【噛んで砕こう】ビールの歴史#3「中世のビール①」
どうも!
水島ひらいちの涼です。
前回はこちら。
歴史を遡ると5000年も前からビールが飲まれていることがわかりました。びっくりですね。
前回の記事でゲルマン民族がビールを作り始めた話をしましたが、そのゲルマン民族たちがヨーロッパ各地に大移動を始めたことでビールづくりが広まっていきました。
そのおかけで、技術の進歩はもちろんのこと一般の市民にも広く飲まれるようになったんです。これが4世紀〜6世紀ころのこと。
それでは、そのゲルマン民族によって普及していったビールがその後中世でどのような活躍をしていったのか、噛んで砕いていきましょう。
カール大帝とビール
中世ヨーロッパのフランク王国では荘園制度が築かれていきました。
荘園制度とは中世ヨーロッパの封建制社会と農村社会の基盤となった制度です。
8世紀頃、フランク王国カール大帝は支配下に置いた土地の住民をキリスト教に改宗させ、教会や修道院を建設しまくりました。
そんな中カール大帝は荘園の経営を制度化する為に荘園令を発令します。その荘園令の中に、各荘園や修道院にビール醸造所の設置が義務付けられているのです。
それぞれの荘園の農民たちが麦を育て、ビールをつくることを課せられていました。
しかし農民たちにも労働の際にビールが振る舞われることがあり、日々の賦役に精を出していたとされています。
当時の水は不衛生でそのまま飲むことは出来ませんでした。しかしビールは製造工程で水を煮沸する為安全な飲み物とされていました。
ビールは神の恵みと崇められ、修道院の賓客、巡礼者、修道士たちにもどんどん振る舞われていきました。
そうしてヨーロッパでビールが認められていき、ワインにも負けないお酒となっていったんです。
要するに、カール大帝がビール醸造を広めたおかげでヨーロッパでビールが広く飲まれるようになったんです!
そんなビール大好きカール大帝ですが、実は大のワイン好きでもあり、ワイン文化の復興にも尽力したとされています。
つまり酒好きということですね。
ちなみに
カール大帝(フランス語名ではシャルルマーニュ)はトランプのハートのキングのモデルにもなっています。
トランプの絵札の人物にはそれぞれモデルがいますので、これもまたの機会に紹介してみたいですね。