嘘じゃない感じみたいなものが、文体にしっかり表れているんだと思うんですね。方法はあるんだけど、それありきで詠われているような印象は受けにくいかなと思います。

阿波野:歌から無敵感みたいなものが漂っていて、それはやっぱり単語選びの才能だと思うんですね。〈先日はありがとうございました。飴が落ちてる。She was beautiful.〉の意味を取ることは不可能なんですけど、この一首が連作の中に存在できているっていうのがすごくて、それはやっぱり文体によるガードなのかなと思います。何言っても聞かないみたいな感じがあって、これはすごいぞという印象が揺らがないですね。

平出:ちょっと重箱の隅をつつくようなところ言いますけど、4首目〈クロックス履いたこどもの腸捻転すべてあなたが悪いと思う〉にだけ〈あなた〉が出てくるじゃないですか。この〈あなた〉がノイズな感じというか、この連作の中に出てくる〈あなた〉ってなんなんだろうって思っちゃったんですけど、どうですかね。

阿波野:これはこの〈こども〉に対して言ってるんだと思ってます。相聞のニュアンスとかは全く受け取ってなくて、〈こども〉に対して〈あなたが悪い〉って言ってるのはこの連作のカラーとして違和感はないですよね。

平出:ああー、なるほど。そうですね。納得しました。

阿波野:いやまあ、確かにそう読むとしても負荷の高いところだとは思います。

長谷川:僕も実はちょっと気にはなってたところで、〈あなた〉が誰かっていうよりは〈すべてあなたが悪いと思う〉っていうフレーズ自体がどうかなっていう。他にも〈ハーフタイムにやすんでる選手たちスポーツのジュース飲んでていいな〉とかも甘いなとは思う。「スポーツドリンク」を〈スポーツのジュース〉って呼んだらおもしろいでしょ? っていう作者の表情が見える感じと言うか。でも、そういうところが連作の緩急になっているのかなっていう気もして、一概にマイナスってことでもないんですよね。

●「サマー・テクスチャ」

平出:一首一首ににシニカルな魅力があって、連作を通して確立された作風がしっかりと見えたというところで、この作品は応募作全体の中で際立っていました。
 〈おとうとが産まれるまでの[DSでアダルトビデオ観るような]ラグ〉の〈DSでアダルトビデオ観る〉や〈しりとりにクリアはないね 雪国の生まれとわかるあなたの名前〉の〈しりとりにクリアはない〉のようなリアルな経験や体感を描いている歌のゾーンがあって、それとは別に〈少々の金を返して人類の最大の発明はなんだろう〉の〈人類の最大の発明はなんだろう〉や〈一人称と三人称の裂け目には畳で昼寝する女の子〉のような想像的であったり抽象的であったりすることを描いている歌のゾーンがあって、そして〈トランプが安倍晋三を思い出すほどの頻度でパフェを食べてる〉みたいなもはや想像でもない言いがかり的なゾーンの歌っていうのがあって、それらが連作の中で絶妙な混ざり合い方をして、すごいグルーヴを生んでいると思ったんですね。これだけの方向性が拡散せずにある種の一貫性を持って連作が成り立っているのは、さっきも言ったようなシニカルさであったり、文体であったりという確立されたベースがあるからだろうなと思います。
 それと、印象的なのが〈トランプが安倍晋三を思い出す〉とか〈人類の最大の発明〉とかっていう内容の出し方で、これって近々にインターネットで流行ってたネタですよね。

長谷川:そんなんありましたっけ?

平出:トランプのは銃撃された時のですね。あの時彼はなぜか急に振り返っていてそのことで致命傷を避けられたみたいな話があるんですけど、それに関して「背後からもういるはずのない旧友の声が聞こえたんだ」みたいなことを言ったらしいという文面に安倍晋三の顔が空に浮かんでいる画像がくっつけられた投稿がバズったんですよね。たしか、アメリカのユーザーが発信元だったんじゃないかな。投稿者によってジョークだと明言されていたはずですが、日本のユーザーの間でも結構まことしやかに流布していたような認識です。それをこの歌から連想するのは飛躍ではないでしょうね。
 〈人類の最大の発明〉のほうは、たしか「人類の最大の発明は何だと思う? って質問すれば相手の知性のレベルが測れる」みたいな投稿がバズっていて、みんながいっぱい自分なりの回答を投稿するっていう流れがあったはずです。ちょっと曖昧な認識なので、あんまり信じないで聞いてほしいんですけど。

長谷川:言われてみたらあったような……。

平出:こう、この3人の中でさえわかったりわからなかったりするくらいの、ミーム化したとは言えないインターネット的なものを連れ込んできているのは特徴的だなと思います。別にわからないならわからないで、これはなんだろうっていう何かは残るし、インターネットで見たやつだなと思ってもそれを短歌に詠み込んで面白がってるだけだとはならない何かっていうのをちゃんと歌の中で出せてるっていうのはかなり手腕があるなと思いました。
 それと、無視できないのが〈玄関の覗き穴から犯される世界をずっと見ていたはずだ〉で、これはどう考えても『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』(木下龍也・岡野大嗣、ナナロク社、2017)のパロディなんですけど、これも僕は成功してると思っています。パロディ元のほうでは外を見るための覗き穴が外から光を引き込むものにするっていう逆転が起きてる歌だと思うんですけど、そこから連れ戻して、覗き穴の、そこから世界を見る機能に注目するっていう再逆転を起こしているのが面白いんですよね。で、この「再逆転」っていう発想はパロディでなければありえないので、そこはパロディをやっただけの成果は得られていると思う。内容も、室内側という安全圏から、何かおかしくなっていく世界を覗き込んでいたっていう言い方で、これはかなり抽象的な言い方だと思うんだけど、この連作自体の露悪的なスタンスと合致しているような気はするんですね。たとえばですけど、インターネット越しに世界を見るっていうことの比喩のようにも読めてくる。
 ただ、やっぱりこの露悪的なところというか、たとえば〈トランプが安倍晋三を思い出す〉という表現の勝手さとかを、手放しで良いとは言えなくて、連作としてすごく面白いとは思いつつ、評価に迷うところはありました。

長谷川:今回たくさんの作品を読んできた中でも、この連作は不安定ながらもよくまとまっているという感じが特にありました。露悪的であったりパロディがあったりと色んなモチーフが織り込まれていながらまったく崩壊していなくて、作品としてまとめられているのはやっぱりすごいことだと思うんですよね。そういうところで高く評価しています。バランス感覚が良いんですね。
 あと、今回の応募作では「畳」の詠み込まれた歌ってたくさんあったんですけど、その中で一番好きだったのは〈一人称と三人称の裂け目には畳で昼寝する女の子〉だったんですよね。不思議な世界観と〈畳〉のイメージが上手く嚙み合っていて、ちょっとした怖さみたいなものが、連作の雰囲気も相まって、強く感じられたというか。
 良いと思ったところは平出さんと同じなんですけど、個人的には1首目〈はつなつの否定神学さようなら 僕らハシビロコウを見ていた〉がちょっとこけて入っている印象でした。この〈はつなつ〉は甘いかなと。ただ、そこを忘れるくらい後半の良い連作だと思います。
 〈玄関の覗き穴から犯される世界をずっと見ていたはずだ〉はあんまり良いと思えなくて、単純に〈犯される〉のかかり方が不安定なんですよね。〈覗き穴から犯される〉っていう読みが出てきちゃって、なんというか、パロディをやるならそういうところがブレるのは良くないと思うんですよね。

阿波野:僕もかなり上位で捉えています。〈霊感がある友達の財布からきれいに折りたたまれた新札〉みたいなちょっと不穏な着眼の歌が好きですね。
 〈一歩先をつねに歩いている僕に追いつくような散歩がつづく〉はすごく奇妙で、〈追いつくような〉とは言っているけど、逆にずっと追いつかないようなイメージですよね。この、もう一人の自分が遊離しているような感覚の表現は良いと思った。
 〈ふたりの歩幅と使う言葉の規模感が噛みあってきている汽水域〉はかっこいいですね。なんというか、全体的にかっこつけているんだと思うんですよね。〈はつなつの否定神学さようなら〉はかっこつけすぎて滑ってる感じなんだと思う。〈あかるい午後にブロッコリーを茹でている 抒情を終えてからというもの〉の下の句も滑りかけてると思うけど、ギリギリかっこいいのラインだと思う。この方向性で、連作全体としてはかっこいいのほうでちゃんと持ち切ったのはすごいなと思いますね。硬質な叙情というか、露悪も含めて、カリカリ一首一首を仕立てていっている感じには好感を持ちました。
 パロディの歌はマイナスというか、パロディというよりはちょっと仮想敵っぽく茶化しているように僕には見えて、それは違うんじゃないかと思った。やっぱり安全圏から言葉を撃っているように見えてしまうというか。〈犯される〉のかかり方がブレているというところも含めて、元の歌を越えているかなと言うとそうではないですよね。平出さんが評価したくなる気持ちはわかりつつ、この連作にこのパロディが必要だったのかというとかなり疑問です。
 あと〈トランプが安倍晋三を思い出すほどの頻度〉は、普通に、その頻度わかるわけなくないかというのが気になって、良いと思えなかった。自分の中で、倫理的な態度として許容できないので、ここは明確にマイナスでした。
 なんにせよ、連作全体として、色んな抒情の見せ方をしてくれていて、良いなという印象でした。

●「ゴースト」

長谷川:僕のイチオシはこれですね。この連作はやっぱり、隙がないところがすごい。僕がずっと重視している、連作の向こうに人が見えるっていう点でも良かったし、すごく純粋に、自分にとっては圧倒的な連作でした。
 〈海沿いの白壁が白く保たれる風土が写真からわかること〉って、まず海沿いに白い壁がいっぱいあるっていう発見が魅力的で、普通だとこれだけで歌にしてしまうと思うんですよ。でも、その写真を見て、その土地の風土がわかるっていうとこまで行くのは、ものの見方とかレベルが違うなという感じがします。
 〈母が昔アコギを弾いていたわけを母が半分話してくれる〉も良いですね。〈半分〉っていうのは明確に半分っていうわけはないと思うので、息子としてなのか、これは半分ぐらいなんだろうなっていう推測をできているということですよね。話の終わり方だったり、雰囲気だったりみたいなものから。しかも、今は弾いていないアコギを弾いていた理由を今改めて親子で会話するっていう状況とかから、この親子の関係性が見えてくる感じがするんですよね。明確に書かれてはいない部分に乗せられた情報量が多くて、この人がどんどん見えてくる。そういうことをすごく感じた連作でした。
 わからないところも結構あるんですけど、そこが雑味にならないんですよね。さらっと、そうなんだって受け止められる感じ。
 〈サッカーに似てサッカーでない球技地上に幾万とあったころ〉の、球技の歴史に目を向けるという視点には若干の既視感を覚えつつ、でも〈地上に幾万とあったころ〉まで言われると面白い。
 笑える歌もあってよかったですね。〈ここにいる皆の名前を並び替え文を作れる人 余ったみ〉とか。作れてないじゃんっていうね(笑)。
 タイトルもかっこよくて好きでした。

阿波野:基本的には良い連作だと思いつつ、若干気になるところはあるなという感じです。
 良いと思った歌は長谷川さんも挙げた〈海沿いの白壁が白く保たれる風土が写真からわかること〉〈サッカーに似てサッカーでない球技地上に幾万とあったころ〉〈母が昔アコギを弾いていたわけを母が半分話してくれる〉ですね。良いと思ったポイントは長谷川さんと同様です。
 気になるのは、まず下の句の句跨りが多いところですね。跨るにしても〈風土が写真からわかること〉〈地上に幾万とあったころ〉と、〈美容師が椅子の高さを調節しそのうえ足首を曲げ伸ばす〉と〈日光を浴びる時間が長いほどわたしの迷信は歓んだ〉の〈そのうえ足首を曲げ伸ばす〉〈わたしの迷信は歓んだ〉っていうのは全部同じ型で、流石にしつこいなという感じが個人的にはする。
 あと〈包装にsince自分の生年があって嬉しい 地下街の泥〉の〈since自分の生年〉とかは、わかるんだけど、ちょっと恥ずかしい気持ちになるみたいなところがありますね。言ってる歌の意味はすごく良いなと思うんですよ。お菓子とかの包装に書いてある「since~~年」っていうのが自分の生年と同じで嬉しいっていう気持ちはわかるんだけど、この書き方でいいんだろうかと思ってしまう。そういうところがちょっとありますね。
 全体的には、歌が良くて面白いんだけど、ちょっと不満もあるという感じです。あと、タイトルがどうかなっていうのもありますね。あんまりゴーストっぽい内容じゃない。余談に近いですけど、僕も「ゴースト」っていう連作を作ったことがあって(笑)、余計に気になっちゃうところはありましたね。

平出:着眼点とそれを歌に落とし込む技量っていうところで、卓抜したものがあるのは疑いようがないと思っています。
 僕は〈サッカーに似てサッカーでない球技地上に幾万とあったころ〉が好きでしたね。今もそれがあることは否定してないのが良くて。ほとんどは「サッカー」に吸収されているけれど〈サッカーに似てサッカーでない球技〉って今も何かしら、〈幾万と〉ではないだけで、あるはずなので、そこのポイントを残しているところが、ある種の上手さの現れだなと思います。
 〈日光を浴びる時間が長いほどわたしの迷信は歓んだ〉も好きですね。迷信って自覚しながらもそれを受け入れて歓んでいるところが、不思議なようで、でも結構共感できると思います。ある種の冷静さというか、精神論って否定されがちだけど精神というものは確かにある、みたいな方向性のスタンスがこう見せられるのは面白い。
 最後の〈浴びている正気のようなそよ風だ冷蔵庫の扉に手をかけたまま〉も良いですね。その風によって正気に戻るとかではなくて、それ自体が〈正気のよう〉というのは芯を食っているような気がします。その状況を描写しようとした時、冷蔵庫からの風で正気を取り戻した、って言いたくなっちゃうところをもう1つ深掘りして、本当はこうじゃないかみたいな最も的確な言い方をしようとしているっていう意思が伝わってきたんですね。
 やっぱり好きな歌はすごく好きなんだけれど、ちょっとスベってるなと思っちゃう歌もある。〈ここにいる皆の名前を並び替え文を作れる人 余ったみ〉とかは、状況は面白いんだけど、短歌に乗せて〈余ったみ〉と出されるとむしろ冷めちゃうというか。あと〈「打鍵音うるさかったらごめんって文字で言う人は初めて見た」〉は全部鍵括弧に入っているけど、発話してるっていう表現なのかな。そこも微妙で、これが短歌になっていることの嬉しさが特にないんですよね。
 そういうところで、長谷川さんは「隙がない」って言ってたけど、僕は隙があると思った。

長谷川:うーん、まあ言っていることはわかります。僕は流してる系にかなり甘いんだと思う。甘いと思ってないっていうか「これ良い流しじゃん」くらいに受け取るみたいな。

平出:本当に、良いとは思ってるんですよ。〈美容師が椅子の高さを調節しそのうえ足首を曲げ伸ばす〉の〈そのうえ〉とか、〈意図しないきのこが敷地の西の角まだ十日ほど栄えていそう〉の〈意図しない〉とか、そういう言葉を使ってくるかっていう面白さがたしかにあるし。
 良いからこそ、気になるところがすごく気になってしまう。

長谷川:玉に瑕、って言いますけど、本当ですよね。良いからこそ瑕が目立ってしまう。

阿波野:嘘をつかないようにしようとしてる感じが良いんですよね。〈意図しないきのこ〉とか〈幾万とあったころ〉とか。

平出:そうなんですよ。そこの誠実さがすごくある。

長谷川:知的な人が普通のこと言ってるみたいな感じがあって、それがひけらかしてる感じになっていないのがかっこよかったですね。

●「オープンスペース」

平出:すごく良いと思っています。
 韻律の良さが第一に印象的でした。ほぼ全歌で句跨りが用いられていてるんですが、どれも非常に自然で気持ち良く、この作者の中で韻律感覚が内在化されて文体として確立されているんだっていうことがよく伝わってきました。
 連作としては「空間と想像」というテーマがあって、それが機能していると思います。2首目の〈公園ではしゃぐ子供のおそらくは近場にある家の暮らし向き〉や4首目の〈奥行きのある空間にインテリアを配置する想像が行き渡る〉あたりがわかりやすいですね。そういうテーマを提示する手つきに無駄がない。説明的になりすぎず、一首一首での語の出し方や着眼点っていうところで、この連作で何を言おうとしているのかっていうことがはっきりわかるのはすごくいいと思いました。
 細かな助詞遣いのこだわりもすごく効いています。3首目の〈配管が露出している天井のスーパーマーケットで水も買う〉の〈水も〉とか、7首目の〈見晴らしのいい場所にある病院に入院する想像はしてしまう〉の〈想像は〉とか、一首に書き切られていない部分を残して、そこを助詞で見せてくるんですよね。そこで、それこそ読者の想像力をかき立ててくる。〈水も〉買ってじゃあ他には何を買っているかとか、〈想像はしてしまう〉として何は「してしまっていない」のかとか。そういうところを刺激してくる。読んでいてすごく引っかかるんだけど、それはおかしいってことじゃなくて、やっぱり意図して読者を刺激するようにコントロールされているのが伝わってくる。技術が高いと思いました。
 最後の〈サイダーの甘ったるさも炭酸の刺激も初めから知っていた〉がすごく好きでした。サイダーが想像の範囲内で収まったってことを言っている歌ですよね。想像力っていうものを描いていっている連作がそういう一首で終わったっていうことは、誠実な感じがしたんですよね。想像力があるっていうことは、裏を返せば、現実のものを想像の範囲内に収めていくということで、その二面性に向き合っている一首だなと思ったんです。
 やっぱり、一首一首が面白いし、助詞遣いといった細かいところでも見せてくるっていう、僕が短歌という形式に抱いている歓びみたいなものをこれでもかと出してくれたっていう連作で、とても好きでした。

阿波野:僕も全体的にすごく良いと思いつつ、批判したいポイントもあるっていう感じです。
 ワンパターンすぎるんですよね。さっきの「ゴースト」でも句跨りが多いって言ったけど、これはその比ではないわけですよ。下の句が9・5になる型が多すぎて、この人はこっちを定型と思ってるんじゃないかという感じになっている。都会的なおしゃれ感を演出するための句跨りになっている感じがしてしまうんですよね。
 連作としてやっていることも、空間性を立ち上げるっていうことと、想像力で補完するっていうことをずっとやっているんですが、「想像」っていう言葉自体が2回出てくるんですよね。しかも「空想」も出てくる。これはやっぱりちょっとやりすぎかなという気はします。
 ただ、一首一首で見ると、どれもクオリティは高い。〈鳥の声 吹き抜けをふと見上げると視線は天窓にぶち当たる〉の〈ぶち当たる〉のえぐみを出しながらも解消していく感じとか。〈ピロティでどうしていいかわからない 空間と風 騙されている〉の〈空間と風〉の出し方とかは、やっぱりかっこいいなと思う。
 そういうテーマを押してきている歌もいいんだけど、全体を読むと、どっちかというと1首目〈適当に羽織る感じがかっこいいジャケットの感じを真似てみる〉とか最後の〈サイダー〉の歌のほうが好きになっている感じはあるかな。
 空間を描くのと想像を描くのをずっと交互にやってるみたいな雰囲気がちょっとあって、「オープンスペース」というタイトルには合ってるっちゃ合ってるんだけど、そこまで嵌めていかなくてもいいんじゃないかと思うところもあり、積極的に評価すべきポイントなのかどうかは迷う。10首くらいのスケールならひとつのやり方かなとは思いますけど。

平出:すみません、「都会的なおしゃれ感を演出するための句跨り」って話があったと思うんですけど、それがよくわからなくて……。句跨りって「都会的」なんですか?

阿波野:その、まずおしゃれな句跨りだなというのはあると思うんですよ。〈奥行きのある空間にインテリアを配置する想像が行き渡る〉の〈配置する想像が行き渡る〉とか。
 句跨り自体が都会的ということではないけれど、そのおしゃれさと都会的なモチーフの相性は良いと思うんですよ。たとえば永井祐さんもそうだし、佐クマサトシさんもそうだし、僕もそうかもしれないんですが、そういう句跨りをやってきた流れというのがあって、その延長線上にこの連作はある感じがするんですよね。

平出:なるほど。意図されたところはわかりました。ありがとうございます。

長谷川:僕はこれ、句跨りだと言うのがもはや的確ではないのかなという気がしています。
 下の句の7・7を切っていくことって、本来的な調べを失っていくことじゃないですか。句跨りっていうのは長いところで調べを繋げていって、跨いでいくことで調べを生んでいくことだと思うんですよ。でも、この連作のたとえば〈配置する想像が行き渡る〉みたいな5・5・5のリズムっていうのは、繋いでいるんじゃなくて切って切って切ってとしていって調べを断絶しているんですよね。歌っぽさから離れていっている。
 それが、ここまで話に出た都市っぽさとかおしゃれさになっていって、この連作のやろうとしていることにマッチしているから、良いと思うんですよ。ただ、それに頼り過ぎているようにも思って、評価し切れなかった。
 助詞の良さも、わかるんですよ。一音の違和感で読ませる力はすごいと思う。でもそれはひとつの方法であって、そればっかりになってくると、それだけではないんじゃないのかなと思ってしまう。モチーフの一貫性や見せ消ちも、良いんですよ。ただ、そういうのが型にはまりすぎているように見えていて、前にも言ったような、その目的は何? っていう疑問に繋がってくる。

阿波野:なるほどね。

長谷川:一首で読むと上手いのはわかるんです。だけど、その方法論を振り回しているだけでいいのかというのを考えたい。ここにもうひとつ、何かが要るんだろうなっていう気持ちです。


●候補作選出

長谷川:受賞作を選考していくにあたって、ひとまず候補作を6作程度に絞りたいと思います。ここまでの議論を踏まえたうえで、候補作に推したいと考える作品を各自5、6作品選んで、その結果から候補作を決めましょう。

(各自、読み返しながら考える)

平出:……まあ、悩むけど、こうかなあ。

阿波野:うーん、決まったかなあ。

長谷川:じゃあ、みんな決まったみたいなので、自分からいきますね。「サマー・テクスチャ」と「ゴースト」と「夏の手」。それから「エジソンがわかる」「毒猫」。あと「もも」ですね。

平出:なるほどなるほど。

長谷川:結構、一次選考の時点より評価の上がった作品も入ってきました。「毒猫」は〈アクリルスタンド〉の歌への理解が進んだのでかなり上がりましたね。

阿波野:うーん、これはやっぱりどうしようかなあ……(手に持っていた応募作の印刷された紙を置く)。

長谷川:ちょっと! 聞いてからはずるいですよ(笑)!

阿波野:いや、違うんですよ。それとは関係なく、自分がごり押ししたいだけかもなって思い直して……。

平出:それは気にすることじゃないですよ! ここの記録も公開しますんで、候補作に残るかはともかく、阿波野さんがここで推したっていうことは作者さんにも届くと思いますし。

阿波野:ああ、それはそうですね。ありがとうございます。そのままいきます。自分は「エジソンがわかる」「夏の手」「オープンスペース」「限定された遊びの中で」「毒猫」でお願いします。

平出:僕は「パラレルお盆」「オープンスペース」「もも」「エジソンがわかる」「故郷で」「サマー・テクスチャ」の6作で。

長谷川:ありがとうございます。まとめると、こんな感じですね。

長谷川:ここから候補作を6作品程度に絞りたいです。

平出:全員が入れている「エジソンがわかる」は確定ですかね。というか二人以上入れているのがちょうど6作品なので、それでいいですかね。一人しか入れていない作品は泣く泣く外して、受賞作を考えていく感じでもよいのでは。

長谷川:そうですね。そうしましょうか。

阿波野:異議ありません。

長谷川:それでは「エジソンがわかる」「夏の手」「毒猫」「オープンスペース」「サマー・テクスチャ」「もも」の6作品を候補作として、受賞作を選考していきたいと思います。

●受賞作品選考

長谷川:どうしましょうかね。現状、それぞれが各作品に対してどの程度の力で推薦したのかはわかっていないので、ひとまずそれぞれで候補作を順位付けしてみましょうか。その結果で異議がなければそのまま最高得点の作品が受賞でもいいし、誰かに思うところがあるなら改めて議論しましょう。

阿波野・平出:わかりました。

(各自、読み返しながら考える)

阿波野:いやー、僅差です。僅差ですけど、決まりました。

平出:非常に難しかったですが、僕ももう決めました。

長谷川:いやー、ちょっと待ってちょっと待って。

平出:待ちますよ待ちますよ(笑)。

(長谷川、長考)

阿波野:うわー、悩んでるの見てたらもっと悩みたくなってきた。

平出:もう堂々巡りですよ、後は。これで納得いかなければまた議論の余地はありますんでね。

長谷川:待って、違うのかな。全然違う気がしてきた。

平出:どうしたんですか今更。

長谷川:おかしいんだよ。AはBより良いから順位上にしてるはずなのに、Bより下にしてるCとAを比べたらCのほうが良い、みたいなことになってる。

阿波野:三すくみになってる。

平出:わかりますけどね。

長谷川:ああー、でも、決まりました。これでいきます。

平出:進めていきましょう。

長谷川:それでは各自の6位から順に言っていきましょう。まず僕は「サマー・テクスチャ」。

平出:僕は「毒猫」です。

阿波野:「もも」です。

長谷川:では、次に5位。僕は「毒猫」です。

平出:「夏の手」です。

阿波野:「サマー・テクスチャ」です。

長谷川:4位。僕は「オープンスペース」。

平出:「サマー・テクスチャ」です。

阿波野:「毒猫」です。

平出:これ、結構ちゃんと緊張感ありますね。

阿波野:ですね。こんなに空気がヒリつくとは。

長谷川:では3位いきます。僕は「もも」。

平出:「エジソンがわかる」。

阿波野:「オープンスペース」。

長谷川:2位。「エジソンがわかる」です。

平出:僕は「もも」です。

阿波野:「夏の手」です。

長谷川:それではいよいよ、各自の1位です。僕は「夏の手」。

平出:「オープンスペース」です。

阿波野:「エジソンがわかる」です。

長谷川:ありがとうございました。今の結果をまとめます。

平出:これは、エジソンか。エジソンですね。エジソンですね。おそらく。

阿波野:エジソンですねえ。

長谷川:「エジソンがわかる」を受賞作とすることに異議がなければ、今の結果通りとしたいと思いますが、いかがでしょうか?

平出:合議の結果として、まったく異議はありません。話していてかなり盛り上がりましたしね。そういう力のある作品だと思います。

長谷川:それでは「エジソンがわかる」を受賞作に決定したいと思います。
 次点が、数字的には「夏の手」と「オープンスペース」で並んでいます。実は、今確認したところ「エジソンがわかる」の作者の方は賞品として畳をご希望でないので、次席を一作品に決定してそちらに畳をお送りしたいのですが、どうでしょうか。

平出:大賞に畳送れないの、結構マジで悔しいな……。まあ、それはいいんですけど、まず「夏の手」と「オープンスペース」の作者の方の希望は畳なんですか?

長谷川:えーと(確認する)、そうですね。おふたりとも畳です。

平出:じゃあ一作品決めないとですね。

阿波野:うーん、僕は1位「エジソンがわかる」、2位「夏の手」で推してるんで、「夏の手」が次席になると、あまりにも僕の推した通りすぎるというか……。

長谷川:いやいや、それは関係ないですよ。僕は「夏の手」1位なので推すならそのままこちらになりますが、平出さんどうですか?

平出:僕としてはもちろん1位の「オープンスペース」を推したいですが、どちらか決めるというところだと、1位・3位・4位と1位・2位・5位を見比べるなら後者のほうがふさわしいんじゃないかとは思いますよ。二人が2位以内に推したっていうのは大きい。次席は「夏の手」でいいんじゃないでしょうか。

長谷川:わかりました。それでは次席は「夏の手」に決定します。
 最後に各選考委員個人賞を決めていきましょう。

平出:僕は「パラレルお盆」で。「パラレルお盆」が自分の中で一番っていうのは、最後まで変わらなかったですね。

長谷川:僕は「ゴースト」かな。個人賞は候補作選出とは全く別の論理なので「ジャンボあらき」を推したい気持ちもあるんですけど。でもやっぱり「ゴースト」ですね。

阿波野:難しいな。「毒猫」か「限定された遊びの中で」なんだけど。〈流れ変わったな〉と〈たけし映画に一人のたけし〉の一騎打ちです。
 難しいな、難しいけど「限定された遊びの中で」でお願いします。

長谷川:これですべての受賞作が決定しました。長丁場、お疲れ様でした!

阿波野・平出:お疲れ様でした!

(2024年8月27日火曜日、大阪府大阪市天王寺区ジャンカラ天王寺店にて)


●編集後記

 選考会録の文字起こし・編集を担当しました平出です。改めまして、ご応募くださったみなさま、お読みくださったみなさま、ありがとうございました。短歌界にひとつの新しい風を吹かせることができたのではないかと思います。
 選考について、ツッコミどころもたくさんあるかと思います。忌憚のないご意見・ご感想をいただけると選考委員一同にとっても大変幸いです。
 次回の同様の賞の開催については現時点でまったく未定ですが、もしあれば、ぜひともよろしくお願いいたします。

●宣伝・カンパ

 各選考委員の歌集は書店や下記リンクなどから購入可能です。今回をきっかけにご興味を持ってくださった方はぜひ。

●阿波野巧也『ビギナーズラック』

●長谷川麟『延長戦』

●平出奔『了解』

 また、今回の大賞受賞者の井口可奈さまの歌集も、書店や下記リンクなどから購入可能です。

●井口可奈『わるく思わないで』


 本記事は全文無料公開しておりますが、有料記事として投稿させていただきました。もしよろしければ「けっこうおもしろかったよ、お疲れ!」くらいの感覚で、ご自身のお財布事情等とご相談されつつ、カンパとしてご購入いただけたら幸いです。会場費・交通費等に後追いで充当させていただきます。

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