2024夏一首評14

迷惑系歌人となって【歌会に相田みつをの詩を出してみた】
/三田三郎「膝も見たくない」

「現代短歌」104号(2024年9月号)

「迷惑」……ってなんなんでしょうね。この歌を読んで、「歌会」という文化のことををよく知っているひと、よくそれに参加しているようなひとだったら、けっこうあっさり「これはたしかに迷惑だなあ」と思いそうな気がするというか、そういうことだと思うんですけど、でもそもそも「迷惑」ってなんだろうっていうことを思い直させるような言葉の運用がなされているようにも思います。

 僕は「歌会」という文化をそれなりに知っているつもりだし、それに頻繁に参加していると言っていいでしょう。なので、そういう立場からちょっと、考えてみますね。
「歌会」というのは基本的に、参加者が未発表の自作の短歌作品を「詠草」として提出しその会における批評対象のひとつとする、と相互に了解されたうえで行われるものですね。もちろん、たとえば「未発表」に限らないケースなど例外はたくさんありますが、これがおおよそスタンダードなスタイルと言っていいかと思います。
 これをベースに考えると「【歌会に相田みつをの詩を出してみた】」をやった場合、その約束に対して「未発表」「自作」「短歌作品」という点で反するわけですね。相互に了解しているはずの約束をわざと破っているので、まあふつうに「迷惑」だよね、というのは一般的な感覚で言えることかと思います。

 なんかでもこれって「迷惑」なんですかね……? いや「迷惑」なんだけど、別にいいような気がするというか。なんか、出されたら出されたでみんなふつうに評しそうだし……。
 もしかしたら、最終的に「迷惑」だと思うのはこのひと自身だけかもしれない気がして、だったら、それって「迷惑」なんですかね? っていうのが張り付いて、言葉自体が解体される感じが、おもしろかった、のだと、思います……。

優秀な詐欺師のように柔らかく喉を突破してくる白ワイン
/三田三郎「膝も見たくない」

「現代短歌」104号(2024年9月号)

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