2024夏一首評19

そのアニメは物語に関係のない災害が来ることはなかった
/丸田洋渡「これからの友情」

「文學界」2024年9月

 という歌を読んで思うのは、当然「物語に関係のある災害」のことだ。「関係」が「ある」……?
 連想として、いくつかの具体的な作品名(最初は名前出して書いてたんですが、よく考えたら別に出さなくても話せたので消しました)を思い出すのは、それらを引き合いに出そうとするのは、なんというか、歌からの目配せのなかに含まれているんだろうなと思います。それらの作品で発生する「災害」は「物語」において重要な役割を果たしていると言える……つまり「関係がある」、と言っていいんだろう。だとすると「物語に関係のない災害が来ることはなかった」は、言える。「関係がある」なら、この条件、は満たされる。
 ……を話すにあたって経由せざるを得なかった「役割を果たす」みたいな言い方のこと。ここ、ここを読者に経由させる、ことをたぶん、この歌は意図的に試みているんじゃないかと思うんですね。この歌がはじめに提示する「物語に関係のない災害」に対する思考の先で、けっきょくは【言い方】の位相としてほぼ同じになる。
 そこを経由した読者は、この歌の【言い方】と、無関係ではいられなくなる、のではないかと思います。ここで言われているそれを、あるいはその逆を、どのように言えばいいのか。読者、という立ち位置から離れて、言葉の運用者として考えざるをえなくなる。それが、この歌がいくつかの具体的な作品名を想起させる、という手段を取りながら、成したこと、だと思うんですね。具体例が一切浮かばないようなものであれば、おそらくこうはならない。あれ、をどう言うか、という思考になる。(もちろん、思い浮かべない、そもそもそれらを知らない、読者はいるんでしょうけどね)

 この歌は、助詞が【へん】ですよね。文意はこれで取れるものの、若干の噛み合わなさがある。特に「そのアニメは」の「は」ですね。「では」じゃない。近付く。そこに近付く。
 それから「来る」ですね。「起こる」じゃない。居る。そこに居る。この歌ははじめから、いわばその現場に「関係」しようとしている……のだと思います。

 この世界にあるそれと「関係のない」私で、この歌は、いさせてくれない。「関係」か……。

死ぬ数と生まれる数と椎茸と白菜と牛肉のすき焼き
/丸田洋渡「これからの友情」

「文學界」2024年9月

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?