【噛んで砕こう】ビールの歴史#5「イギリスのエールとビール」
https://note.com/hiraich/n/nd4506f2f79f9
前回はこちら。
これまで中世のビールについて説明してきました。
8世紀頃、カール大帝によりビール醸造が盛んに行われるようになり、それは荘園だけでなく修道院にまでも広がりました。
そして1516年のビール純粋令により、それまでビールの原料として重宝されていたグルートは使われなくなり、大麦・ホップ・水のみを使用したビールが主流となっていきました。
前回までは中世ヨーロッパとひとくくりにしていてもメインはドイツを中心としたお話でした。
今回は中世イギリスのビール事情について噛んで砕いていきます。
イギリスには中世以前からビールとエールの2つがありました。
味の薄いビールよりもキヅタ(ハーブ)などで強く香味づけされたエールが主流でした。
9世紀にはエールハウスと呼ばれる居酒屋や、主婦による自家醸造が盛んになりました。
そのまま主婦がエールハウスを経営することもあり、エールワイフと呼ばれ人気を博していました。
【ちなみに豆知識】
エールは婚礼の祝い酒でもあり、花嫁のエール(=ブライド・エール)がブライダルの語源です。
15世紀にはベルギーのフランダースから初めてホップを使用したビールが輸入され、ホップ使用をエール、ホップ未使用をビールと呼んで区別していました。
イギリスではグルートの利権のなんやかんやがあり、ホップが普及するのは17世紀以降と少し遅めでした。
1697年、ビール麦芽への課税が始まりました。
そこから麦芽を減らしホップを増やして作るペールエールが生まれました。
1722年にはロンドンのパブオーナーのラルフ・ハーウッドが『エンタイア』というビールを売り出し、これが大ヒット。
エンタイアは後に『ポーター』と呼ばれるようになります。
1759年にアイルランドのダブリンでギネス社(ギネスビールなどの)を創業したアーサーギネスがポーターに目をつけ、1799年にエールの醸造を中止して黒ビールのポーター作りに特化することを決断しました。
ポーターの中でもアルコール度数が高く強い味わいのものはスタウト・ポーターと呼ばれ、やがて単に『スタウト』と呼ばれるようになりました。
【ちなみに豆知識】
ビールのギネス社は世界一を記録したギネスブック・オブ・レコーズ(現ギネスワールドレコーズ)を発行したことでも知られています。
ギネス社代表が仲間と狩りに行った際に、狩りの獲物のうち、世界一速く飛べる鳥は「ヨーロッパムナグロ」か「ライチョウ」かという話で盛り上がったとか。そしてこういった事柄を調べて本にしたら評判になるのではという発想から生まれました。
以上で中世ヨーロッパのビールは終わりです。
次回からは日本のビール史にふれていきましょうかね。
お楽しみに!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?