水島さんの交換日記#151「恐怖症の取り扱い方」
どうもこんにちは。
水島ひらいちの八重です。
前回の記事はこちら。
実は先日、涼とオンライン飲みしたんじゃけどその時の話題に漫画ネタあったな。実はその話題のフリ方が伏線だったん?笑
克服したって言ってええんか分からんけど、
昔から苦手なものが多かったことが大人になるにつれて「そうでもないな、むしろ得意かも!」って思う機会が出てくるのって面白いでな。
俺も昔は人見知りがひどかったんじゃけど、人と話すのが楽しくなってからはコミュニケーションの重要さとかアウトプットの可能性を勉強したりしとる。
<恐怖症の取り扱い方>
さて、大学の時にサークルの自己紹介としてこんな二つ名が書かれた。
〇〇:恐怖症の三重苦
三重苦っていうとヘレン・ケラーが引き合いに出されるけど、
本来の意味は身体障碍に関わらず単に『3つの苦しみが重なること』なんよな。日本人って3っていう数字が好きなのはご存知の通り。世界三大ほにゃらら~とか。
その時は自分から「俺は恐怖症が3つあって…」っていう話をしとったけん、プロフィールに三重苦って書かれて然るべきだった。笑
具体的に言うと、
これが大学までの間で錬成されてしまった恐怖症たち。
特に高所恐怖症は幼稚園時代に滑り台から転落してから発症したはずじゃけん、かなり根が深い。
血液恐怖症は…んー中学までは毎日どっかしら怪我しとったくらいじゃし平気だったはずなんじゃけど、大学1年の冬に風邪で高熱が出たまま病院で採血された後に(恐怖症の症状で)ぶっ倒れてしまったけん、ただ血が怖い人じゃないんじゃ…と感じるようになった。笑
先端恐怖症は両親からずっと過保護にされてきたのが由来かも。尖ったものとか刃物を触る時にずっと注意されて、それが積み重なって大学時代あたり(ちょうど炊事を毎日するようになって)で気付いた。
でも、大学卒業して社会的責任を持つようになってから、以前よりも随分恐怖症が和らいだ気がする。
深く踏み込んだわけではないけど、NLPについての本を買って読んだのが大きいんかも。自分が恐怖しとる対象から目をそらすんではなくて、その恐怖しとる対象のどこが怖いかを観察しつつ徐々に恐怖ポイントを小さくしていく。
こういうことを頭に思い描いたんだったかな。
要はイメージトレーニングで、恐怖心っていうのは自分が勝手に心のなかに植え付けた虚像って思えるようになってきた。
今では高いところは全然平気で、採血されても倒れることはなくなった。
先端恐怖症については…ここ最近で意識したことすら無いけど多分克服しとる。
ただし、献血には足を運んだことがない。
400cc採られると流石に自分自身に責任が取れない。笑
(これを書きながら、ちょっと体に力が入らんのんは恐怖症が完全に克服できてないけんじゃろうな…)
<次回のお題>
以前に涼から出されたお題を、逆にこっちから振ってみるっていう提案。
もう150回も続けとったら、お互いがどういうお題出したかとか忘れてしまうけんな。
ちなみに以前、ヒエロニムス・ボッシュなんて書いたけど、それよりもプラド美術館展っていう展覧会で観たヤン・ブリューゲルの『視覚と嗅覚』っていう絵の方がずっと印象的なんよな。この絵は絵の中に絵がたくさんあるんじゃけど、そのひとつひとつが精巧に描かれとって絵の中の世界に入る錯覚に陥るんよな。
あの時は名前を思い出せんかった。今思い出せて光栄じゃ。
\こっちも見られーよー/