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【びあけん】外国人居留地でのビール醸造の開始
どうも!
水島ひらいちの涼です!
本日もビールのお話をしますね。
日本でビールが作られ始めたころの話です。
幕末頃から横浜や神戸などに外国人居留地が置かれ、洋酒の輸入が増大しました。当然ビールもです。
イギリスのバス社、オルソップ社などのビールがメインでしたが、低アルコールで輸送効率が悪く高価だった為あまり供給されていませんでした。
そこで「だったら自分たちでビールをつくればいいじゃない!」と外国人居留地にビール醸造所(ブルワリー)開業の動きが始まったんです。
抑えておきたいブルワリーは2つ。
【ジャパン・ブルワリー】
1869年にユダヤ系のローゼンフェルトが横浜居留地で開業
。日本初のビール醸造所です!
わずか5年程で廃業してしまいましたが、これを皮切りに横浜や神戸でビール醸造所が次々に誕生します。
【スプリング・バレー・ブルワリー】
1870年にアメリカ人のウィリアム・コープランドが横浜居留地で創業しました。
旧地名である天沼を冠して「アマヌマ・ビヤザケ」の愛称で日本人にも親しまれたようです。
その後、醸造所は東京や上海に代理店を設置し、販路拡大を目指しました。
そしてなんと、1875年には日本初のビアガーデンを開きました。
しかしこのブルワリーも1884年に廃業し、15年の歴史に幕を閉じました。
実はこのスプリング・バレー・ブルワリーの跡地には現在の日本でも大きなシェアを誇るあのビールメーカーの前身となる会社が設立されます。
それはまたの機会にお話するとしましょう。